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007那由多 第三章「怪物」

主な登場人物

洛叉

那由多

※注意:この物語には暴力描写が含まれます。

目次

第一章 「ドブネズミ」
第二章 「狐面」
第三章「怪物」
第四章「You Complete Me」
第五章「Tangsten Lycoris」

第三章「怪物」

 母親の死体発見後、那由多は口がきけなくなった。
 担当医である紫苑によると精神的なもので回復まで暫く時間がかかるとの事だった。
 サイボーグとしてのリハビリにも遅れが出て、通常1週間程度で退院できるところを、既に3週間が経過していた。
 身体的な傷はサイボーグ化で関係なくなっていたが、那由多の精神状態は非常に不安定だった。
 夜一人で寝れない。
 母親の腐乱死体を見たことがトラウマとなっていて、誰かが一緒に寝てあげないと夜中叫んで起きてしまう。
 また、男性か近くにいると怖がる様になった。
 そして、笑顔が消えた。
 そんな那由多の世話を一手に引き受けたのが洛叉だった。
 那由多の母親の葬式も、那由多が怖がって執り行えない代わりに全て代行してくれた。
 夜の寝かしつけも、ほぼ毎日手を繋いで朝までいてくれた。
 男性への接し方も彼女なりに教えてくれた。
 洛叉の努力は徐々に功を奏して、1ヶ月後、ようやく那由多は退院できるまでになった。
 口は相変わらず効けなかったが、とりあえず普段の生活に支障がない程度に義体は操作できるようになっていた。
 退院当日。
 これからは洛叉と一緒に暮らす。
 洛叉の住んでいるのは中心地に近い高層マンションの30階。
 洛叉は全身義体化サイボーグ。
 会社に貢献するという意味で全身サイボーグ化している社員は給料も比較的いい。
 洛叉のマンションには何度か来たことはある。
 広いリビング。
 全面ガラス張りの壁の向こうに広いベランダがあり、その向こうはパノラマの夜景が一望できる。
 ふかふかのソファーに座るよう促された。
「ちょっと待っててね」 
 洛叉はそう言って、一つの箱を持ってきた。
 黒の漆塗りが施された小さな貝柄螺鈿の箱。
 蓋には蝶々と桜の模様が描かれている。
 二段重ねになっていて、一段目を開けると蓋の裏が鏡になっていた。
 小さい化粧箱だ。
 洛叉は一段目を取り外すと、二段目の中身を取り出してガラスのテーブルの上においた。
 赤いガラス玉がついた黒漆の簪。
 もう一つは青いガラス玉の同じもの。
 そして、最後は振り子の髪飾りで、小さい狐面が付いていた。
 一瞬、小さい頃母親に買ってもらった狐面を思い出して那由多の顔が強張る。
 だがよく見るとそれはおもちゃのお面ではない。
 木の彫り面だ。
 全面白で何度も重ね塗りされており、その上から赤や黒で顔のパーツが丁寧に塗装されていた。金箔もふんだんに使用されている。
 印象的なのは、顔半分牡丹が描かれていたこと。
 丁寧な作りの工芸品。
「これ、私の母から妹…あからに受け継がれたものなの。」
 そう言って髪飾りを取ると那由多の左耳の上にそっと付け、振り子を揺らした。
 シャラシャラと静かな音が鳴った。
「うん。やっぱり。
 よく似合ってる。」
 優しい眼差しで少し寂しそうに洛叉は笑った。
「那由多。
 今日からここがあなたの家。」
 洛叉は那由多の手を取って優しく呟いた。
「今までご苦労様。
 私は母親でも姉でもない。」
 そう言って簪を那由多に渡した。
「でも、これがあなたと私を結ぶ絆。
 私はあなたを絶対に見捨てない。
 …受け取ってくれるかな…?」
 洛叉の瞳を見た。
 燃えるような赤い、暖かい瞳。
 那由多の目から一筋の涙がこぼれた。
「洛叉…」
 1ヶ月ぶりの発声。
 涙声で震えていた。
「ありがとう…」
 小さく頷きながら那由多は答えた。
 洛叉ももらい泣きをしながら微笑んでいた。

 世界経済を牛耳る暗号資産取引所。
 その中でもユーザー数、取引高、売上高共に世界一を誇るFloatingBits。
 そこのサイボーグ技術で命を救われた那由多は当然そこで働く事になる。
 顧客資産保護を名目に各取引所はサイボーグ部隊を持つ事が許可されている。
 FloatingBitsなどトップクラスの会社になるとその規模は小国の軍隊に引けを取らない。
 退院して3日後、那由多はFloatingBits社の訓練生として配属された。
 16歳になるまでは実戦業務は無い。
 座学、訓練、その他洛叉の手伝いを行う。
 割合的には座学4、洛叉の手伝い3、訓練3。

 初日、那由多と同期の訓練生は100人程度。
 一番最初にやった全能力テストの結果は残念ながら最下位。
 それを洛叉に報告するとケタケタと笑われた。
「那由多は最年少だしね。
 適正はAIが判断して配属先決めてくれるから。
 適当でいいわよ。」
 洛叉は何とも思っていないようだった。
「…怒らないの?」
「言ったでしょ?
 私はあなたの保護者じゃないって。」
 それからちょっと考えて付け加えた。
「ただまぁ、自分がやりたい事に全力を注いだほうがいいんじゃないかな?
 給料もあがるしねっ!」
 那由多はその答えにころころと笑った。

 座学は会社付属の孤児院にて行われ、那由多は特に社会科や経済学に関しては学年トップ10に入るくらい優秀だった。
 ただ集団が苦手なのは相変わらず。
 孤児院内でも友達は少なかった。

 洛叉は戦闘訓練は定期的にやるものの、基本的に戦闘要員では無い。
 慈善事業部隊としてイベントに参加したり、ボランティア活動したり、炊き出しをやったりと会社のアピールをする仕事を行なっている。
 容姿端麗。
 慈善活動に最も必要な気配りもできる。
 洛叉はリーダー的な立ち位置でメンバーからの信頼も厚かった。
 そんな洛叉の手伝いが出来ることは那由多にとっても嬉しかった。
 しかも皆が那由多を可愛がってくれる。
 生まれて初めて人にカワイイと言われた。
 生まれて初めてお礼を言われた。
 だが、極度の人見知りである那由多にとって知らない人とのコミュニケーションは結構なストレスだった。

 あたりまえだが、コミュニケーション能力はサイボーグか生身の人間かは関係ない。
 那由多自身は座学や洛叉の手伝いよりも、あまり他人とコミュニケーションを取らないでいい戦闘訓練が一番性に合っていると感じていた。
 洛叉のアドバイス通り、那由多は訓練に打ち込んだ。
 今までの経験と比べればまるで苦にならなかった。
 僅か13歳でサイボーグとして生まれ変わった那由多。
 100人の訓練生の内13歳は那彼女只1人。
 義体は年代毎に用意される為、那由多の義体だけ目立って小さかった。
 最初のうちは皆からチビチビと言われていじめられた。
 当初戦闘訓練の成績もまるで伸びなかった。
 足を引っ張ったのがやはり集団行動。
 ずっと単独行動をしてきた那由多は集団行動自体が致命的に苦手だった。
 しまいには訓練長から集団行動の時は見学しろとまで言われる始末。
 ただし、個々の能力に関しては徐々に頭角を表し始める。
 まずナイフでの格闘。
 常に相手の死角に入り込み低い位置から繰り出される素早い急所攻撃は同期の中でも一目置かれた。
 人間だった頃からナイフで自己防衛していたのだ。サイボーグになって補正がかかり更にキレが良くなっていた。
 ただ、集団戦を得意とし、統率力で他を圧倒するFloatingBits社の戦術ではナイフを使用した格闘術はあまり活用されないのが現状。
 だが、他が平均点以下の那由多はコレにすがるしかなかった。
 近接戦闘では素早さが重要だ。
 那由多は心拍数と酸素供給量を増やす事に努力した。
 一方でその行為は脳への負担に繋がり、活動限界を迎えてしまう危険性があった。
 他の同期達はセオリー通り集団行動を重視し、リスクオフの訓練をしていた。
 那由多は集団行動に関してはまるで役立たずと切り捨てられていた。まだ13の子供だから大目に見てくれていたのかもしれない。
 それゆえに無茶な訓練が可能だった。
 心臓のパラメータを弄りリミッターを解除。
 脳への血液大量循環を無理やり行わせる。
 そのままでは脳内血管が破裂するので、マイクロマシンをコントロールして血管の補強をする、という無茶苦茶なやり方。
 最初一発目試そうと思ったのは格闘訓練の時。大丈夫かと思って一気に心拍数を上げた途端一瞬で脳内血管が破裂し、救急車で運ばれた。
 脳は脆い。
 世界一の硬度を誇るタングステンで覆われていても、中身の取り扱いを間違えば即死亡する可能性があることを思い知った。
 徐々に、辛抱強く、暇があれば血液循環関連のコントロールを行った。
 サイボーグにとって体の大きさは強さにあまり関係ない。
 どれだけ脳が義体を操れるか。
 この一点。
 やがて那由多の脳はその無茶な自主トレーニングに適応して行く。
 15になった頃、一対一の格闘戦で彼女に勝てる同期はいなくなっていた。
 計測してみると戦闘時の心拍数は通常のサイボーグの3倍。
 短時間であれば5倍まで心拍数を上げられるようになっていた。
 ナイフの取扱い技術だけとは言え大人を圧倒する戦闘能力は密かに注目を浴び、何回か彼女を対象とした研究が行われた。
 だがことごとく他の個体で再現に失敗。
 これは那由多特有の能力であり、彼女の脳の義体への適応能力が極めて高い事だけが分かった。
 そしてその能力はナイフの扱いだけに止まらなかった。
 16になる頃、那由多は特異な射撃技術が可能になっていた。
 サイボーグは元来射撃能力は高い。
 通常の人間よりも遥かに優れた命中率を誇る。
 那由多はそれに加えて、心拍数コントロールと脳の活性化により弾丸をスローモーションのように見ることができた。
 トリガーを引いた後弾丸がバレルの中のどの部分を移動しているのかもわかった。
 その為射撃の精度が異常に良くなり、敵の弾を撃ち落としたり、僅かに弾の軌道を曲げる事が可能になっていた。
 最早彼女をチビと言って馬鹿にする輩は消えていた。
 そして、初陣で彼女の名前はFloatingBits社内に知れ渡る事になる。

 CryptoCurrentのDAOコミュニティメンバー数十人がFloatingBits社のサイボーグパーツ倉庫を襲撃したとの報告を得て、那由多達は後方支援部隊として出撃。
 初めての実戦。
 スピナーで現場に向かう途中意外と落ち着いていた。
 死ぬような経験をした那由多にとって、脳さえ無事なら死にはしないサイボーグの戦いはごっこ遊びと何ら変わりはなかった。
 唯一、集団行動が出来るかどうかが心配だった。
 隊長からは
「命令は聞け。
 あとは好きにしろ」
 とだけ言われていた。
 現場に近づくにつれて機関銃の音、爆発音などが聞こえてきた。
 隊長が状況を手短に説明する。
 あまり状況は芳しく無いようだ。
 敵はFloatingBits社のサイボーグパーツ倉庫内に立て篭もり、侵入してくるサイボーグを返り討ちにしてるらしい。
 レールガンを使用しているとの事。
 初速が音速を軽く超える奴だ。
 避けられるサイボーグはまずいない。
 真正面の入り口をターゲットにそれが配備されており、侵入者を狙い撃ちにしているようだった。
 裏口や窓もあるにはあるがそこへ至る通路は狭く、ドアや窓枠も小さい。
 壁をぶち破る方法もあるのだが、施設や貴重なパーツに被害を出したくないFloatingBits側は責めあぐねていた。
 先発隊は被害多数。
 那由多達は正面入口に駆けつけた。
 丁度前衛部隊の仲間の1人がレールガンの餌食となった直後。
 足を砕かれ、慌ててコチラに退避しようと這ってきている。
 彼女を助けるように命令された那由多。
 急いで彼女の元へ駆け寄り肩を持って移動しようとした時。
 負傷した仲間もろとも吹き飛んだ。
 地面を転がりながら仲間の方を見ると胴体がバラバラになっていた。
 凄まじい威力。
 これがレールガン。
 発射音が遅れて聞こえた。
 音よりも着弾が早い。
 同僚の頭部は何とか無事のようだ。
 彼女が盾になったおかげで那由多自身は五体満足。
 転がりながら体勢を整えると対サイボーグ用の拳銃を手に取った。
 入り口の左右の影に2対の敵。
 ライフル等では貫通出来ない分厚いコンクリートの壁。
 那由多は心拍数を最大レベルにまで引き上げ、大きく腕を振りながら射撃を行った。
 射出された弾丸は弧を描きながら左に隠れている敵の肩を砕いた。
 続け様に右側の敵を狙い同じように倒す。
 衛星にリンクして敵状況を把握。
 今までの戦闘状況から敵の配置が分かる。
 レールガンは2台。
 大型。
 威力はあるが連射できない奴だ。
 正面入口のずっと奥に瓦礫集めて土嚢を作りそこから狙撃しているようだった。
 また、同じように障害物の土嚢を作り、倉庫内左右にも敵部隊が展開していた。
 左右それぞれ5人ずつ。中央奥のレールガン組も5人。計15人が立て籠もっている。
 今なら2つのレールガンは装填中のはずだ。
 侵入してしまえばあるいはーー 
 咄嗟にそう判断すると入口に向かって駆けた。
 案の定レールガンからの狙撃は無く代わりに無数の銃弾が那由多を迎えた。
 通常弾であれば那由多は対応できる。
 雨の様に降り注ぐ弾丸を撃ち落とし、避け、入口に侵入。
 まず左側。
 腐ってもサイボーグ。
 障害物越しに的確に那由多を狙ってくる。
 右翼からは障害物越しで死角になる位置に素早く移動しリロード。
 那由多が左翼の敵を目視確認した際、まさか侵入してくると思ってなかったのか相手に動揺が見られた。
 慌てた相手は一斉射撃を那由多に向かって行った。
 だが、那由多には当たらない。
 ナイフで弾き、銃で撃ち落とし、避ける。
 敵がざわつく。
 弾丸の雨を掻い潜り那由多の得意なナイフの間合いに5人が入った。
 同士討ちになるため相手の射撃が止まる。
 敵は武器を接近戦に切り替えようとしたがもう手遅れ。
 那由多は相手の急所を次々と刺していった。
 バタバタと5人がほぼ同時に倒れる。
 敵右翼は入口付近の味方を相手にしている最中。
 レールガンが入口に向けて火を噴いた。
 仲間が何人か吹き飛んだ。
 那由多は左翼の瓦礫から飛び出て中央奥へ駆ける。
 もう一発レールガンが来るはずだ。
 心拍数を現在の最大、10倍まで上げる。
 持って数十秒。
 複数の弾丸を盾として打ち出しておく。
 白い光線が見えた。
 弾丸がまるで粘土のように押し負ける。
 パワーがまるで違う。
「くっ!」
 咄嗟に盾にしたサイボーグ用拳銃がバキンと音を立ててバラバラになる。
 那由多も吹き飛ばされラックに打ち付けられた。
 右腕が犠牲になった。
 どうせ弾数残り僅か。
 だったら無限に使えるナイフの方が大事。
 レールガンは2発撃った。
 暫くは発砲出来ない筈だ。
 直ぐに起き上がり接近。
 レールガン担当の2人を庇うように3人が立ちはだかる。
 銃火器が2人。
 1人が対サイボーグ用の刀を装備していた。
 対する那由多の装備品はナイフ1本。
 心拍数引き上げもタイムリミットが近い。
 早く決着を付けなければ。
 刀サイボーグが前面に出てくる。
 彼女は甲冑を纏っており手間がかかると判断。
 斬撃を掻い潜りながら銃火器担当の2体を先に行動不能にする。
 刀サイボーグの装甲はやはり分厚かった。
 甲冑の隙間への攻撃は読まれていて尽く弾かれてしまう。
 何度か斬り合いをしているうちに2丁のレールガンが那由多に向けられた。
 目と鼻の先。
 この近距離で撃たれたら那由多でも避ける事は不可能。
 引き金に指がかかった。
 瞬間。
 刀を紙一重で避けながら那由多はレールガンを持つサイボーグに向かってナイフを投げた。
 蹴りで銃口をもう一体のレールガンを持つサイボーグの方に向ける。
 ナイフが急所に刺さる衝撃でレールガンがもう一体を撃ち抜いた。
 その衝撃でもう一つのレールガンから発砲、那由多を掠めて刀サイボーグを撃ち抜いた。
 3人のサイボーグが活動停止するのを見届けると那由多はゴトリとたおれこんだ。

 初陣でしかも1人でサイボーグ12体撃破。
 とんでもないバケモノがいるーー
 那由多の噂は瞬く間に社内に広がる。
 彼女の存在はすぐに社外秘にされ、箝口令が敷かれた。

 那由多は表には存在しない、諜報部隊に配属されることになる。
 その部隊は会社にとってあらゆる障害を排除する目的で活動していた。
 暗殺、企業スパイ、情報操作、破壊工作など、法外活動。
 ただ、那由多はコミュニケーションスキルがまるで無く、無抵抗の相手や人間を殺害するのは彼女が拒んだ為専らサイボーグ相手の排除をさせられた。
 それが彼女の経験値を更に引き上げる事になる。
 20歳になる頃には対サイボーグ戦で彼女の右に出る者は誰もいなくなっていた。
 
 彼女の冠した名。
「怪物」
 
 あらゆる銃器に精通。
 特に拳銃が得意。
 100m先、ミリ単位の射撃精度。
 反動あり、対サイボーグ用マグナム弾20発(リロード含む)を0.01秒ピンヘッド。
 距離にもよるが弾道を30度程曲げることができる。
 弾丸を曲げても精度が落ちる事はなかった。
 近接戦闘ではナイフによる攻撃が得意。
 しなやかな体術、投擲、二刀流などこちらも自由自在。
 那由多は長距離から超接近戦まで対サイボーグ戦において無類のパフォーマンスを発揮。
 FloatingBits社内でもトップクラスの強さを誇るに至っていた。
 大人になるにつれて集団行動はある程度出来る様になったが、コミュニケーション力は相変わらずポンコツ。
 洛叉とだけはうまいことやれていた。
 共に生活するようになって7年。
 彼女とは同棲してるルームメイトのような関係。
 人間らしい生活をしたことがなかった為最初は戸惑いも多かったが、今は何不自由無く生活出来ている。
 洗濯掃除、料理等は当番制。
 那由多は意外と料理上手だった。
 浮浪児の頃から色々な本を読んで勉強してたらしい。
 二人で暮らし始めて笑顔も徐々に増えていった。
 洛叉とは普通にコミュニケーションは取れるのだが、人見知りが激しく、部屋に洛叉の友達が来ても最初はあまり会おうとしなかった。
 基本的に那由多の本業は機密事項なので表向きは洛叉のお供と言う立場。
 洛叉の友達や仕事場で他人と何度も会うようになってようやく、徐々に、知り合いは増えていった。
 当然、那由多に恋心を抱く男女諸君が現れるのだが…
「私、無理だから…」
 那由多はそう言って全て断っていた。
 地獄を味わった那由多だ。
 そう言うものを敬遠してしまうのは至極当然。
 洛叉が心配してその事を那由多に話すと、那由多はぷんぷん怒り出して部屋を出て行ってしまった。
 20歳の那由多は、まだ完全にトラウマを抜け出せたわけではなく、たまに洛叉の部屋に来て一緒に寝ていた。
 その夜も洛叉が部屋で寝ていると那由多がノックの後部屋に入ってきた。
 寝る時はいつも昔買ったおそろいのブカブカTシャツを着てくる。
 いつもならすぐにベッドに潜り込んでくるのにその日に限って何故かもじもじして一向にベッドに上がってこない。
「どしたの?」
 洛叉の問いにふるふると頭を振るとおずおずとベッドの上に上がってきた。
 洛叉は那由多に毛布をかけ背中をさすってあげた。
 那由多の顔が目と鼻の先にある。
 浮浪児だった頃とはまるで別人。
 整った顔立ち。
 澄みきった空のような青い瞳。
 みずみずしい唇。
 艶のある薄茶色の長い髪の毛。
 普通に見たら凄腕サイボーグの暗殺者とは想像つかないだろう。
 私の自慢の那由多。
「洛叉…」
「ん〜?」
 心なしか那由多の息遣いが荒い。
 目がとろんとしている。
「好き…」
 消え入りそうな声でそういうと那由多は洛叉の唇にそっとキスをした。

 あぁ…
 なぜ気づかなかったんだろう。
 いや、気づいていた。
 なのにわざと気づかないふりをした。
 それが彼女の為だと思った。
 男女であるべき。
 そう思って無意識に彼女の想いを強制しようとした。
 だが彼女が13歳の時の悲惨な経験はそう簡単に彼女から離れはしなかったようだ。
 加えて、脳以外全てサイボーグ化されている彼女の肉体はNFTとして売却され、この世には存在しない。
 結婚まで考えた時普通の男女の愛は成り立つのだろうか…
 もしも彼女が子供を産めない体と知った時、普通の男性は彼女を愛せるだろうか…
 誰も彼女の苦悩を分かってあげられない。

 唯一、境遇が同じ洛叉をのぞいて。

 生身の肉体を持たない洛叉もまた、無意識に男性を敬遠していた。
 傷つくのが怖かったから。
 自分が選択したことだとしても、それを突きつけられた時、壊れてしまいそうだったから。
 一人だったら耐えられないだろう。
 でも二人なら…共感してくれる相手がいれば壊れかけの心を補いながら歩んでいけるかもしれない。
 サイボーグとなった那由多と共に暮らすと決めた時、なぜ自分は「保護者じゃない」と言ったのか。
 当時は自分でもよく分からなかった。
 でも今、那由多の口付けを受けてようやくはっきりした。
 私は那由多に後ろを付いてきて欲しいんじゃない。
 隣に立って一緒に歩んで欲しかったのだ。

 ただの浮浪児だった那由多。
 最初は妹に重ねてた部分もあったかもしれない。
 いつの間にか洛叉にとって那由多は妹以上の存在になっていた。
 彼女の想いを知りながら、彼女の為だと自分を偽りながら想いを押し殺してきた。

 だが、もう限界。

「那由多…」
 優しく頭を撫でる。
 彼女は怒られるかと思ってびくりと強張った。
 そこには『怪物』と呼ばれ無類の強さを誇るサイボーグの面影はまるでなかった。
 那由多は一見クールで近寄りがたい女のコにみえる。
 そこが人気の秘密なのだろうが、洛叉の知っている那由多は皆とは少し違っていた。
 クールと思われるのはただコミュニケーション能力か低いだけ。
 洛叉とはよく喋る。
 料理上手だが食器を洗うのは嫌いと言うズボラ性格。
 怪物のクセに1人じゃ眠れない甘えん坊。
「分かってるわ」
 優しく微笑みながら洛叉はそう答えた。
「ううん、分かってない!
 そうじゃなくてーー」
 ただただ可憐で可愛い女の子が泣きそうになっている。
 洛叉は、言い返そうとした那由多をぐいっと強く引き寄せ、キスをした。
 柔らかい唇。
 とろけそうな舌。
 甘い吐息。 
 強張っていた那由多の身体から徐々に力が抜けていく。
「那由多」
 耳元で優しく洛叉は囁いた。
「今まで一緒に居てくれてありがとう那由多。」
 それを聞いた瞬間那由多は目を丸くして固まった。
 真っ直ぐ洛叉を見つめる瞳にみるみる涙があふれ、一筋、彼女の頬を伝って落ちた。
 洛叉はその涙を優しく指で拭くと濡れている目元にまたキスをした。
「愛してるわ」

 次の日、那由多が目を覚ますと洛叉は既に起床して朝ごはんの準備をしていた。
「あ、那由多おはよ〜!」
 いつも通りの明るい洛叉の声。
「ん…洛叉おは…」
 目を擦りながら言いかけていると、洛叉が近づいてきて頬にキスをされた。
「早く顔洗ってきな〜!」
 パタパタとキッチンの方に戻って皿をテーブルに並べている。
 フレンチトースを焼いているようだ。
「…洛叉」
 近づいてキッチンに立っている洛叉を後ろから抱きしめた。
「ん〜?」
「…愛してる」
 背中に顔を押し付けたまま勇気を出して言ってみた。
 20年生きてきて、始めて口にする言葉。
 洛叉の甘い香り。
 恥ずかしくて顔は見れなかった。
 顔が火のように熱い。
「私も!」
 太陽のような洛叉の声。
 抱きついていた腕を緩めると洛叉もそれに合わせて振り向いた。
 見上げると、彼女の頬もまた赤く染まっていた。
 お互いおでこをくっつけてクスクス微笑む。
 軽くキスをした。
 眩しいほどの朝日が部屋中を照らしていた。
 今日も暑くなりそうだ。

 那由多は本業の任務があったので洛叉とは別に出社。
 ブリーフィング室に向かう。
 まだ誰も来ていない。
「おはよう」
 しばらくして局長が入ってきた。
 起立する。
「まぁ座れ。
 今日はお前だけだ。」
 諜報部隊は単独任務も多い。
 那由多の得意とするところは対サイボーグ戦だが、最近は調査業務もこなすようになっていた。
 調査業務ができるようになり、諜報部隊の中でも単独でミッション達成できる限られた存在になっていた。
 局長からの信頼も厚い。
「機密情報が漏れてる…ぽい。
 内部的犯行…かもしれん。」
 諜報部隊の作戦報告は大抵曖昧だが、今回はいつにも増して煮え切らない。
「…はぁ…」
 間の抜けた声が出る。
「まぁ聞け。
 当社の孤児院出身のプログラマーがいる。
 今は本社の取引所でトーレード関連のプログラマーをしている。
 彼の脳が出す大量のログの中に、Decentralized Identity (DID)に連動して動くコントラクトを見つけた。
 発見したのは偶然。
 健康診断で問診医が暇だからログを眺めてたらたまたま見つけたそうだ。
 全貌は掴めていないが、DIDを用いてアクセスしたデータを暗号化し、分割してパブリックで配信しているようだ。」
「パブリックで?」
「そうだ。
 複合の仕方をわかっていないとただの数バイトのバイナリーが配信されるだけだ。
 明らかに特定の受信者向けに配信しているがログが残らず受信者は不明。
 流し終わったら起動しない。
 渦中のプログラマーはまるで気づいていなかった。」
 DIDに紐づいてその人がアクセスする情報を抜き出すバッチ…
 つまりDIDが作られた時、それと連動するように仕組んだ犯人がいる。
「このプログラマーだけでなく、孤児院出身のサイボーグを洗った所ある時期を境にバッチが仕組まれていた。」
 局長が那由多の顔を見る。
「…お前だ、那由多。」
「…私…?」
「そうだ。
 お前がサイボーグになった時期と被る。
 お前自身にはバッチは仕組まれてなかった。
 だがお前以降の孤児院の卒業生には高確率でバッチが仕組まれていた。」
「…もしかして私、疑われてます?」
「いや、当時浮浪児でしかも瀕死で運ばれてきたお前に何か出来るとは思わん。
 …ただし、お前をダシに何か取引きされた可能性はある。」
「…!」
「バッチ作成者を探し出し、プログラムを停止しろ。
 受信者を特定。証拠をつかめ。
 あらゆる障害は実力で排除。
 以上だ。
 質問は?」
「…ありません」
「よろしい。
 ドキュメントは後で送信させる。
 検討を祈る」
 そう言って局長は去っていった。
 一人、ブリーフィング室に残った那由多。
「嘘…」
 顔面から血の気が引いていた。
 何とか気を振り絞って最後の受け答えはしたものの手が震えていた。
 局長は何も言わなかった。
 だが、明らかに洛叉…もしくは那由多の元担当医の紫苑がアヤシイと言っている。
 両手で顔を覆う。
 深いため息が漏れた。
 7年越しの想いが昨日ようやく叶ったのに…
 今朝、お互いの愛を確かめあったばかりなのに…
 コレから沢山沢山楽しい思い出を作る予定だったのに…

 嗚呼…
 やはり、歪んだ怪物の私にそんなもの与えられるはずもなかったのだ。

 顔を覆っていた両手が力無くダラリと垂れ下がる。
 那由多は、絶望が、のたうち回ながら心を支配していくのを感じた。

第一章 「ドブネズミ」
第二章 「狐面」
第三章「怪物」
第四章「You Complete Me」
第五章「Tangsten Lycoris」

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