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いまだから言える卵巣がんになったこと

はじめに

今から7年くらい前に人生初の手術をした。
いまだから言える手術のこと。
術後を振り返るので詳細は書かない。
価値観の変化と学びを書く。
いまも病気に罹り辛い思いをしている方は
たくさんいらっしゃると思いますが2016年当時の
わたしが見たこと、かんじたこと、になります。

病気

2016年に卵巣ガンがみつかり
1a期で右の卵巣をとった。
プラス子宮筋腫もとった。ついでに盲腸もか。
早期だったので抗がん剤治療はしなかった。再発もあるので経過観察。
幸いにも現在は左の卵巣と子宮は温存。生理も来る。
入院手術は高額医療費の補助が出て10万円以内に収まった。めちゃくちゃラッキーなことに親が全部だしてくれた。わたしは20万円くらい医療保険の支給をがっぽりいただいた。

以前の価値観

・仕事は我慢をしてお金をもらう
・人の助けを借りてはいけない。迷惑をかけてはいけない。申し出があっても頑なに断る。
・大人は苦労・無理してなんぼ
・我慢をすれば後でよいことが起きるに違いない。

得たこと

・すべてにおいて我慢は禁物
・検査は多少のお金がかかってもしたほうがよい
・整体・鍼灸で回復

2015-2016年にかけて

・一緒に住んでいたおじいちゃんが101歳で亡くなる。
・お世話になっていたおじさんが病気で亡くなる。
・転職。
・好きだった人が結婚。
・好きだったロックミュージシャンが亡くなる。
占い師のしょうこ先生曰く、これまでの自分ではいられなくなった。結果病気発覚。

神とおなじ病気

漫画界の神、大島弓子先生とおなじ病気。
(大島先生はおそらく杏林大学病院。自分は武蔵境の日赤)
大島先生は3期だった。抗がん剤治療もされたよう。

検査するきっかけ

卵巣がんは症状が出にくい。症状が出るころには、進行している場合が多い。
きっかけは2015年末の会話。
保険会社へ勤めている知り合いが、当時芸能人のガン発覚のニュースが多く
「がんの検査が予約しにくくなっている」とポロリとこぼした。
翌年の春、健康診断でガンの血液検査(腫瘍マーカー)を受付ていたので
予約をとった。1万円くらい自費だった。自分にしては高いとは思わずこの時は予約をした。むしろ予約が取れたよろこび。この時点でまったく自覚症状なし。

あっさりと手術する流れに

健康診断の後、すぐに病院から直接電話があり、
血液検査の腫瘍マーカーが異常値で
すい臓がんかも、いわれた。
(健康診断で本当にやばいときは病院から直でtelが来ることを知った。)
急遽検査の結果
子宮筋腫があることが判明。そこから婦人科に行けと言われ、(その病院に婦人科があってよかった)子宮筋腫のほかに、右卵巣に腫瘍があることがわかり、またさらにいろいろと検査をした結果
「うちの病院では手術ができない」からと
最初の病院から1ランク大きな病院に行き
翌日には再度検査ののち、「手術します」といわれる。
この時点で腫瘍が悪性がどうかわからなかった。
お腹を開いて腫瘍を検査しないと
わからないので手術をする。卵巣は開腹手術でないとわからない。

襲う不安

入院・手術までの間、沖縄へ遊びに行き
社員旅行で石川県の高級有名旅館に行ったり(だが期待していたほどではなかった。)
プラプラと「ほんとうに手術すんのかなー。どこも悪くない気がする」
実感が沸かないまま手術をした。
自覚症状がゼロなのになんで手術しなければいけないんだと
突然の不安になり友達に愚痴をきいてもらった。

手術

手術は1時間くらいで終わったらしく
開腹したら良性、悪性の中間だったそうで(境界悪性)
2つある卵巣のうち1つをとった。

手術後がほんとうにつらかった

・手術直後
麻酔、痛み止めの効きすぎでなかなか起き上がれず
人生でもっとも具合の悪いときにお見舞いにきてくれた友達は
本当に感謝している。
手術後は気持ち悪く、何も食べられなかった。
眠れなくてテレビをつけていたがラーメンが映っているだけで吐き気をもよおした。
通常は手術の翌日には歩けるらしいが歩けず、2日目になって看護師さんに起きろとはっぱをかけられなんとか、起き上がれるようになった。
・退院後
もっともつらかった。
体力が低下。疲れやすくなり、体から汗がでなくて夏の暑さに耐えられない。7月に竹富島へ遊びに行ったが暑さで立てなくなった。
ほかにも足のむくみ、ひどいアトピー、重い生理痛、肩こり。
皮膚科の先生に汗が出ないことをわかってもらえない。
愚痴を言っていたら友達に説教されぼろぼろ泣く。

ゆりかご整体

あまりにも体調がわるいのでゆりかご整体へ行った。
そこで
・体がすっごく疲れている。スキージャンプで言うとK点超え。
・助けてを言う。人を頼る
転職をし測量という専門職であったため、知識もなくがむしゃらに取り組み毎日疲れていた。
そんな中、人に何かを頼めるわけがなかった。
ゆりかご整体へ何度か通い少しずつ回復していった。

東洋医学

友達の紹介で鍼灸院を紹介してもらいそこでだいぶ体力が回復した。
初めて鍼灸院に行ったときは、先生曰く
体力が普通の人の半分だった。
手術の影響で体力が落ちたんだそう
皮膚科や婦人科でいくら相談しても解決しなかったことが
快方へむかっていった。
また漢方の医院にも行き漢方薬で体をすこしずつ整えていった。

経過観察

手術後は5年間、検査のため手術した病院へ半年に1回いっていた。
血液検査と婦人科の、あの台にのって股をぱかーんとやるやつ。(名称がわからないが伝わるよね)
仕事が忙しかったので半年に1回、午後休をもらいのんびりできる日。病院帰りにおしゃれcafeに行ったり♪
検査はいやだけど半休がもらえてルンルンであった。
血液検査はやはり大きい病院なので日々大量の採血をしている。
採血担当部門の腕がめちゃくちゃよかった。
スッと血管に刺さるんですよ。やり直しもない。

現在

当時の仕事をやめた。わたしとしては一生ここで働くのかと覚悟していた。周りの「辞めたほうがよい」というたくさんの助言により2021年初めにスっとやめることができた。
漢方薬はのんでいない。漢方の医院が移転になり夜の診察をやらなくなったので一旦薬をやめますと伝えた。
体力はたいぶ回復した。
手術の傷跡がときどきかゆい。アトピーもあるので仕方ない。
再発もあるので半年に1回は近くの病院で検査している。
自分にムチを打つようにお金は稼げない。稼がない。今は在宅勤務もありのんびりやっている。
無理はしない。奴隷体質なので気づいたら120パーセントの力を出していたというふうにならないようにしたい。


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