見出し画像

おばあちゃんの田舎へ行った

ずっと東京に住み、東京人を気取ってはいるがわたしの1/4は茨城の血が入っている。
おばあちゃんは茨城県の日立市という海辺の町出身なのだ。
おばあちゃんはわたしが幼稚園のころに60歳過ぎで病気で亡くなっている。
先日、親戚が亡くなったので、お葬式に日立市へ久しぶりに行くことになった。

父親と車で行くことになった。途中、父親の弟さんも乗せていくことになった。
父親の弟さんはちょっとボケてきている。
通常、香典袋の表側の真ん中に自分の名前を書くところ、弟さんは裏側に自分の名前を書いていた。急いで書き直した。黒い葬式用のネクタイを準備されていなかったので急いでしまむらへ買いにいった。父親と弟さんは2泊するのに弟さんの荷物は1つのビニール袋だけだった。

葬式に行くことになっておばあちゃんのことを思い出した。
わたしはおばあちゃんと会話をした記憶がない。
生前の記憶は既に、入院していた。
幼稚園児のわたしはよくおじいちゃんに連れられ、お見舞いに行っていた。
おばあちゃんは自分の鼻から流動食を入れていた。鼻から入れるなんてよくできるなと思った。
神経の病気だったので会話ができなくなっていた。
今では考えられないことだが、おばあちゃんがおむつを交換されている姿もばっちりとみてしまった。子供だったので目をそらすとかもなく目に焼き付けてしまった。

日立へ行く途中、慣れないながらも高速道路を運転した。天気がよくてよかった。
日立市へ久しぶりに到着した。国道沿いにはなんでもお店がそろっていて住むには困らなさそう。
ありふれた北関東の町なんだけど、どこか「まったく知らん町」とは言い切れない。
父親の弟さんの手を引き、葬式会場へ着いた。
知ってるんだか知らないんだかの境界線上にいる親戚も挨拶した。今後、お葬式でしか会わないでしょう。
お葬式が終わり、おばさんたちと食事に行った。父親の兄妹が久しぶりにそろった。よかったねぇ。

10年以上前にやったおじいちゃんの99歳のお祝いに、おじいちゃんとおばあちゃんのスライドを作った。
残っている写真を携帯で撮影して若いころから順につなげて音楽を入れて上映した。
おばあちゃんのスライドが出来上がったとき、わたしは言葉にできないくらい、魂からじんわりと癒された。

お葬式がおわり、わたしはその日のうちに東京へ帰らなければならなかった。
特急に乗って帰ることになった。

日立から帰るときの車窓は「この景色はきっとおばあちゃんも見たんだろうな」とのおもいにふける。
意識が、わたしが見ているのかなんだかわからなくなる。

電車が東京に近づき知っている駅名が増えてきた。
上野で下車し東京人を気取るわたしに戻った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?