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やれる事しかやらんでええ

 帰りのバスを待つバス停には、
 イベント参加者の一人が来合わせて、
 バスを待ちながらと高野山駅まで乗り合わせた間に、
 しゃべっていた事を私の頭の中で再編集した。

 もちろんその人にその場では、
 言い得なかった事も混じっている。


 幼い頃の私の身近には、
 常に恐ろしいものがたくさんあって、

 周囲の人々の口ぶりは、
 絶望と怒りと涙と、
 そんなものはとうに過ぎ去り果てた諦めに満ちていた。

 キノコ雲が見えその爆風も届いた土地で、
 水俣にもほど近く心ない噂も日々飛び交い、
 私が生まれるほんの数年前ですら、
 要らない子供の特に女子は売り払われていた。

 台風は毎年容赦無く襲う。
 収穫は、年々暴落していく安値で買い叩かれる。

 給食用の雑肉にしかならない牛が、
 おばあちゃんの家の近くに立つ、
 大きな南京錠をぶら下げた小屋で、
 押し込められるように飼われている。

 トタン壁の隙間から覗く子牛の目と目が合う。
 大人たちは「他所の人たちの舌の業」だと、
 せせら笑いながらため息をつく。

 

 笑顔で気の毒そうに、
 この土地はどうせおしまいだと、

 いずれ世界は滅亡し、
 お前は不幸になる、
 お前に良い事などこの先一つも起こるわけがない、
 と断言されながら育った。

 恐ろしさと恐ろしさに翻弄される人々に、
 周囲を取り囲まれて暮らしながら、
 無駄に恐れる事なく息を続けていたいなら、
 学んで知るしかない。

 有機水銀はどれほどで人体に影響を及ぼすのか。
 放射能とはつまるところ何であり、
 どれほどで人体あるいは環境を破壊すると言えるのか。
 なぜ私の故郷近くの港が最適な人身売買拠点となったのか
 (人々の価値観よりも地形と潮流の影響が大きい)。
 故郷で穫れる食糧とそれによって得られる収入では、
 どれほどの人口を養う事が可能なのか。あるいは、
 どれほどの人口しか養い切れないのか。

 戦争が終わらないのはなぜか、を問うよりも、
 何をもって戦争と認識しているのか。
 せめて人によって見方によって、
 変わり得るものだと気が付いているのか。

 恐怖を和らげ落ち着かせてくれるものは、
 情愛や倫理よりも、
 実質的な知識による言動だ。


 断言する。
 無駄に怖がらされる筋合いは無い。

 一人一人は自分にやれる事しかやらなくていい。
 なぜならそれは同時に、
 自分にしかやれない事だからだ。


 自分しか気に留めず興味も抱かず追及しようとしない。
 それこそがやるべき事であり、
 他者からの評価など不要。

 私は知り得た事を文章にする。
 可能な限り広く提供する。
 経験した者にしか、
 言語化は出来ないからだ。

 家や故郷に安らぎなど存在しなかったからこそ、
 私は世界の安寧を追及する。
 生涯を終えるまでにほんの僅かでも恐怖を鎮め切れたなら、
 成し遂げたと言い切れる。


高野山の旅まとめ

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