今年春頃の問題提起2/3:めざせノーベル賞
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
私一人が考えたところで、
先に進むわけもないと思うので、
この記事を偶然目にした方々も、
それぞれに考えてみてくれない?
(文字数:約1700文字)
配偶者の物思い
先月親戚の葬儀に参列して、
帰りの車中で配偶者が呟いた。
「介護と福祉の分野で、
お金を発生させ切れたら、
ノーベル賞は確実だよね」
もちろん配偶者は、
「出来るわけがない」みたいな、
諦めの溜め息と共に呟いたのだが、
それを聞いてから私は、
その後の車中から黙り込んで、
結構真剣に考え込んでいる。
私の頭に浮かんだ流れ
そもそも「お金を発生させる」とは、
どの立場からのどの分野だと、
一般的に想定され限定されてもいるものか、
知らないし知ったところで従わないが、
私の頭に浮かんだのは、
「高齢者や障害者も、
普通に飯くらい食えるだけ、
稼げりゃいいんだよな?」だ。
健常者かつ成功者の側にいる連中が、
勝手に「それは無理だよw」って、
思い込みやがってるだけじゃね?
大体健常者かつ健康体かつ、
(実質ほとんど)男性でなきゃ、
耐えられないような激務に就かせておいて、
「正社員」だの「定収入」だの、
「真っ当な仕事」だのとほざいている、
現行の一般感覚自体が既に、
産業革命以降の相当に狂気的な姿だからな?
例えばだ。
あくまでこれは私が思い付く一例だが、
私は知り合いの御住職から、
滅多に聞けない面白エピソードを、
いくつも聞き知れているわけだよ。
先日亡くなった親戚も、
その奥さんに息子さんも、
1時間も話をしていれば、
当人はそれほどと思っていなくても、
「マジっすか!Σ(○□○)
それめっちゃ面白いんですけど?」
みたいな珍しエピソードが、
こっそり紛れ込んでくれるんだよ。
私が何を書いても飛ぶように売れてくれる、
全盛期の坂口安吾ばりの小説家であれば、
聞いたそのままでは迷惑が掛かるので、
もちろん加工し再構成はするけれども、
元ネタを聞かせてくれた方それぞれに、
謝礼をお支払いするはずなんだが!
今現在それほどの小説家ではないので、
払えない。
しかしそれでいいのか。
七十代や八十代の皆様だ。
先を憂いているうちに亡くなるぞ。
もうちょっと具体的に考えてみる
とは言え七十代や八十代の方々が、
知人や親戚にあたる小娘から、
ささやかな寸志をもらったところで、
「そんなつもりで話したわけじゃない」
と戸惑う事くらい予測できる。
ならば怪談師、宇津呂鹿太郎さんの、
「怪談売買所」のように、
商店街やグループホームで、
ある程度まとまった話を聞かせてくれたら、
100円あげる的なブースが作れないか。
腹立つか。
プライド傷つくか。
嫌な感じするか。
正味な話どうなんだ。
「もらったお金でおばあちゃん、
お医者様から禁止されてるお菓子、
買って食べちゃったんですけど!」
といったクレームは容易に想像できるな。
しかしだ。
俺の親父は小銭があれば、
自販機でワンカップ買ってたし、
俺の母親はお札や数珠に、
なけなしの家計注ぎ込んでたんだ。
つまり金の管理が出来ないのは、
何も高齢者や障害者に限らない。
それなのにどうして、
高齢者や障害者となると、
金銭の授受に使い道を、
管理されていなきゃならないように、
本人たちまで思い込むんだ?
たまには好きなもん買って食えるだけでも、
ヘルパーさんや介護士さんたちに向ける、
表情は和らぎそうな気がするが、
が、だ。
現実に、
酒を買ってきて隠れ飲むので困っている、
同居家族の話も、
掃除内職中の世間話でよく聞くので、
我ながら突き進む気にもなれん。
私自身もだから父親に困らされてきたしな。
皆さんも今ちょっと考えてみてくれない?
ちょっとでいいし、
強制もしないけど。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。