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【小説】『一個人Mix Law』1/8

 2021年秋に書いた、
 「家族」「記憶」がお題のSF作品ですが、
 急にnoteにも移したくなったのでやってみます。

 紹介記事は過去に書いていました。

(8回中1回目:約2000文字)


1 登録


 どれだけ嬉しい事だったかなんて、話しても伝わりはしないだろう。僕の国に来てみないと。
 もしかしたら、それだけじゃちっとも足りなくて、生まれながらに僕の国の、国民としてずっと長い間暮らしていないと。
 しっかりと僕の手を、握り締めてくる強さとか、あたたかさとか、僕を信頼、し切ってまではいないけど、信じてみようってどうにか頑張っている感じとか、
 何より僕は今、走っちゃっているんだよ? 健康のためとかトレーニングとかでもなく、僕には何の得にもならない事を、ただ君のために!
 君の足取りに合わせて、君がケガしないように疲れ過ぎないように気を遣いながら、僕にだって決して安全じゃない場所を誰にも見つからないように、だなんて僕はこれまでに一度だって、やった事が無い!
「あとちょっとだよ、シュテファン」
『本当?』
「僕の国だ」
 国境が敷かれているわけじゃない。それでも境界を越えた瞬間に、薄い膜みたいな壁を通り抜けた感じがある。僕の方だけの感覚で、シュテファンには分からないだろうけど。
『ここは……、まだ私の国だと、思うよ』
 キョロキョロとせわしなく辺りを見回しながら、シュテファンは上がった息を整えて、まだ走り出しそうにしている。
「大丈夫。もう、走らなくていいんだ。疲れたよね。まずは、休もうか」
『つまり、大使館があるってこと、かな?』
「うん。そんな感じ。だから今日は、もう休んでいいんだよ」
 立ち止まって落ち着いている僕を見上げて、ようやく一つ、頷いてくる。
『手続きとか、私の、パスポートとか……。私は、持っていないけど……』
「大丈夫。君が休んでいる間に、僕がどうにかする」
 本当はそんな手間を掛けなくたっていいんだけど、知らずに見たら驚かせるだろうから、ホテルに部屋を取ってシュテファンを、先にベッドで休ませた。
『ちょっといい?』
 掛けた布団から手を伸ばして、僕の腕を掴んでくる。
『私はまだ、貴方の名前を聞いていない。貴方のお父さんとばかり、話していたから……』
「朗だよ」
『ロウ? ああ。思い出した』
「父から、呼ばれていたよね」
 うん、と頷いた様子は悲しげで、父が死ぬ間際の声を思い出したなと思った。
『ごめんなさい。私は……』
「いいんだよ。さっきも言ったけど僕は、怒ったりしない」
 と言ってもシュテファンには、僕の言葉が通じないからしっかり伝わってはいないだろう。ずいぶんカンが良いみたいで、ある程度の意志疎通は出来ている気がするけど。
 亜麻色のやわらかい髪に、ミルク色の頬。ふた重の目はとび色で開くとパッチリ大きいけど、閉じている今も長いまつ毛に縁取られて可愛らしい。父が選び出したのもまぁ分かる。思わぬ反撃に遭ったのも、自業自得だろう。まさに。
 よく眠っている、のを確かめた上で、こめかみのデバイスをタップした。
 僕の家の寝室の、普段僕が使っているベッドの上に、ちょうどシュテファンも転送される。
 僕は、しょうがない。父が使っていたベッドに寝るしかないか。あんまり気持ちは良くないから、シーツはひと通り交換して。その前に。
 デバイスをタップして登録モードに入る。

 --死亡登録
   氏名  :御樟(みくす) 帥(すい)
   死亡地 :D国B市内、Rホテル325号室

 現地の情報が確認され次第、死因が確定するだろう。それと。

 --「家族」の追加
   氏名  :シュテファン
   性別  :男性
   年齢  :不詳。16歳未満と推定。
   採取地 :D国B市内
   続柄  :

 ちょっと迷ったけど「妻」にしておいた。「子」ではないだろうって思ったし、同性婚がどうの婚姻回数がどうのと、未だに言い合っているような国じゃない。
 それに外国人は、すぐ死んじゃうし、
 って思いかけてちょっと苦笑した。逆だって。僕の国の人間が、長生きし過ぎるんだ。
 僕はまだまだ百年足らず、だけど、時期が来て自然に息を引き取るだなんて、もう何十年も前から諦めている。
 死なせてもらえない。完璧な医療技術に危険予測システムが、国民を他の国の人間より、何倍にも長生きさせてくれる。300歳を過ぎていた父だって、見た目に気力体力は、40前後のままだった。
 命を大事に、なんて言葉は、かえって使われなくなった。命を貪り続けている国民に、皮肉にも程がある。
 だからねぇ、シュテファン。父が死んでくれた事が、僕にとってどれだけ嬉しい事だったか。
 こんなに嬉しい事だなんて。そして、嬉しい気持ちは消えないんだって。知らなかったよ僕は今まで、こんなに嬉しかった事もこれまでに、一度だって無かったもの。

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