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【小説】『一人巣窟』6/6

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(6回中1回目:約3100文字)


 対面の椅子に腰を下ろした時点で、知らせておく事にした。
「今日はおそらく最後の、訪問になると思います」
 穏やかそうに、細めようとしかけた目を向けてくる。
「これから家に帰ってしばらくは、そちらで過ごす事に」
 少しうつむいて、組み合わせた手元を見詰めている。
「御家族は、おられますか」
「ええ。います」
「御友人は」
「いますよ。数は、それほど多くありませんが」
「御仕事は、順調にいっておりますかな」
「それなりに」
 それだけで、済ませてもよかったはずだが付け加えた。どんなところを気にされているのかは、分かっていたから。
「法に、触れていないかどうかは、難しいところです。何しろ昨今は、法律の方が後からいくらでも、適用されてしまうので。しかしこう言ってはなんですが、人の血や涙を、流されたその時点で直接見る機会が少なく済む分は、幸いだったかなと」
「当事者には、まぁなるべくなら成らんに越した事は無かですからな」
 窓の向こうで軽く二、三回、頷いている。
「どうしました? さっきから、田舎のお袋か何かみたいですよ」
 苦笑してみせると「いえ。まぁ」と、口ごもってきた。
「寂しくなってしまうごと、思われましてな」
「そう、感じられますか」
 意外ではなかったし、顔に笑みさえ浮かべ切れたが、それを言われても困るといった思いがあった。
「ええまぁ。久し振りに、色々と話を、し合えましたので」
 言葉に変えるまでもなく向こうの側では思っているだろう。
 今更自分が。どの面を下げて。
「孤独は、悪かものとも言えません。孤独には然るべき、必要がありますから。ばってんどがん内容であれ、人と話の出来るていうのは、良かもんで」
「どうでしょうね」
 向こうの口調と、噛み合っていない事には気付いていたが、口を突いて出た流れで続けてみた。
「誰かと今後、二度と会わないつもりでいる時に、『もう会わない』と言ってあげた方が親切なのか、『また会おう』と言っておいた方が親切なのか、久助さんはどちらだと思います?」
「貴方御自身は、どちらが望ましかったと?」
 鉛筆の響きが淡々と続いている。
「分かりませんね。『もう会わない』とはっきり言ってもらえた事で、それから先を死に物狂いで頑張れた、ようなところはありますから。しかしやはり、それで良かったとは思い切れない。正しい判断だったとは、どうしても」
 ふふ、とやわらかく感じる笑みが向けられてきた。
「そいけん、私は話しやったでしょう」
 皮肉や含みの無いあたたかな、けれどもやはり造り込まれた印象の笑み。
「人が正しいと思われない事をしでかすのは、他に選びようの無かけんです」
 残念ながら自分は、母というものを知らず、母と聞いて連想するものは初老から老境にかけてのこの人の、この笑み方だけだ。
 誰の共感も望めない。もしかしたら、見た目だけの問題で共感はし合えるのかも分からないが、比べて見られるものではなく、確信も持てない。
「貴方はそいまでの間に、自分は当然選んでもらえる者と、思い込みよった。そいがために選んでもらえんかったとが、歯痒かとです。ばってんお相手の方には選び切れるだけの、余裕の無かった。たとえ貴方の目には余裕のある者に、見えておったとしても」
「余裕がある人には思っていませんでしたけど、徐々に良い方に、向かって行くのだろうと楽観視していましたね。だからこそ裏切られたというか、自分はいつの時点で、どうあるべきだったのか、今でも、分からずに」
「なん。余裕に差のあっただけの話です。貴方の方がいくらかは、多めに受け取れておったとでしょう。実のところは些細な差であっても、それまでに、蔑みば多く受け過ぎた者からは、とても越え切れんほどの甚大な差に映り、余裕を、奪います。見え方の問題です。貴方が何ぞ間違うたわけじゃなか」
「なるほど」
 とは呟いたが理解できたと言うよりは、理解しようがなかった事を把握しただけだ。
「いえ今のは私の、父の話なんですけどね」
「おや。私はまた、好いておらした同性のお方かと」
「勘弁、して頂きたい」
 その連想には寒気がする。深層で、繋がっていない事もないような気がするから、余計に。
「これから、という時に失踪して、未だに行方知れずです。おかげで私は中途半端な状態に放り出され、後の処理が実に面倒でした。愚痴をこぼそうにも身内の話は、友人にも、恋人や、幸いにして新しく築けた方の家族にすら、上手く伝わらないので」
「そいは、こがん愚にもつかんごたる人生なっと、聞いてみたくもなりますな」
「ええ。おかげでいくらかは折り合いが、付けられましたけれど」
 こうした場にいなければ、胸ポケットにある煙草を取り出して火を点けたいところだ。
「『本心が分からない』、とか『本音で話してほしい』、などと言われる度に、恐ろしさや不安といったものも通り越して、どこか諦めた気持ちになるんです。ああどうやらこの『家族』も失ってしまう事になりそうだと。もちろんそうなって欲しくはないんですが」
「口にしてしもうたなら良かとです。『恐ろしか』『怖か』『泣きたか』『助けてくれろ』て」
「そんな。大した理由も無く」
「理由なんぞは要らんでしょう。『得体の知れん鬼に出くわして、頭ば喰われてしもうたごたる』とでも、何とでも。そちら側におられる者には、容易かはずですよ。鬼の方でじゃ、なん利用してもろうて構わんとの」
 鉛筆の響きが淡々と続いている。職務なのだから一切を気に留めない事になってはいるが、ずっと肉声を聞かされて言葉を書き留めさせられて、彼の耳に指に頭の内に何一つ、残っていないはずはない。腹の内ではどれほど馬鹿馬鹿しく感じていることか、知らない方が良いのだろうけど。
「また、会えると思いますよ」
 手の内に、出していながらその日は開かなかった手帳は、そのまま内ポケットに仕舞い入れた。
「どのような形であれ。おそらくは」
 立ち上がり椅子の背の後ろに回った時、窓の向こうから聞こえてきた。
「強いて言うたならあん、犬の顔ば見たか」
「ツカサさんですか」
 クッ、と飛び出しかけた笑みを止めている。
「犬相手にそがん、さん付けなんぞ」
「失礼、と申し上げて良いものかどうか。貴方の話を伺っていましたら、どうも犬のように扱ってきた奴隷かもしれない、と思えてきましたので」
 鉛筆の響きがひと筋乱れたが、ホッとしたものか、かえってムッとさせたものかまでは分からない。
「面白か、想像ばされる」
「想像、であってほしいと願いますよ」
「もしかしたら貴方も、私の、この、鬼の立場に向いておった者かもしれませんよ」
「やめて下さい」
「いや。私はほんに、誰か適した者のおるとなら跡ば、継がせたかったとです」
 そう言うと目線を落とし、両手を組み合わせたままじんわりと、表情を固めていく。最後の最後にこの別れ方は、嫌だな、と思いかけたが、ゆっくりと口が開いて声が、押し出された。
「ばってん、もう、限界の来て、おる事は、知れとりました。私だけが、誰か、次ば、選り出した、ところで」
 完全に、固まってしまう途中にいたのか、あるいはこれまでも、声くらいなら出そうと思えば出せたのかもしれない。
「あの、カナヤて、名前は、実に良かった。『叶う哉』、と書いて、『叶哉』て」
 口の両端がゆっくりと持ち上がり、
「私には、とてもじゃなかですが、思い付かん。そがん、先が見えてくれるような、名前は」
 そこからは全く、動かなくなったが、見えても聞こえてもいるのだろうと判断して最後は、笑顔で締めくくった。
「さようなら。久助さん。また」
 ほんのわずかだが頭を下げてきたように思えた。

 ・  ・  ・ 6




注記:
 「了」は付けません。
 終わっていないので。
 終わらせ切れないダークサイドの『はてしない物語』と、
 位置付けていますので。

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