見出し画像

【小説】『一人巣窟』4/6

未読の方はまずこちらから↓

(6回中1回目:約3500文字)


 次の機会には向こうが話を始める前に、癖が出る事と、その時の様子を心配してみせた。
「御自身では、何が原因とお考えですか」
「それの分かっておったなら、瞬く間に治ってくれるとでしょうが」
「こうではないかと思う範囲で、聞かせて頂けたら」
 ペンに手帳を構えた向こうで、笑みを消してきた事には気付いていた。
「私がただ、思うておる事だけば口にして、そちらの感想など、一切求めずとも許される。そう受け止めても構わんですかな」
「ええ」
 多少不本意ではあったものの、可能な限り聞き尽くせる事を優先した。
「鬼の正体は、女であったとです」
 初手から厳しい、とは感じたが、意識して口は閉じておく。
「望みもせぬ者の子を、孕まされたり、ようやく身に孕めた子を、殺させられたり、奪われたり、あるいは子を孕めんというだけで、集落の全体から、どがん扱うても構わん者のごと蔑まれ尽くされたりした、女達を」
 そこでこちらの顔色を窺ってきたが、出来るだけ気持ちは乗せずに黙っておく。
「我が達に、罪があるなどとは考えたくなかもんじゃけん、人は、鬼と呼びつらかしたり、あるいは神のごと崇め倒したり、自分達では手に負えん、魔物のごとして扱うた」
 一つ、大層な溜め息をついて、
「私も『鬼に成れ』と命じられて」
 そう言われた時ふっと頭に浮かび上がって来たのは、まとわり付いて離れようとしない隣の者に、言葉ではたしなめながらも笑みかけていた、かつての姿だ。
「『あい分かりました。見事成り果ててみせましょう』と、若か時から随分な、無謀を重ねてきた、つもりですけんど」
 言いながらの苦笑を終え、こちらが気を抜いた隙間に、差し込んできた。
「本物にはなん適わん」
 出会った初めから終わりまでを、幾度振り返ってもこのひと言以上に、実感が込められていると思えたものは無かった。
「所詮男は、どこまでいってでん人で、人も生み出せずせいぜい鬼ば造り込むくらいじゃと、まぁそがんした事ば、強いて言うたなら考えよりますかな。固まりよる間には」
 この話題はどうやらそれで終わった、と判断して、
「貴方御自身は、同性愛者ですよね」
 片側の眉だけが跳ね上がった瞬間を見た時に、少しはやり返せた心地になった。元より争っていたわけでもないが。
「より不躾な質問である事は、承知していますが」
 しかし瞬間ですぐ平静に戻る。
「同性ば、好いた事のある者、というだけの意味でなら、その通りです。しかしながら一生のうちに同性しか好まんと決まり尽くした者、同性なら誰であっても好んで襲い回る者、異性の事は忌み嫌いよるけん商品のごと扱い切れた者、といった意味でなら全く、違いますな」
「そうであってくれた方が話は分かりやすくなりますけれどね」
「自分達からは大層遠か者じゃて、安心はしてもらえるでしょうな」
 何せこの人からは、いつも、生身の、心底からの実感というものを感じなかった。感情を見せてきてもどうも、造り込まれ制御されたものである気がする。
 造り込みが思うようにいっていなかったのは、隣に『犬』がいた間だけだ。
「若い頃はその髪も、長く伸ばされて、女性物の打掛けを好んで着ていたと伺っています」
「家に、男しかおりませんからな」
 こらえ切れずに笑い出したような時であっても、それが本心であるかどうかは分からない。
「まぁ九割九分、七、八は。実に、二十年以上も」
 真意がどこにあるのか、何を意図してこの話を、この言い方でしているのか、家にいる者達は皆頭を悩ませながら、神経を研ぎ澄ませながら聞き入っていたものだが。
「家にあまたおる若か者の目くらい、たまにゃ楽しませてやらんで一体、どげんなりますか。そがん好みの一切無か者であっても、指ば差しながら鼻で笑うてやるくらいには、興趣に成り得たて思いますよ」
 つい呆気に取られしくじったように思ったが、一般的な感覚からもそう遠くない反応だと思い直した。
「皆の、ためであったと?」
「ため、などとはよもや言いませんが、私自身は自らを、見世物のつもりで」
「鬼と見世物とは、同義ですか」
 とっさに飛び出した連想だったので、補足しておく。
「貴方にとっては。もしかすると」
「同義です」
 すると存外にはっきり答えてきた。
「ただし、自ら成り果てた者に限っては。本物とはまた、違いますな」
「本物は、造り込まれる者、つまり成らされる者だと」
「否応無しに」
「そしてそちらには敵わないと」
「一切」
 これまでに、書き込んだページをめくり返しながら、ペンの尻でこめかみを叩きさてどうまとめたら良いものか、悩むそぶりを見せておく。現実に解釈を悩んでもいる。
「それは私の側の認識と、相当にかけ離れたものと言えそうです」
「そうでしょうな」
「自らを、正当化しているようには感じませんか。あるいは、正当化しているように受け取られかねないとは」
「正当化も何も。私にとってはそれこそが、正当ですから」
 先ほどから窓越しに目を合わせ、相手の調子に寄せられかけている事には気付いていた。
「一つだけ、明らかにさせておきますと、本来の鬼は、退治される性質のものではなかとです。わざわざ退治される事にしてしもうたけんで、悪か者に見えるごと、また見せてやらんばごとなってしもうた」
「ああ」
「造り込まれた者に対しては、良いも悪いも本来、判断が利きません。頭ば抱えて悩まんばならん者でも、他人様から目くじらば立てられて集団からは追い出されんばならん者でもなか。ひょっとしたら貴方も、同性愛者であるならと思いながら話ばしよるとですが」
 どう、返したものか言葉に詰まって、すぐに言葉に詰まるだけの間を空けてしまった時点で失敗だと、腹をくくった。
「なるほど。先の貴方の答え方が、適切かそれに近いと認めます」
「私の前だけでなら、認めやすかでしょう。この部屋ば出た他所の場所では、とても」
「問題は、ありません。私の場合はより一時的なものでしたので」
「いっそさらけ出してしもうた方がまだとらわれんで済むもんを」
 クックッと、笑いながら言われたのでより突き刺さった。
「そちら側一般の人間というものは、まぁ不都合ですな」
 笑い声がやみ鉛筆の響きもなくなって、あの癖が、と手帳には記そうとした。
「こいでも子供に関しては厳しく取り決めておったとですよ」
 鉛筆が再び走り出す。
「子供ばまだ育ちも切らんうちに、犯した者は、やっとる事は一緒でも、仕事の質に量は他の者と変わらんでも、確かにそいばやったと知れたなら、即座に、最も重か罰ば与えてやりました。
 そこば厳しくさせるために、他は皆周りの好いたごと、させたと言っても差し支えのなか」
 自分達子供だった側に、配慮されていた覚えは無い。子供はひとまとまりに扱われ、むしろ毎日都合良く、引き回されてはこき使われていた気がする。
 ある日自分一人だけが呼び出され、連れて行かれた部屋の内で、『犬』に会うまでは。
「『知らんかった』だの『騙された』だの、言い訳にならん。『真に惚れ合いよったとじゃけん年の程は関係無か』だのも、話に、なりません。腹の内に、頭の中はどがんあれ、人はただ言うた事にやった事、ハンコば突いてしもうた事だけで、裁かれるべきです。
 命は取らんでもその子の一生ば、壊しますからな。結果は造り直せても、ある程度は取り戻し切れたとしても、一度は確かに、粉々に。殺したものと変わりはしません。せめてそいだけの事ばしでかしたという自覚くらいは、持ってもらいたか」
「それは貴方の経験ですか?」
 向こうには珍しく、言葉に詰まった。
「御自身がまだ子供のうちに、経験された事で、結果それだけはどうしても許せないと?」
 閉じた唇の内側で、軽く舌先を噛んだかもしれない。唇が、また開いても更にひと呼吸の間、声は出さなかった。
「まぁそがんした事ば考えながら暮らす、きっかけの一つにはなりましたな」
「御本名を捨てるきっかけにもなりましたか」
 ほんみょう、と今初めて聞いた異国語のように繰り返して、首を振る。
「いいえ。それは違います」
「しかし子供時代の貴方は、御本名で過ごされていた。そうした連想をされても何ら不自然ではないと思いますが」
「連想は、御自由に。ですが、たとえそうであったとしても、私はそうとは答えません」
 とは言え訛りがなくなっている。そう気付いたが指摘はしなかった。意識した途端元に戻ってしまうかもしれない。
「それだけが、原因であるとは言えません。誰かしらの何事かだけを原因に据えた途端、その周りの多くのものを、見失いますから」
 意識させないようにただ聞き入っていた間、頭の内では向こうが言うところの『犬』を、思い出していた。

 ・  ・ 4 ・ 


何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!