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【小説】『一人巣窟』5/6

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(6回中1回目:約2600文字)


『ツカサ。お前に遊び相手ば連れて来たぞ』
 部屋、と言ってもそこは屋敷の中でも、特別に主人のために築かれた離れで、三間続きで広い庭もあり住んでいた頃の自分は気付いていなかったが、砂浜にも下りられた。
 島にいた者達の大半よりは、良い暮らしをさせてもらえている、と言えたが、ツカサと呼ばれたその『犬』は、自分達子供が日々やらされていた事、掃除とか繕い物とか計算とか、その合間の読み書きとか、そういった何事も、ほとんど教えられていなかった。おそらくは三十を少し過ぎた、見た目にも健康そうな働き盛りだったのに、初めのうちは、子供の自分がふと目の辺りに手を持って行っただけでも、ビクついて腹や頭をかばいながら、部屋の隅に縮こまっていた。
 何をやらせても間違えるか、不充分であるかして、周りにいる者を怒らせてしまうのだ、自分が触れた物も息を吹き掛けた物も、その名を呼び掛けてしまった者も、汚れてしまってそれからは、誰の手にも触れてもらえなくなるのだと、思い込まされていた。
『主人から、ずっと、そのように?』
 訊ねると、にへらと途端に笑顔になって、
『久助は、なん怒らん』
 と返してきた。
『久助だけは、オイが、そばに寄ってもくっついても、許してくれる。久助だけは、オイが触れても汚れんで、他の者からもなん変わらず、寄り付いてもらえるとじゃ。オイは、こん、部屋におる間だけは好いたごと、息の出来る。生きとって、なん構わんて思い切れる』
『前の主人がコイツらば、いじめ抜くごて扱うたけんな』
 主人の方ではそう、弁明してきた。
『いじめられよるそん中でも、いじめの起きて、いじめ抜かれて、最下層に長く居らされ続けよったもんじゃいけん、主人になれた時点で拾うてやらんば、どがんしようもなかった』
 初めのうちは、信じていなかった。ひどい目に遭わされたものだと呆れ果て、ここに一人だけ連れて来られた自分の行く末も、思いやられて気が沈んだ。
『久助。久助早よ、背中ん人ばオイに見してくれろ』
『ダメじゃ。カナヤの、起きとる間はな』
「貴方のお話を聞いているとどうも……」
 どのような口調で切り出したものか迷ったが、結局苦笑混じりで問題は無いと判断した。
「恐ろしい。と同時に滑稽です」
「滑稽ですか」
「ええ。所詮は異常者が、苦し紛れに言い訳をしているようにしか聞こえない」
 窓の向こうからの目が向けられたが、
「……という事にして真剣には、耳に入れないように、理解しないようにしておきたい」
 そこまで聞くと軽く二、三回、頷いてきた。
「まぁ、そがんあるでしょうな。そいけん私も大人しく、刑に服しよる。かえって申し訳んなかごとありますよ。私は心穏やかに、何不自由無く、最期の来るまでば過ごしておられるとですから」
「後悔は、ありませんか」
 ペンを挿した手帳は、手の内に閉じて、笑みを残した顔を上げてみる。
「貴方には、自らの罪を認め、目にも痛ましいほどに自らを、責め苛んでもらいたいと、まぁ一般からはそのように、思われていると思いますが」
 お前ごときが一般を代表するなと、部屋にいた頃であれば呆れ顔で叱ってきただろうが、今の彼はクックッと笑いながら、
「ええ。分かりますよ。分かりますけんどそいは、選ぶ余地のあった者の考え方です」
 向けた誘い水に乗ってくる。
「そもそもが私の下におった者達は、どこから湧いて出た者でしょう。どこの、誰の下から追い出され、わざわざ私の下にまで、流れ着かんば事になったとでしょう。私の下から出て果たして、今頃は何ばやりよるものでしょうか」
 要は何を言いたいものか、即座に思い浮かぶような言い方をして、存分に描けただろう頃合いで言ってくる。
「貧しさは、理由ではありません」
 予想を上回る事も無く、相手に多少なり侮らせた上で、続けてくる。
「富み栄えた者の目には、貧しさが、原因に見えてしまう事が原因です」
 呆れた相手が適当に、聞き流してくれるのを良い事に、自分が思うさまを語り続ける。元よりまともに理解してもらうつもりなどは無い。
「富み栄えた者の目が無ければ、人は貧しさも知らず、身の周りにある物を工夫しながらどうにかそれなりに、生きて行きます。
 妬む心がよろしくない、と富み栄えた者達は言うでしょう。貧しい者は身の程を弁えた上で、慎ましく暮らすか、あるいは貧しさから抜け出すための正当なる努力をせよと。しかしながら富み栄えた者達が貧しさを蔑む、この心も同様に、よろしくないものです。
 蔑む心など自分には無い、と言い張れる者は、残念ながら自らを、見失っております。心というものは自ずから湧き出てきて、意志などでは止めようがありません。それ故に腹の内や頭の中のみで人は、裁かれない」
 そこでこちらの顔色を窺い、「裁かれるべきではない、程度に留めておきましょうか」と加えてきた。
「富み栄えた者達は幸いです。余裕が、ありますから。腹の内や頭の中を、言葉や行動に移さずとも、済まし切れるだけの。貧しい者には、いや、富み栄えた者の目で自らを眺め、自らを貧しいと、蔑んでしまった者には、そのような余裕がありません。そのために、言葉に移す。行動にも移す。故に裁かれる。富み栄えた者達の身代わりとなって裁かれる、と言い替えてもよろしい。
 私は自分が許されるべきだ、と主張したいわけではありません。しかしながら」
 ぽん、と音を立て組んだ手を、座った膝に乗せたまま身を少しばかり、乗り出して来た。
「貴方と腹の内はそれほど違いの無い者だ、とだけは申し上げる」
 鉛筆が聞き取った言葉を追い、最後の丸を閉じた頃合いでまた、口を開く。
「『誰か一人』ば捜しよる間は幾度でも、繰り返します」
 椅子に深くもたれ直し、穏やかそうに目は細めて。
「私は外国の神様など、一切信じてはおらんのですが、『誰か一人』ば捜す事をやめ切れた時に、ようやく、ヒトの前に御姿ば、現して下さるとじゃなかですかな。果たしてそん時のヒトが、今のヒトと、同じであると言い得るかどうかは、分かりませんが」
 その日は宿に帰り、それまでの走り書きを眺めながら、もはやこの他には何も出て来ない、と判断した。『一般』の側にいる者に対して、彼が戯れにでも言ってみたい事など、もう何も。

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