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何の参考にもならんと思うが受験偏光版

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 私の場合は特殊な状況下にあったもので、
 そんな奴もいるんだ(いたんだ)程度に、
 お読み下さい。

(文字数:約2000文字)



親が無職ないしは失業状態

  親ガチャ、
  という単語に対する好き嫌いは別として、
  現実として人生の前半は、
  親の存在と就業状態に大きく左右される。

  私の中学入学、そして、
  三歳差の姉の高校入学と同時に、
  父親が無職になってくれたもので、

  歩いて通える地方国立大学に、
  奨学金をもらって通う道しか、
  我々姉妹には存在していなかった。


故郷のジェンダーバイアス

  もちろん、
  「女の子を四年生大学に、
   入れる必要なんか無いよ」
  と言った意見も、
  1990年代には多く聞かれたが、

  そこには有難い事に、
  両親二人が賛同していなかった。

  両親の故郷が期待する進路は、
  女子に対しては、

  教師か保育士か、
  看護師か介護士か、
  温泉宿の中居か農家の嫁か。
  (水商売か風俗業)。

  全部でこの6つ。

  その6つに入れない者は、
  ()内の2業種にしか行き場がなく、
  そちらに進んでしまえば親に親族も、
  縁を切った者と思うしかない。

  裏を返せば、
  四年生大学でも出てくれたなら、
  上記の6業種に就かせなくとも、
  親は故郷に恥じず堂々と、
  構えていられるわけだ。


悲しくはない諦めがつくから

  幸か不幸か三歳年上の、
  姉がいてくれたおかげで、

  姉が先鞭を付けてくれる道筋を、
  きっちりなぞって確実に、
  現役合格する以外の行動は、
  私に想定されてすらいなかった。

  滑り止めも受けられない。
  受けて合格したところで、
  通わせる事が出来ない以前に、
  受験費用自体が親には痛い。

  奨学金をもらって、
  実家から国立大に通って
  授業料免除も受ける、

  が完全セットだ。

  入学後も成績優秀を維持しなくては、
  授業料免除は取り消される。

  実質的に金に飯が無い状況下では、
  自然と諦めがついてくれる。
  諦める以前に夢や希望などを、
  思い描く余裕すら無いわけだが。


堂々たる文理格差

  姉と比べると私には、
  少々困った要素があって、

  算数だけは大の苦手だ。

  転校先の授業内容が進んでいて、
  小学校時点からつまずいた。

  そして地方国立大学に、
  私が行きたいような文系学部は、
  存在しない。

  地方の企業からは、
  即戦力となる理系の学生しか、
  求められないとされていた。

  ちなみに先述の6業種に就くのなら、
  両親ともども故郷に戻るべきとされる。

  致し方なく高校の文理選択で、
  理系を選ぶ羽目になったが、
  先生方からは残念がられるし、
  もちろん校内レベル最低クラスだ。

  校内では最低なだけで、
  進学校にいる時点で、
  世間的には上位なんだが。


卑怯者だがそれがどうした

  すると奇跡的に、
  目標としていた地方国立大が、
  当時はまだ珍しかった環境系学部を、
  ちょうど私の入学年から創設した。

  しかも文系受験が出来たので、
  それはもう全力で舵を切ったさ。

  理系のくせに文系受験なんて卑怯者、
  と同級生からは散々けなされたが、
  知ったことか。

  私には現役合格が必須なんだよ。
  しかも授業料免除が取得できるほどの、
  優秀な成績でだ。

  算数と物理と化学以外は、
  正直クラスの中で浮きまくって、
  女子としても笑われ嫌われていたほど、
  えげつなく勉強しまくってきたんだ。

  「あの時もっと勉強していれば」
  なんて後悔が一切無いって、
  清々しいだろう。

  やれるもんなら真似してみろ。
  やらんしやりたくもないだろうけども。


結果の大学生活

  環境系学部。
  悪くはなかった。

  当時は学部自体が、
  各地で構想され始めたばかりで、
  学ぶべき内容に取れる資格なんかも、
  全く定められていなかったから、

  親や企業からは、
  「そんな学部に何の意味があるんだ」
  とか鼻で笑われ続けて、

  高い志を持って入学したのに、
  心を折られたり潰されたり、
  自分が求めていた環境じゃないと、
  中退した後に挫折したりと、

  他学部からは変人集団扱いされたり、
  自ら命を絶ってしまう者も、
  異様に多い学部の、
  特に初年生だったけれども、

  言い換えれば良くも悪くも、
  自由だった。

  「モラルで片付ける奴には単位をやらん」
  と一年目最初の講義から、
  理想論など叩きのめされた。

  最貧国の実情に涙したかと思えば、
  次の講義では、
  産油国の実情にも頭を抱え切れた。

  四十代になった今頃、
  ハマりまくりつつある民族学に、
  今思うと最も近い学習環境だった。

  小説家としては最適なカオスだった。
  おそらく2024年の現在よりもずっと。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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