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死人に口なしだが、「死」のメッセージは伝播する

コロナがおさまってきた国もあれば、依然として蔓延している国もあるようだ。

コロナ以外でも嫌なニュースが最近は飛び込んでくる。むしろこれこそが、コロナからの第二波なんじゃないだろうか。と思うくらい、もしコロナが無かったら、この人達は死んでなかったんじゃないか。と思ったりもしてしまう。

木村花さんの話だが、前提として申し上げたいのは、私はテラスハウスという番組が、若い男女で共同生活して、その中の恋愛模様などを視聴者が観察するような番組という事は知っているが、深夜テレビで見るものが無くてザッピングの時に2秒から最長でも1分くらいしか見たことしかない。

もちろん木村花さんの訃報で木村花さんという人物を知り、ニュースや各所の記事で何が起こったのかも知った。共演者については全く名前も何も知らない。原因となった場面は映像で見ていないが、何が起こったか記事では読んだ。事の真相はわからないが、それは世の中の人のほとんどが同じだと思う。

そしてついでに申し上げれば、テラスハウスような番組が私は面白いと全く思わないので、やや批判的な書き方になるかもしれないが、なるべく配慮して書いていきたい。

テラスハウスはNetflixで放送されていたり、海外でも大人気のようなので、私の同番組が面白くないという感覚は世間からズレていると思う。

とりあえず、なぜあのような番組が嫌いなのか、理由から言えば、まず見てても自分の恋愛観が狂っているので、何も共感できないから面白くないということと、男女で閉じ込められて番組のコンセプトや目的として何がしたいのかよくわからないからだ。

それを面白いと思う人が見るんだろうし、私は面白いと思わなかったから見なかった。それは別にどの番組でもあることだと思うし、人それぞれだと思う。

暴力的なシーンに嫌悪感を抱く人もいれば、私のように腹がちぎれるまで笑う人もいると思う。何が琴線に触れるかというのは人による。

とはいえ、なんにも見ていないものを語れないので、何人かテラスハウスが好きそうな人のnoteの記事を読んでみた。とりあえず、個人の価値観や恋愛の嗜好だったり、そういうものが会話から読み取れたり、会話から人間関係への影響などを、視聴者が上から共感して観察できていることが面白いようなイメージを自分は抱いた。

それを読んでみて、あぁなるほどな。と思ったが、今回の事件はその”共感性”のようなものが、凶暴化した結果かもしれないと感じた。

小学校の頃の女子が、誰かが泣いたら、その子の取り巻き何人もが一斉に攻めたてるような、先生に言うなり、無視するなり、そんな状況が目に浮かんだ。

同時にそれは”共感”なのか、と疑問を抱いた。”共感してあげてる感”というか、”私達は仲間だよ、こっちの味方だよ感”というか、幼稚なものを感じた。信念もなにもない浅い関係だ。

前に男女平等の記事でも書かせてもらったが、パートのおばさんばかりの集団の中で働いていた時、おばさんになっても女性たちがグループを作って、中学生のように協力を拒み機能していないことに衝撃を受けたと書いた。(多分、私の働いていた会社がそうだっただけと信じたい。)

結局価値観を認め合わない思想のようなものは、自分の価値観を崩さなければ、混ざることはない。同じ価値観同士のものがくっついていれば、どんどん同じ思想で、自分の考えが普通で正しい、間違っていないと思うことはあると思う。

私達自身に自分の価値観を崩してまで、相手を受け入れる寛容性があるのか。ということを私は心配している。多分、多くの日本人には無いと思う。

木村花さんが亡くなった事は残念だが、私がネットの記事だけ読んで旧友のように、彼女の人柄について語るのもおかしいので、シンプルにネットに悪口を書き込む事とか、集団で燃え上がることについて考えてみたい。

まず私はそこまでコメントしたりする方の性格ではないが、とても自分にとって有益な情報であったり、この情報についてもう少し聞きたいな、ということがあれば、良質なコンテンツ創作のモチベーションを上げてもらう意味でコメントを書いたりしている。

当たり前だが、コメントするならポジティブな内容でしかコメントしない。良いコンテンツじゃないなと思っても、本人が「ネガティブな感想もどんどん書き込んでね。」と言っていたとしても、書き込むべきじゃないと考えている。

いきなり朝の通勤の駅で、見ず知らずの他人に「スーツダサいっすねぇ、大丈夫ですか?」と言うやつは、どう考えても頭がオカシイだろう。こちらが毎朝見て、そう思っていても、向こうは自分を知らない可能性が高い。

思っていても、人を不快にさせることを言わないのは、普通に人間として当たり前のことである。リアルでもネットでも同様だ。

ネットは一方通行になりやすい。芸能人なら多くの人に知られているが、芸能人は視聴者の姿など知らない。良くも悪くも芸能人を見慣れてしまっている視聴者は距離が縮まっていると勘違いしやすい。

インスタやツイッターなどで簡単に本人にメッセージを送れる今なら、知らない人から数々のメッセージが送られてくるという、恐怖体験をすることになる。

今回の事件でテラスハウスの制作側に落ち度があったのではないか、と矛先が変わっている。もちろん過剰演出やヤラセでいい結果が生まれることはないが、私はどう考えても視聴者側(誹謗中傷を書き込んだ人達)に問題があると思っている。

ヌードやバイオレンスな表現が無くて、放送コードに則っていれば、制作側には問題はないと思う。良いCMだなぁ~と思ったら、パチンコや聖教新聞だったというオチもあるように、演出でよく見せようということは悪いことではない。褒められた事ではないが、むしろ昨今、当たり前に行われている技術である。

怪談話で「これは本当にあった話なのですが……」という枕があるように、それを本気で受けて「そんな話どこでいつ起こったか、言ってみろよ!」とクレームを言っている人がいたとしたら、頭がおかしい。

怪談話で、それを言うのは当たり前だし、本当にあったとしたら…という恐怖感を煽る為に言っているのであって、その嘘(多分)の演出を理解した上で怪談話を楽しむ事に意味があり、それが真実かどうかはどうでもいいのである。

それを踏まえて考えてみると、間違った”共感性”を持った人格と、怪談師の枕を本気と捕らえた世間知らずが、今回の事件を起こした犯人だと思う。

上記に加えて、匿名だからと自分の感情をそのままコメントに書き込むという行為を実行してしまう愚かな人間という事だと思う。

死んだ人が戻ってくることはない。それは当たり前の話だ。

だからこそ、人の死というものは、いまを生きている人に絶大なインパクトを与える。自動車事故でも白血病でも、寿命を全うした大往生でも何かしら私達に与えてくれる。

話の角度は違うかもしれないが、アメリカで警官に押さえつけられて窒息死した、ジョージフロイドさんも、死を持って私達に強大なインパクトを残してくれた。良いか悪いかわからないが、彼が死ななければ、ここまでのインパクトにはならなかった。

死んだ人の肉体がなくなろうとも、その人の人生や言葉は、今を生きる人達の中に取り込まれる。

ただ、その人を愛していた人は、故人とは二度と話すことは出来ない。食事もできなければ、買い物も行けない。今まで当たり前と思っていたことが突然全てなくなってしまう。だが自分の中にその人の言葉や思い出だけが取り残される。死んだ本人と同様、故人を愛する人も孤独になる。

交通事故や通り魔に自分の愛する人が殺されれば、損害賠償を取れるかもしれない。それが無意味なことも、本人のためにならないことも知りながら、せめて僅かながらの無念を晴らすことができる。生き返らないし、どうしようもできないから、それをするしかない。

だが今回の犯人は匿名であり、集団であり、確実に実体があるのに掴めない。殺そうという覚悟がない、生半可な間違った正義感や共感性で人を痛めつけた人間達への、賠償のさせ方もわからない。

この記事を最初書くかどうか迷ったが、書いているうちに自分の気持ちを言語化することで、改めて自分で自分の気持ちを理解することが出来た。

なぜ私がテラスハウスを見る気にならなかったのか。

他人の生き様を隠れた場所から覗き見て、神にでもなったかのように人の人生を面白がるような感性の視聴者と、同列になりたくなかったのだ。

フェイスブックで全然自分の写真や投稿をしないのに、逐一知り合いの動向をチェックしてパトロールして、パトロールしていることも本人に明かさないような人間になりたくなかった。

上記の2つの人間が、共通した人間かどうかは、わからない。全員がそういうわけじゃないだろう。そう信じたいし、それ自体は別に悪いことではない。だが、そういう人間とは友達になりたくない。これは私の好みの問題で、別に他人を覗き見したい人達も私とは友達になりたくないだろう。だからこそ、大多数の人と私の感性が合わない。

ただ、傷つけられる度胸のない人間が人を傷つけるな、とは思う。他人を覗き見て、神のようになった気分を得るのは、人それぞれ性癖があるので結構だが、影から鉄槌を下すのは全く間違っている。

やや暴力的な表現に受け取られた人がいたとしたら、申し訳ないと思う。ただ、自分にもいろいろ思うところがあった。

昨今の中学生や高校生などの若い人が自殺するのは、だいたいLINEでグループを外されたとか、ブログで悪口を書かれたとか、そのようなことだ。木村花さんに比べれば、規模が小さいとも思うかもしれないが、彼らにとって学校の友人は彼らの生きる世界そのものだ。

根も葉もない噂をクラスで共有されて、影から監視されて距離を置かれるような、世界中の人が自分を監視しているような、ネットリテラシーの問題はかなり根深い問題ではある。

私達自身の中に、そのような価値観というか、真偽関係なく他人の生き様を見て面白がるような文化が根付いていることを自覚しておかなければいけない。

木村花さんを死に至らしめた人達の素性はわからないが、そっちを追求するよりも、少しでも木村花さんの死に報いて、ネットでの犠牲者が減ることを願いたい。



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