見出し画像

将来の不安は、将来が来ると無くなる

情熱大陸で錦鯉(お笑い芸人の方)が特集されていた。

特別な錦鯉のファンではないし、情熱大陸のファンでもないが、なんとなく3連休なのでTVerで見てしまった。

ひとつ印象に残ったのは、錦鯉の渡辺さん(ツッコミ、歯があって、ベテラン刑事みたいな方)が言っていた、「将来の不安とか、もうここまで来るとないっすねぇ」だった。

併せて、20~30代のころのほうが将来の不安ってあると思いますよ。的なことを言っていた。

確かに、錦鯉の年齢で言えば、将来の不安というか、今が将来そのものであると思う。そこから逆算すれば、現状が不安定であったとしても、去年と今年も生活水準があまり変化なく、なんとか生きられて、来年も特別トラブルがなければそうなるんだろうな。という見通しが立つ。

そうだとすれば、確かに将来の不安というのは無いかもしれない。

よく考えてみると、想定できる将来の不安というのは、将来になってみると意外と実害のないものである事が多い。

例えば、就活がうまくいかずに就職できなかったらどうしよう。と思うかもしれないが、それは必ずしも全員が行きたい会社に行けるわけじゃないので、行けなかった人のための人生というのは必ず用意されているわけである。

高校に入学して周りの人が気持ち悪くてドロップアウトしてしまっても、高認試験はあるし、大学生活が空虚なものでも、編入試験や留学、卒業が面倒だったら、中退して普通に就職してもいい。

私達は人生で勝手に結婚したり、子どもを育てるとか、年代に合わせたノルマを達成するような未来を想像している。将来の夢というか、夢があればそのような未来に近づくために、今できることをやって、実現できるのか距離を測っている。

学生時代にはそんな事なかったかもしれないが、彼女が欲しいと思っても出来なかったり、テストがうまくいかなかったり、部活のレギュラーになれなかったり、それは当然ながら理想と違うことはあるだろう。自分の努力以外の要素が強いものは実現が難しい。だが、なぜか大人の世界だと勝手にノルマが課されている気がする。

ある程度の年齢で達成できなければ、諦めて方向転換するという判断をするだろうし、そうする若手芸人も多いだろう。要は子どもを経済的に十分な環境で育てたいとか、安定したいとか、見通しを立てた時に時間的に間に合わない可能性があると考えて、そのような判断をするのだと思う。

別の場面で長谷川さん(白スーツで歯と髪の毛がない方)が、じゃあ今さら方向転換して何になんだ?と考えた時に、選択肢がないから続けるしか無いということも語っていた。わずかに見える希望にすがるしかないという状況でずっと我慢してきたということらしい。

確かに、お笑いで仕事もなく、正社員になれず今もバイトしているのなら、方向転換しても夢を失うだけで、バイトの時間が増えるだけではある。それなら、お笑いをしていたほうがいい。

日本にはなぜか転職を悪とする文化もあるし、そこから派生して一定の年齢になると転職が難しくなる現実もある。ボーダーが35歳と言われているが、確かに35歳までにサラリーマンとかそのような仕事を全くやってこなかった人が、いきなりオフィスワークで契約社員とか正社員に就職はかなり難しいだろう。

個人的にはそのようなゴミみたいな文化は無くしてほしいし、そのような文化を設けない会社を起業したいくらいである。そもそもオフィスワークをしていた人でさえ、新卒から40歳くらいまで働いていたとしても、いざ転職すると同じ給与水準では簡単には採用されない現実がある。

実力がない人間を採用する義理もないのだが、誰にでも出来るような仕事なのに、年齢や見た目の雰囲気で採用しないという謎の文化も日本には存在する。以前勤めていた会社では、履歴書の段階で平気で「女性だから落として」とか「年齢行き過ぎてるからダメ」とか普通に言っていた。

同じ職場で、女性も年齢が行き過ぎている人も一緒に働いていたのに、上司はどういうつもりで人間を採用しようとしていたのか謎である。そもそもお前いくつなんだよ。という話でもある。

なんというか、日本には『既得権益気質』な文化がある。試験に一回合格したら、後は一生オッケーみたいな感じである。免許仕事のような考え方がどの職場にでもある。

私はずっと前の記事でも、そのような文化を『イス取りゲーム』という表現をしていたが、東大を出て早めに若いうちにイスに座れれば、もう一生安泰、ということであったり、年齢を重ねてある程度出世すればイスに座れて安泰。ということである。

要は、何かしら早めにイスに座っていくゲームで、是が非でも転職などをせずイスを自ら明け渡すようなバカなことはしない文化になっている。それが今は、上の年代の人口が多すぎて、能力が低く経営不振になり、イスが無くなっていることが問題になっている。

その文化に付き合うのがバカバカしくて、若者が早くからドロップアウトしている傾向もある。

転職をするということは、そのイスにある程度の年齢になっても座れなかった人間という烙印に近いものがある。(今はそうじゃないが)

政治でも企業でも、いろんな組織の中にそのイス取りゲームのせいで、無駄な労力を使う人がたくさんいるわけである。

当然、イスに座っている人間からしたら、そんな文化が無くなったら自分たちが競争にさらされるので、そのような変革はなるべく起こり得ないように仕向けたい。

今も昔もそうだが、お笑い芸人を目指すような人というのは、一定数いたんだろう。諦める人も一定数いただろうし、諦めずに続ける人も一定数いるわけである。

彼らがイスに座ることは無いんだろうが、座らなくても座っている人間の一生分の給料を、1年で稼ぐ可能性だってある。

システム的にサラリーマンへ向かうようになっている社会も、現代に合っているんだろうかとも思ってしまう。

Youtuberやお笑い芸人がエッセンシャルワーカーと同列にならない社会に必要とされない仕事だとしても、ありふれた特定のサラリーマンの仕事や企業自体が必ずしも社会に必要なのかというと、それはそれで微妙である。

サラリーマンなどの仕事はほぼ、イスに座りたい人以外はメリットはないし、もうこれからの時代はイスに座れることもないだろう。

何も考えずにそのような方向へ向かっていくのなら、やはり一発逆転があるお笑い芸人などを目指している方が、精神的な安心感はある気はする。

根無し草というか、どこに向かっているのかわからないとやっぱり人は不安になる。

サラリーマンで毎年貯金して、何歳になったら留学するとか、起業するとか、牧場やるとか、南の島で暮らすとか、そういう目的があると良い。

ただ、出来るか出来ないかわからない結婚とか子育てとか、漠然としたものにすがっていても、他人の人生を背負うことになるし、より不安感が増すかもしれない。やはり子どもが生まれても不安だろうし、その先も不安になるかもしれない。

当然ながら将来の不安というのは、将来があるから生まれるものである。子どもが生まれれば、子供の将来分も自分が背負うことになる。

将来がない人間に将来の不安はない。もう死ぬのがわかっている病気やある程度の年齢になったら、もう先を見通せる。そうなると不安は生まれにくい。

もしかすると、そのような時には改めて過去への後悔が生まれるかもしれない。『もっとこうしておけばよかった。』と思うのは、先が見通せるようになってからだろう。その時に、子どもが欲しかったなぁなんて思う人もいるかもしれない。

将来が不安なら、過去の後悔を処理していくというのも良いかもしれない。

人間は誰が決めたわけでもないのに、勝手に年齢や環境を言い訳にしてしまいがちである。将来の不安を抱きながら、いろいろ言い訳して先延ばしにしたり、諦めたりしていざ終末期を迎えたとしたら、それは納得の行く人生になるんだろうか。

なるかもしれないし、ならないかもしれない。それはまさに将来の不安の正体の気もする。

もし、これが実現できれば将来の不安が無くなるという、今の自分が確信を持てるものがあるとしたら、それに向かっているのが一番有意義だろうし、叶えば将来の不安が無くなる可能性が高いし、少なくともそれに向かっている期間も将来の不安を解消できる行動に繋がっている。

現代でイス取りゲームをやっている人が多いのであれば、これからの時代は自分のイスは自分で作る時代である。社長になりたいのなら、出世を待つ時間が無駄だから、自分で起業したりフリーで始めるほうが早い。30年以上短縮できるだろう。ちっぽけな趣味が仕事になるような時代でもある。

結局、将来の不安はイスがないことに対する不安かもしれない。それなら、イスを作る努力を一生かけてやっていくことで、かなり不安が解消されるんじゃないだろうか。

なりたい自分になれない不安というのは大きい。たまたま錦鯉は運良くM-1王者にまで急ピッチで上り詰めたが、最終的にはどうなるんだろうか。

正直、M-1王者になってもどこに行ったかわからない人もいる。そういう人はまた、何か目標を見つけなければいけないのだろうか。お笑い芸人など夢があるから輝いているが、夢がなくなったらプライバシーもないし相当しんどいかもしれない。

昔の人は50歳くらいで死んでいた。そう考えると、50で夢を追って夢を叶えられる人生というのは素晴らしい。人生100年時代とは言うものの、テキトーな感覚で考えずに、真剣に100年として考えるべきである。

みんながこれくらいの年齢でこれをやってるとか、そういう考えでいると、自分だけが置いてかれて不安になる可能性が高い。

もっと人生は自由でいいだろうし、好き勝手に生きていい。夢があれば尚いい。そう考えると、お笑い芸人だろうが、サラリーマンだろうが関係なく、自分が目指すところに向かえばいいだけである。


【こちらもどうぞ↑↑】





無駄に思えることを一生懸命やっていきます サポートありがとうございます。