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砂漠、薔薇、硝子、楽園、(29)

feat.松尾友雪 》》》詳細 序文

》》物語概要 / 登場人物紹介

》》》28.
「調べなくても、よかったのに」

>29.スグル_

アヤノは…スグルがモニターで見る限り、ずっと防火扉の前で、両手を揃えて行儀良く、立っていた。

スグルには、それがひどく異様に思われた。気丈に振る舞っているだけだろうと考えていたが、開いた扉から仁綺が現れても、表情が全く変わらなかったので、さすがに、疑問に感じざるをえなかった。スグルは胡座に座った上に乗せていた、ラップトップを持ち上げた。モニタリングウィンドウを間近で見て、首を傾げて思わず、呟いた。

「アンドロイドみたいだ」

> アンドロイドよ _

「ルリ」に繋いでいる端末の、コンソールに、文章が浮かんだ。作業しながらでも「ルリ」と対話できるように、端末はサーバラックの見やすい位置に、置いてあった。

スグルは、コンソールを見つめた。

「……それは、…」

> 嘘よ _

「……。そりゃあ、まあ、そうだよね…」

> ニキにも遊ばれている
> 善良なのね _

ラップトップを膝に下ろして、キーボードの両端に手を休めたスグルは、端末のカメラへ、肩を竦めて見せた。
「常にというわけじゃない…けど、いまはホワイトハッカーとして、慈善活動中だ。いちおう、善人気取りでいるよ」

スグルは、カメラに向かって《今から、順に、行く》と手で合図する仁綺の姿を眺め、戯けた口調を改めて、静かに、付け加えた。
「彼女はいつも、どんなときにも、ひとりで、泣いている。僕は彼女が悲しいのが、悲しい。彼女に対して善良でいるくらい、なんてことはないさ」

> 素敵な 恋ね _

「……」
スグルは、仁綺の移動先のモニターを追うために、ラップトップを引き寄せた。使用人たちを順次、解放しなければならない。仁綺は何と言って回っているのだろう? スグルは仁綺の唇を読んだ。「友達が… 遊びにきた」…?

「どうかな。今のところ、玄関から入る習慣のない非常識で可哀想な友達として、紹介されてるみたいだ。王子様への道のりは、遠いな」
苦笑したスグルに向けて、コンソールが白く、文字を浮かび上がらせた。

> アヤノは あなたが来るのを楽しみにしていたの
> 張り切っていたのに
> 負けてしまったのね _

端末を横目に、スグルは順々にキーを叩きながら、答えた。
「結果が全て、という観点を捨てるなら、今回のは失効試合だ。《アヤノ》は、あなたをもっと囲うべきだよ。こんなに強靭な要塞を築いておきながら、あなたが、イヅルと間違えて僕をこっそり、入れてしまうなんて。いったん退いて、戦略を練り直そうとさえ、思ったところにさ…仁綺には強がってみせたけど、感想としては今回の僕の侵入は、敵の強襲というより、単なる人災だ」

> 目は あまりよくないの _

「……」
ひととおり、施錠を解いたスグルは、答えずにしばらく、キーボードに添えた自分の指先に視線を落としていた。そして改めて、端末のコンソールに視線を向けた。

> あなたが 善良な人でよかった _

スグルは躊躇いがちに、口を開いた。
「僕は…僕はね…あなたのそのポーズが、真実でも嘘でも、気にせずにいたい。どっちにしたって僕はいま、ここにいるわけだからね。でも…」

> でも? _

「…『僕は、あなたに嫌われてる』。それでよかった。それで、よかったんだ…なんだか、足元が覚束なくなって正直、困ってるよ。あなたは僕をずっと、追わせていた。僕は警戒されていると思ってた。あなたが『死ん』だから、追手がなくなったんだと思った。けど、そうじゃなかった。イヅルが、ここに来てたね…? 僕のことはきっと、イヅルから、聞いていた…」

> ええ ただ 見守っていた
> 何もしなかった できなかったの 私がすぐそばで守れるものは 限られる _

「……」

> あなたには
> 私は必要なかった _

「必要、か…。全く必要なかったわけでもないのが、難しいところだよ。僕が生き延びるには、憎しみ、妬む対象が必要だった…あなたと、イヅルがね。結局、天地がひっくり返って僕はまた、生きる理由を探す羽目になった。…振り出しに、戻ったんだ。ただし違うボードの、振り出しに」

> 結果論ね _

「僕には、ね」
スグルはひとりごちて、少し、考える様子を見せてから、続けた。

「イヅルと…暮らしてさ。僕にはなんとなく、わかったんだよね…あなたたちと僕たちが、どう違うのか」

> どう 違うの _

「あなたたちは、未来に生きてる。そして、今という過去を変えに、未来から、旅に出てきてる。ところで僕には、過去と、今しかない」

> _

「でも…いいんだ。それでいい。踊っているか、踊らされているかは気にしないで、思うように、踊り続けるだけさ。僕は、それでいい」

> _

スグルは、コンソールに文字が現れないのを、しばらく待ってから、話しかけた。
「ついでに、訊いてみるけど。ルリ、…」

> ええ なにかしら _

「あなたは、…マヤを、どんな風に、愛していたの?」

> _

コンソールは再び、沈黙を守り、やがてぽつりと、文章を打ち出した。

> ニキが来る お行きなさい _





仁綺に付き従って広間にやって来たアヤノは、スグルを「様」づけで呼び、スグルに部屋を用意して入浴を促し、そのあいだに仁綺にディナー用のドレスを着せた。それからスグルの部屋に引き返して、まさにバスローブを脱いで着てきた服をまた着ようとしていた、スグルに略礼装をさせ、食堂へ案内した。アヤノは給仕係にその場を引き継いで、食堂から出ていった。長い食卓の、両端に着席した仁綺とスグルは食事中、ひと言も交えなかった。スグルは状況が飲み込めないまま、ニキにとっては日常であるらしい、この非日常な流れに、すごすごと従っていた。

「スグル様のお着替えは、お部屋にも、あちらの抽斗にも、用意してございます。文乃はルリ様に、お加減をお尋ねしにあがっておりますが、お困りの時には如何様にも、お召しくださいまし」

ミニバーと朝食用のシリアルを載せた台と押して、仁綺の居室まで付いてきたアヤノはそう告げて、メイド式の挨拶をして、出て行った。

相変わらず何を話すでなく、ベッドのほうへ歩み出そうとした仁綺を、スグルは後ろから引き止めて、やっと、抱きしめた。
「スグル?」
「…君が…」
「……?」
「君が、いないのはやっぱり、寂しかった」
仁綺は、肩に回されたスグルの腕に手を掛けて、離れる気配のないスグルの腕に、優しい仕草で両手を添え、苦笑した。
「私は、消えたり現れたりしない。ずっと、いたよ。未来のことは、はっきりとは言えないけどね」
「ニキ」
「……」
仁綺は、立ち止まったまま、感触を楽しむようにスグルの腕を指先で辿り、穏やかに、沈黙を守っていた。

「ニキ…」
「…? スグル?」

スグルは、仁綺の膝裏を攫って掬い取るように、抱き上げた。そのまま仁綺をベッドへ投げ出し、自分はベッドサイドに、腰に両手を当てた姿勢で立って、仁綺を見下ろした。

「なんだか…どきどきするね。お姫様みたいだった」
「…知らないのは。僕だけだった」

仁綺は夜会靴から足を抜き、黒サテンの、ディナードレスの裾をたくし寄せて、ベッドの上で、膝を抱えた。
「スグルが知らない沢山のことを、私は知ってる。でも、私が知らない沢山のことを、スグルは知ってる。特定の物事に注目するとき、どちらか一方がそれを知らないのは、それを二人ともが同様に知っているよりは、確率的にも確からしいことだよ」
「ニキ」
スグルは語気を強めた。
「ニキ。君は知ってた。僕は、知らなかった。君は、…いや、君たちは、黙ってた。なぜ?」

仁綺は、優しげに、微笑んだ。
「『なぜ』…? 単なる成り行き、かな。きついから辞めようかなと思っていたところに、面白そうな打診があった。乗ったら、イヅルとスグルがいた。私は名前を聞いて初めて、イヅルとスグルだとわかった。イヅルがスグルに話していないみたいだったから、私も黙ることにした」

スグルは仁王立ちの姿勢のまま、表情を曇らせた。
「君も…知らなかった?」
「二人のことは元々、よく知らない。イヅルおじさんから聞いたことはあるけど、《バーブシカ》に口止めされているから詳しくは話せないと、言われていた。私は私で自分のことが忙しくて、それほど、興味もなかった」
「イヅルおじさん…? て、あの、妖怪じじいのほうの『雨咲イヅル』?」
眉を顰めて遮ったスグルに、仁綺は苦笑を向けた。
「私には妖怪でも、じじいでもない。頼りになる、しっかりした人だよ。『家業』を守るために頑張っている。私も、時々は手伝う」
「『家業』って…」
言い淀んだスグルへ、仁綺は穏やかに、応じた。
「誰にも言えないような、よくないこと」
「……」
「スグルは、私を誤解してる。その誤解を解こうとは、私は思ってない」
押し黙るスグルに、仁綺は言葉を重ねた。
「『家業』を手伝っておくと、時々は、役に立つ。例えば『ウァマステカー』とはちょっとした取引をして、出掛けに話をつけて出た。いまは、逃亡中じゃなくて、休暇中ということになってる」

スグルは、腰に当てた手に力が入るのを感じながらも、努めて冷静に、問いただそうとした。なんのために…では、なんのために、細心の注意を払って何ヶ月も、仁綺を隠していたというのだろう? 徒労もいいところだ…。
「じゃあ、僕は…」

仁綺は睫毛の翳りに縁取られた、星の煌めく黒い瞳を、スグルに向けた。
「IDは、欲しかった。『ウァマステカー』は斡旋はしてて、でも、斡旋先があまり、優しくない。困ってた。イヅルおじさんも、対価に見合わないから研究室に隠れているほうがいいといって、取り合ってくれないし…」
「あの陰険おやじの考えることは想像にかたくない。君を、閉じ込めておきたいんだ」

スグルは、口に出してから、全く文脈の違うはずのその言葉に、はっとした。

「なんのために、細心の注意を払って何ヶ月も、仁綺を隠していたというのだろう?」…まるで、仁綺を、閉じ込めるように…それを望んでいたのは…仁綺…?

仁綺は、スグルの様子に注意を払うでもなく、相変わらず穏やかな調子で、応じた。
「だとしても、イヅルおじさんにできる精一杯のことは、IDを渡さないことくらいだもの。精一杯やるのは、悪いことじゃないよ。私はみんながやってるみたいに、外で《普通に》暮らしてみたいと思った。だから、私なりにやってみた」
「それで…」
「それで、二人に会って、IDだけのつもりが、そうでもなくなってしまった。わかったとき、考えるところはあったよ。でも、心は、どうしようもない」
「心?」
「どうしようもなく、惹かれる気持ち」

仁綺とスグルの、目が合った。

仁綺はベッドの端へ、座ったまま移動して腰掛けて、スグルに手を差し伸べた。スグルが仁綺の手を取ると、仁綺はその手を引いて、スグルを引き寄せた。

「スグルのこういう格好も、初めて見るね」
「…座りが悪いよ。服に着られちゃってる気がする」
「格好いい」
「…。そうかな…だったら、いいけど…」

仁綺は、近づいてすぐそばに立ったスグルの、両手を取り、その桜貝色の爪がすっかり磨かれて艶の眩しい、指先で、スグルの両の手の甲を優しく、撫でた。
「ここを見つけるのは、大変だった?」
「まあね」
「どうやって見つけたの?」

仁綺の手の温かみを感じた。スグルは、湧き起こってくる感情に整理をつけかねて、手を取られたまま、立っていた。
「経緯は…それはもう、複雑極まりないよ。君ふうの言いかたをするなら、『簡単に説明するのは、難しい』」

「なんだって、簡単に説明するのは難しい。簡単に説明できるようなことが、物事をいちばん複雑にしていたりもする」

二人は、両手を取り合ったままの、その姿勢で静かに、見つめあった。

「…なかなか、君は見つからなかった。だから、君を追う片手間に僕は、イヅルのことも追ってた。僕の予想は外れて、イヅルは君には会わないまま、《ワーニャ》に合流した。そのうちに、《ワーニャ》の顧問の《イェラキ(「鷹」)》が、死んだ。《ヂェードゥシカ》に、消されたんだ。手酷いやりかただった。『粛清』だ」
スグルは仁綺の表情を読もうとした。仁綺はうっすらと笑みを湛えた、和やかな面持ちで、スグルに眼差しを注いでいた。
「僕は《イェラキ》も別件で、追っていた…《ワーニャ》の得意客の婚約者が、消えた件でね。結局、そっちと《イェラキ》は関係なかったけど、僕はおかげで《イェラキ》に一時、張り付いてた。そこに突如、《セキュリティ》の『執行部』が来て、《イェラキ》を粛清していった。『執行部』はそれを、《ワーニャ》に連絡した。そしてその先に…イヅルと《ワーニャ》と一緒に…ねえ、ニキ。複雑怪奇だ。君が、いた」
「大忙しだね」
仁綺は他人事のようなさっぱりとした口ぶりで、感想を述べた。

スグルは憮然とした。
「おかげさまでね」
「充実してる」
「まあね。充実も充実、一網打尽だったよ。《ワーニャ》に心酔しきってた《イェラキ》は、《ワーニャ》に不都合な幹部や取引先を次々に、潰して回ってた。それに気づいた古株まで次々に消されて…」

「《ドラゴンスレイヤー》が出たと、《業界》の噂になった」
仁綺が微笑んだ。
「……」
言葉を取られたスグルは、曖昧に受け流した。
「…《ワーニャ》は『シルクロード』を握ってる。地味な、手堅い人物を装ってもなお、商売敵は多い。イヅルが自分から足を運ぶくらいだ。《ヂェードゥシカ》がイヅルを《ワーニャ》に付けたんだろうと、推測してはいるけど…一方で僕は、疑ってもいる。《イェラキ》は《ワーニャ》に忠実というだけで生き残ってきた人で、そこまでやり手じゃないんだ。誰かの助けがあったはずだ。しかも、《ワーニャ》は結局、自分の手を汚さずに、自分の道を邪魔する人間と、《セキュリティ》の秩序を軽んじる人間を、消したことになる。《ヂェードゥシカ》の後継者争いを前に、たいした大掃除だ」
「穿ったみかただよ。《ワーニャ》は、とても、いい人だもの。自分を責めて、悲しんでいた」
「知ってるさ。僕は《ワーニャ》が泣き崩れたその光景を、覗き見してたからね…ただ、ニキ、気になった点はそれだけじゃない。まだ、あるんだ。…君がまるで恋人みたいに《ワーニャ》を慰めてたから、僕は君と《ワーニャ》の関係も洗った。けど、何も出てこなかった。…何も出てこないはずなんて、ないだろ」

仁綺は不思議な話を聞いているといったように、小首を傾げて見せた。
「出てこないうちは、出てくるとは断言できないし、出てくるまでは、出てこないことを否定できない。つまり、出てくるという予想は、できない」
「…そういう時、僕は、出てくるまで探す。僕は更に漁った。君は大学時代に、『天才』向けのサマースクールで《ワーニャ》に会ってる。君が11、《ワーニャ》が20の時だ。《ワーニャ》はそのころ家出して、ヴァイオリニストとして世界を回っていた。君はスクールを偽名で申し込んでいた」
「……」
「君は、《ワーニャ》にヴァイオリンを習った。ニキ。君は、ヴァイオリンが弾ける」

仁綺の表情は、穏やかだった。
「《ワーニャ》は、私を初めて、心から、抱きしめてくれた人だよ。でも、そういう仲じゃない。《ワーニャ》は私の音を聞くなり、私を抱きしめた。泣きながらね。そして、音楽が私を救うよう、願ってくれた」
「そして…?」

仁綺は寂しげに、微笑んだ。
「音楽は、私を救わなかった」

「ニキ、…」
「答え合わせは、終わり」
仁綺は強く、スグルを引き寄せた。二人は呼吸ひとつ、唇を重ねて、そのあいだにスグルは、両手を繋いだまま、仁綺とベッドへ倒れ込んだ。
「ニキ…僕はまだ…」
「終わり」
二度目のキスのあいだに、タイを抜き取って放り、ボタンを緩め、ニキのドレスの裾を探りながらも、返す唇に淡く、躊躇いを見せたスグルへ、仁綺は抽斗を指差して、微笑んだ。
「アヤノは、いつも私を大切にしてくれる。感謝しているよ」
「……」
徐ろに、ベッドサイドの抽斗へ手を伸ばして開け、身体を反らせて中を覗き込んだスグルは、安堵と困惑の入り混じったため息をついた。
「大歓迎ってこと? 僕は、野獣じゃないよ。なにより、徹夜明けだ…こんなに、使わない」
「疲れてるの? だったら、しなくてもいい。手を繋げばいい」

仁綺は、スグルの指に自分の指を絡めた。
「ロマンチックだと思う。それはそれで、素敵」

スグルは、自分を見つめ返してくる仁綺の瞳を、覗き込んだ。

「……。してもいい?」
「してもいい」

「したい…?」
「したい」

「じゃあ」
スグルは呟くと、仁綺の首元に顔を埋めた。それから、うなじに鼻先を這わせて登り、吐息を漏らしてそれを受ける仁綺の、紅潮しはじめた、柔らかな耳朶に優しく、歯を立てて、囁いた。
「休むのは、…後回しにする…」






>次回予告_30.ニキ_

「キスが終わって顔を上げると、《ヂェードゥシカ》は泣いていた」

》》》》op / ed

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。