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砂漠、薔薇、硝子、楽園、 (21)

feat.松尾友雪 》》》詳細 序文

》》物語概要 / 登場人物紹介

》》》20.
「人の手に負えない悪と戦う特殊な能力を持った、500年以上前の、不思議な人びとの呼称だ」

>21.ニキ_


「ベナンダンティ」…?


スグルは、目を開けた。

白いTシャツにトランクス姿のイヅルが、左手を腰に当てた姿勢で、スグルの腹の上に馬乗りになり、スグルを見下ろしていた。

「君は、自分自身とセックスする想像をしたことは? ない?」

イヅルの囁きは、光と同じ広がりで、降ってきた。眩しい。「プラネタリウム」は朝の光に満ちていて、イヅルは妖精のように、軽い…。


夢だ。


スグルは、目を開けた。視界が白い。シーリングライトが全灯になっていた。上だけ裸で、ベッドに一人だった。部屋着にしているハーフパンツが下がって剥き出しになった腰に、ブランケットが纏わりついていた。スグルは呼吸を落ち着けながら、眠りに落ちる前のことを考えた。照明が強くて、時間が分からない。時計に目を走らせた。眠っていたのは20分ほどのようだ。…仁綺は? 

仁綺は?

スグルはワークチェアの背に掛けていたTシャツを被って、部屋を出た。屋根裏部屋に気配はない。廊下から1階を見やり、リビングに向かう。


仁綺は?


仁綺は、…ダイニングテーブルにラップトップを出して、何かを見ていた。イヅルのいないこの2週間、仁綺はずっと、イヅルのロイヤルブルーのナイトガウンを普段着にしていた。ガウンは鳩尾まではだけて、仁綺の滑らかな胸元へ、スクリーンが虹色の挙動を淡く、反映していた。

「スグル」
仁綺はちらりとスグルを認めて声をかけたきり、また画面に目を戻した。スグルは仁綺の後ろに周り、背側からナイトガウンを整えて、腰紐を結び直した。

仁綺はされるがまま、画面に眼差しを注いでいた。
「起きたよ」
「うん。眠ったみたいだから、起こさなかった」
「君は、休まなくて平気?」
「うん。おかしいんだよね。どうしても、うまくいかない…」
呟いたきり、仁綺は黙り込んで、動かなかった。

「…ニキ?」

沈黙が流れた。仁綺は、ふと背筋を伸ばして、スグルへ振り向いた。
「あー…ええと、…あまり、聞いていなかった。スグルは寝ていて、私は起きていた。それ以外に私たちは何か、話した?」

スグルは肩を竦めて、首を横に振った。
「特には。君でも、独り言を言ったりするんだね」
「んー…私は、スグルと話しているつもりだった。会話として機能していなかっただけで、正確には独り言じゃない」
「…うまくいかないって?」
スグルは、後ろに立った姿勢から、仁綺の肩に顎を乗せる恰好に屈んだ。

仁綺の頬に、頬が触れた。

仁綺は、細胞が伴侶を選んで世代交代するシミュレータを作っていた。

美しかった。

「…。すごいな。これ、出来合いじゃないんだ…君が、組んだんだね? どうやって作ったの?」

「『どうやって』…? 勉強して、コードを打って、作った」
尋ねる意味がわからないというように、不思議そうに答えた仁綺に、スグルは重ねて尋ねた。
「『コードを打って』? 自分で?」
「1からというわけじゃないよ。よく似たサンプルがたくさんあって、見ているうちに、自分のが欲しくなったの。関数を自分で考えて、コードは真似した。ちょっとズルもした。フレームワークは、自分で作ってない」
「それは…ズルではないよ。勉強? …いつ?」
「昨日、スグルが『仕事』で出ているあいだに。今朝から動くようになって、いま、手を入れてる。基礎はスグルが教えてくれていたから、時々調べるだけで順調に進められた。もうちょっと納得できたら、スグルと一緒に、これで遊びたいな」

スグルは、仁綺の頬に頬を押しつけて、言外に答えた。昨晩の仁綺がうわの空らしかったのを、スグルは思い出した。

「なるほど…」
仁綺の華奢な両肩を、形を確かめるように、手で包んで、スグルはため息混じりに言った。
「『頭が忙し』くて相手できないなら、無理に相手をしなくてもいいんだよ。僕はてっきり、どこか、調子が悪いのかと…」

仁綺はキーボードに置いていた左手を持ち上げて、スグルの右手指に、そっと触れた。
「大変なら、ちゃんと言う。スグルは? 大丈夫? 何か、相談しかけていなかった?」

スグルは、仁綺の肩に手を置いたまま、立ち上がった。
「ああ…相談といえば相談だけどね、大したことのない、日常会話さ…夕飯は、何がいいかな。今日はなんだか、思い付かなくて」

仁綺はベンチを跨いで、スグルのほうへ体を向けた。ナイトガウンがまた、はだけたのを整えた、スグルの手を取って、仁綺は微笑み、やんわりと首を振った。
「休むのも、楽しい。乾パンと缶詰でもいいよ。物置部屋のテントは、直してある」

スグルは眉を顰めて、仁綺の手を握り返した。
「そういうのは、災害用だ。食事じゃないよ」
「夕食を作らずに栄養を取って、かつロマンチックに過ごすための方法として、考えて、提案してる。テラスに作ればいい。あそこからは、星がよく見える」

見つめる仁綺を、スグルはなんとなく黙って見つめ返してから、視線を逸らして、呟いた。
「テントなんて…あったかな。でも、君が言うんだから、あるんだろう。そんなもの、うちにあるんだな」
「あったよ。ずっと。2人用だから、イヅルが出したがらなかった。狭いのはバスタブとベッドだけでいいって」
スグルは苦笑した。
「打ち明け話だね。変なところで律儀というか…まあ、イヅルらしい気もするよ。君がつまらなそうな顔をしたのが、目に浮かぶようだ」

二人は連れ立って納戸へ向かい、奥から災害用品のカートを引っ張り出した。

「本当だ。ただの大きな袋だと思ってたよ。テントだったとはね」
カートを覗き込んで首を傾げるスグルの背中に、横から手を当てて、仁綺もまた首を傾げて見せた。
「スグルは、色んなことができるのに、色んなものが見えてないよね。不思議」

スグルは軽く鼻を鳴らした。
「どうかな。不思議なのは、君らのほうだ。僕にしてみたら怪奇現象だよ。『普通は』、商品ラベルを眺めていたとしても、再現できるほどの精度で丸暗記なんて絶対にしてないし、コードを打つときは『覚えて』転記するんじゃなくて、コピーして、ペーストする。昨日見た風景は『思い出す』ものであって『もう一度見る』ことができるものじゃないし、ブラックジャックはカード運を楽しむゲームであって、記憶力を競うスポーツじゃない。だいたい、僕の目には、半年前に一回しか見たことのない乾パンの賞味期限が全部言えるより、大事なことがある。下着を履くとか、よく眠るとかね」
「誰にでも、しなかったり、できなかったりすることはある」
「だから君は僕といる。僕は、そう考えるようにしてる。僕が見えてなくて困る時には、見えている君が助けてくれれば、それでいい」
際限なくはだけてくる仁綺の襟元を、今度こそしっかりと直して呟いたスグルに、仁綺は微笑んでから、スグルへ向けて、自分の両目を両手で隠して見せた。

「スグルの生きている世界は、スイカ割りの世界だね。とても不安で、とても楽しい、不思議な世界」

スグルは、腰に手を当てて、納戸の薄明かりに浮かぶ、仁綺の白い甲を見つめた。
「そうとも言える。君にスイカ割りが楽しめないのは、残念だ」

手を戻した仁綺は、瞬いて、澄んだ空のように明るい声を、納戸に響かせた。
「スグルにわかりやすく言うための、喩えだよ。私にもスイカ割りはできるし、スイカ割りは、楽しい」

仁綺の柔らかな笑みに、スグルは微笑み返した。
「なるほど。今度、やろう」
「そうだね。イヅルが帰ってきたら」



テラスでテントを組み立てながら、スグルは尋ねた。
「君は、イヅルが帰ってくると思う?」
仁綺は固形燃料の包みを開けた指先を止めて、答えた。
「帰ってくると言ったなら、少なくとも帰ってくるつもりか、帰ってくると思っていてほしいんだから、私は、帰ってくると思うようにしてる」
スグルはテントから顔を出した。
「そうじゃなくて、君はどう推測するかということさ」
仁綺は、困惑したように、スグルに向けて首を傾げた。

「イヅルは、わからない」

二人は、テラスで缶詰を開けて、星を眺めながらそれをつつき合って食べ、それからそのままキャンプ式にコーヒーを淹れた。唇を交わしてテントにもつれ込んだとき、流れ星が見れなかったことを仁綺は残念がり、スグルは、イヅルなら星ひとつくらい、簡単に落としてしまうかもしれないけどね、と、冗談を言った。イヅルにできることは自分にもできる、と口を尖らせて見せた仁綺の唇をなぞって、スグルは仁綺の瞼に口付けた。セックスを終えて、テントから出た仁綺は、星の動きから経った時間を当ててみせ、スグルはテントをたたんで、明日の夕飯について仁綺に尋ねた。
「ニキの気分は? 明日は、ちょっと時間のかかるような料理でもいい」
「そう? じゃあ、うどんか、点心は? ずっと、時間ができたら、作ってみたかった」
二人は、ベッドでうどんと点心の作りかたを見比べて、明日の夕食を点心に決めた。



>次回予告_21.スグル

「すっちゃん! ねえすっちゃん! スグル!」

》》》》op / ed


今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。