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砂漠、薔薇、硝子、楽園、 (20)

feat.松尾友雪 》》》詳細 序文

》》物語概要 / 登場人物紹介

》》》19.
「そういえば、『退屈』って、したことがないな」

>20.イヅル_

カーテン越しに、日が暮れ始めたのが知れた。ああ、夕飯を作らなくては…。スグルは仁綺の反応がないことに気づいて、動きを止めた。

「ニキ…?」
昼をまわったあたりから、半睡半醒ではあった。喘ぎ声さえ出なくなり、ただスグルを受け入れるだけになっていた仁綺の、手指はそれでも、スグルの声に応えて、力なく握り返されていたが、その手応えさえ、もう、なかった。

スグルは仁綺の寝息を確かめた。

意識が落ちてもなお収斂を続ける仁綺の内側が、やがてすっかり緩むのを感じるまで、スグルは体を重ねたまま、快感と倦怠に泣き濡れた仁綺の寝顔を、見つめた。そっと体を抜いて、ティッシュで仁綺の頬に残る涙を押さえ取り、それにそのままコンドームを丸め込んでダストボックスに放り入れた。仁綺の体を拭いて、床に落ちていたミネラルウォーターのボトルをヘッドボードに置き直した。スグルはシャワーを浴びに、部屋を出た。

汗を流して、冷凍庫からスポーツドリンクのスパウトを取り出したスグルは、シャワーを浴びに廊下を通って目の端に入った、屋根裏部屋のドアが開いていたことに、思い当たった。

イヅルは一転して、部屋以外の場所で見かけるほうが多い日もあるほどだったが、昨日は、夕方から「プラネタリウム」に籠りきりだった。スグルは、閉め出された仁綺を自室に迎え入れて夜を過ごし、早朝、悪夢で目覚めた様子の、悲しげな仁綺とそのまま、またセックスした。遅い朝食を取ったとき、オートミールを食べたらしい皿が先にシンクに放り込まれていて、イヅルが一旦「プラネタリウム」から出たらしいことはわかっていたが、「籠も」っていないときは開け放しのドアが、その時も閉まっていたから、スグルは再び、仁綺と部屋に戻って、続きをした。…し続けた、のだった。

「プラネタリウム」の半ば開いたドアからはいま、光が漏れていた。

スグルは「プラネタリウム」へ上がって、半開きのドアを、スパウトを持った手の甲で押し開けた。

イヅルはタキシード姿で、姿見の前でタイを直していた。

「ニキは?」
スグルに気づいたイヅルは、鏡の中から目を合わせて、スグルに尋ねた。
「出かけるの?」
「見ればわかるだろうに。家で正装して暮らす趣味は、僕にはない」
「…試しに着てるだけかもしれないじゃないか。それに、『出かけるの?』と訊くのは、普通の会話では『そんな予定は聞いていない』という、不満の表現だよ」
「そんな予定はなかったからね。教えようもない」
イヅルは、肩を竦めた。
「加えて、君はニキと自室に籠もりきりだった。やっぱり、教えようもない」
「……」
テーブルに並べてあった小物をポケットに入れながら、イヅルはそれほどには興味もなさそうな調子で、スグルに話しかけた。
「ところで、僕の第一声は、受け付けられていた? ニキは?」
「寝てる。今日は起きないかも」
「いい仕事振りだね」
「嫌味?」
不機嫌そうに答えたスグルに、イヅルは楽しげに口角を持ち上げて、尋ね返した。
「どこを、嫌味だと思った?」

スグルは目を伏せて、独り言を呟くように、答えた。
「ニキは、君のほうが好きだ」

イヅルの視線を感じた。

スグルは顔をあげた。イヅルは、姿見の横に押しやっていたスツールに腰掛けて脚を組み、カフスと時計を確かめて、組んで上になった右膝に、両手を乗せた。別段、スグルを気にかける様子もなく、いつも通りの恬淡とした口調で、スグルに話しかけた。
「スグル。僕は蔑んで言うわけではないが、君は、浅はかだよ。ニキは、比べていない」
「……」
スグルは手にしていたスパウトのキャップを開けて、溶けてきたぶんのスポーツドリンクを、口に含んだ。

イヅルも、それきり黙っていた。
「…迎えを待ってるの?」
「お茶をするほどの時間はないからね。ここで考えごとでもするさ」
また、沈黙が訪れた。ベッドマットに丸まっているブランケットを見兼ねて、スグルはそれを拾い上げてたたみ、ベッドマットに置いたそれの上に、胡座に座った。

イヅルは蝋人形のように、丸天井を見上げていた。スグルは、丸天井を見上げる蝋人形のようなイヅルを、眺め、スパウトに溶けた部分がなくなると、口金に歯を立てた。

「ねえ、イヅル。君は、きちんとした格好をしたほうが、君らしいんだね。スウェットのほうが見慣れているはずなのに、その格好のほうが、見ていて落ち着くなんて」

声をかけたスグルを、イヅルは見やった。
「こういう時は話しかけたりせずに、君も考えごとをすればいいんだ。あるいは、君のような雑念に満ちた人間には高度な提案になるかもしれないが、頭を空っぽにしたりね」

相手をするということは「シャットアウト」されていないということだ。スグルはイヅルには答えずに、話を続けた。
「たまに、こうやって驚かされるだろ。そのたびに思うんだよね。雨咲イヅルという存在は、手品みたいだ」
「……。君に、自覚がないだけだ。君だって、きちんとした格好のほうが性に合ってるはずだよ」
イヅルは脚を組んだまま、腕をスツールの後ろに突いて、皺ひとつないタキシードの裾から、真新しい、クラシックな黒靴下を覗かせた。足元には、傷ひとつない靴が、揃え置かれていた。

「君がきちんとした格好をして、僕と並んだら、それこそ手品のようだろう。実際、種も仕掛けもない簡単な手品だよ。君は、僕なんだから。僕が雨咲イヅルのふりをしてるみたいに、君は雨咲スグルのふりをしている。そしてそれは雨咲マヤが雨咲マヤのふりをしていたのとまるで同じことであって、つまり僕らは全員、同じひとりの人間だ」
「そうかな。少なくとも僕の見解では僕は、火を見るより明らかに、君ではない」
イヅルは微笑んだ。
「そういうとき、君に見えているのは、個体だよ。『手品のようだ』というのは、君がある個性を発見したと思ったときの、君なりの表現だ。そしてそこでいう個性とは、個体を超越して存在する、ある性質を指す」

イヅルは話しながら、内ポケットから端末を取り出した。姿見の鏡面に、セキュリティの画面が立ち上がり、麓のゲートで待つリムジンの映像が映った。
「これも、…いつも、思うんだけど。映画監督も悔し泣きするギャングぶりだよね…運転手付き、ボディーガード付きの黒塗りリムジンにタキシードは、いかにも強烈だ」

端末のパスワードと、ボディーガードの顔を確かめて、ゲートを開けるイヅルに、スグルは感想を述べた。イヅルは、端末を左掌に収めたまま、眼鏡の手真似をした。
「リムジンにはサングラスもあるよ。《ヂェードゥシカ》の遊び心さ。徹底的に遊ぶのも、楽しいものだ。今日だって、第一認証コードを一定の規則に沿って読み替えて繋げると、『ベナンダンティ』になる」

「ベナンダンティ?」

「人の手に負えない悪と戦う特殊な能力を持った、500年以上前の、不思議な人びとの呼称だ」
「もはや時代劇だね」
スグルは苦笑した。靴を取って立ち上がった、イヅルにつられて、スグルも立ち上がった。

イヅルは鏡をもうひと目、見た。そしてスグルに、スグルにはもう、それが習慣でしかないことが理解できている、魅惑的な、柔らかい笑顔を向けた。
「夕飯は、要らないよ。あと、しばらく僕の食事のことは考えなくていい」
「…『しばらく』?」
「ニキには今日は、口当たりのいいものがいいだろうね。彼女はこのまえの卵粥をとても気に入っていたよ。あの、花椒をかけたやつ」
「しばらくって、どれくらい?」
スグルは語調を強めて、遮った。

イヅルは笑顔を引っ込めて、怪訝な表情でスグルを見つめ返した。
「その質問には、答える必要を感じない。そのうち帰ってくるし、帰ってくる日とその翌日の食事くらいは、自分でどうにかするから、気にしないでいい。ニキにはこの部屋を貸していいよ。まあ既に半分、彼女の部屋だがね。加えて、君が気を利かせて模様替えでもしておいてくれると、ありがたいな」
「……」
無表情を努めつつもスパウトを握り締めて黙り込んだスグルに、イヅルは体を向けて、タキシード姿を見せた。

「さっきの、話の落ちがまだだった…ご覧。君はこんなに、格好良い。格好つけて訪れる場所が君にないのは、残念だね」

屋根裏部屋をあとにして、美しい鳥の尾のように、優雅な雰囲気を残しながら階段を降りゆくイヅルの背中に、部屋の扉口で立ち止まったスグルは上から、声をかけた。

「イヅル。ねえ、君の予定にない出来事なんて、起こらないだろ」

イヅルは答えずに軽く振り向くと、スグルに涼しげな笑みを投げかけた。靴を履いてからあとは振り返ることもなく、イヅルは、黒いリムジンの待つ玄関ドアの向こうへ、消えて行った。




>次回予告_21.ニキ

「スグルの生きている世界は、スイカ割りの世界だね。とても不安で、とても楽しい、不思議な世界」

》》》》op / ed

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。