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砂漠、薔薇、硝子、楽園、 (19)

feat.松尾友雪 》》》詳細 序文

》》物語概要 / 登場人物紹介

》》》18.
「リュカ。…じゃあ、帰省のついでに、ちょっと調べてみて、もしあれば、持って帰って欲しいものがあるんだけど…」

>19.スグル_

イヅルは「籠城」の度合いを強めていた。スグルはというと、今までならそんな時にも、こまめにイヅルの様子を見て食事を用意するなり、部屋を掃除するなりできていたのだが、「休業」期間に入ってからは「業界」に詳しい知己に会いに行ったり、無沙汰にしていた会合に顔を出したりで、出掛けることが多かった。情報を得るには、手土産も必要だ。スグルも、自室で集中して過ごす時間が増えていた。

仁綺は大抵、リビングで切り絵をするか、リビングに置いた水生栽培キットで育てているハーブの観察をするか、リビングのソファで昼寝をしていて、スグルがキッチンに立つと手伝いに来て、スグルが間食に出てくると、スグルにコーヒーを淹れた。そんな生活が2週間ほども続いた頃、退屈していないかとスグルが尋ねると、仁綺は不思議そうに、尋ね返した。
「退屈…?」
「うん。僕もイヅルも最近、昼間はニキの相手をしていない気がする。夜も、イヅルはあんな風だし、僕は僕で宵っ張りだし…」
仁綺は少し、考える様子を見せてから、ぽつりと答えた。
「そういえば、『退屈』って、したことがないな」
両手で持ったマグカップに唇をつける手前で、仁綺は呟いた。
「スグルといるのは、楽しいよ」

「僕といない時は?」

スグルの問いに、仁綺は、当惑したような顔つきで、言い終えてからカップに付けていた唇を離して、もう一度、同じ言葉で答えた。

「スグルといるのは、楽しい」

二人きりの夜が、増えた。ベッドの上でぐったりと寝入る仁綺を背に、先に目覚めるスグルは調査に勤しみ、仁綺が目覚めると、朝食を取った。

イヅルの食事の準備くらいなら自分がどうにかできる、という仁綺の申し出をスグルは断って、屋根裏部屋の扉の隣に、壁付台を運んだ。出かける日は、そこに1日1食はきちんとした食事ができるように定食をしつらえて出て、帰ってきたら盆を回収することにした。

ずっと家にいる仁綺は、昼間のときどき、イヅルを見かけると言っていた。イヅルの部屋に入るかどうか尋ねたスグルに、仁綺は困惑顔で答えた。

「んー…。スグルの質問は、私には、意味が掴めないことが多い。一応、私の感覚で答えるとイヅルの部屋というのは、ドアが開いていれば入ることができるし、閉まっていれば、入れない。入ったあとについては、ひと言では『色々なことがある』としか、言いようがない。私は、何を答えればいい?」

スグルは、困惑している仁綺を、困惑気味に、見つめ返した。
「いいんだ…生きているなら、いい。つまり、…つまり、僕が訊きたいのは…イヅルの様子に、変わったところはない?」

仁綺は、困惑顔のまま、首を振った。

「イヅルは、わからない」

「そう…。僕にも、わからないな」

スグルは、仁綺にイヅルの様子を尋ねなくなった。




リュカとの《契約》を終え、リュカの帰省中の連絡方法を確認して、オフィスから戻ったスグルは、階段の上へ目をやった。「プラネタリウム」のドアは開き、光が漏れていた。

物音は一瞬、止んだようだった。それから仁綺の、あ、という、鋭い声がした。あとは気配しかしなくなり、やがて、何かが倒れる音と、イヅルと仁綺が楽しげに言葉を交わす声が、聞こえた。スグルはキッチンと冷蔵庫を確かめて、置いて出たクロワッサン・サンドの皿が2枚、洗われているのを見た。仁綺は、イヅルと昼食を取ったらしい。

自室へ向かい、ラップトップをデスクに戻してから、スグルはシャワーを浴びた。

リュカがもし、「箱」を見つけたら…。

いや、見つかるとも限らない…ひととおり、体を流して、スグルはシャワーヘッドを握りしめたまま、壁に額をつけた。

《ゲートキーパー》に連絡を取ったものの、《サーシャ》への報告には依然、躊躇いがあった。渡された6つの《名前》とその「実名」の向こうに、まだ《竜殺し》の影を見つけられていないからだった。

スグルは無論、《マスター》の依頼からまもなく、下調べもそこそこにイヅルをつかまえて、《ドラゴンスレイヤー》について尋ねてみてはいた。遊び半分の風情とはいえスグルに「協力」を惜しんだことのない、イヅルは珍しく、あからさまに口を閉ざした。
「崖の淵に立つのが本人の意思だとしても、その背中を押せば、立派に殺人だ。僕は善良な人間だからね。君の立場が変わらない限り、僕の答えは変わらないよ。『僕は何も知らない』」

…いる。《ドラゴンスレイヤー》はいるのだが、スグルには見えないところにおり…イヅルの警告を信用するなら…スグルがその正体を暴くのは無謀で、しかしスグルには、正体を突き止めるよりほかに、進路がないのだった。

リュカにも、手応えがなかった。
「考古学者にでもなるつもり? アタシが《業界》入りする前だもの、それこそ恐竜時代の話よ。悪いけど名前くらいしか、知らないわね…レポート仕事なら、『鬼退治』に狩り出された爺さま連にインタビューして回るくらいしか、手段がないだろうけど…そんな人、まだ、生きてるのかしらねぇ」

気が重かった。何かは掴んでから、《サーシャ》に会いたかったが…。

スグルは《マスター》から渡されたメモの先に見つけた《竜》たちの暮らしに、思いを馳せた。姓名と性別年齢と、住所と、少し緊張したような、神妙な顔で撮った、証明写真付きID…生真面目で凡庸な人間には理想とも言えそうな平板な、時々は楽しげな、あるいは苦しげな、ログが続き、不意にその拍動が乱れ、その間に別世界で「エピソード」が起こり、また、平々凡々としたログが戻る。その繰り返しだった。そして、ある日突然それが、何の乱れもなく、ぷつんと、途絶えていた。《マスター》が言っていた通り、「何も残っていない」。どのケースも、凡人のそれのような説明可能な死が訪れたのち、淡白に、無味乾燥な社会的な手続きが進められ、周囲には凡庸に、故人の死を悼む人々がいて…《竜》たちの死後、その秘密の領域に踏み込む人間はしかし、その中にも、いなかった。

スグルはシャワーの湯量を増やした。

湯の落ちている空間だけが、ぬるく、あたたかかった。湯の当たっていない端々がそっと、バスルームの本当の温度を、教えていた。

誰にでも、生活はある。《竜》たちさえ例外ではない。誰にでも、死ぬその瞬間まで、生活がある…栄華を極めようと、命を燃やそうと、生きて生きて、生き延び、暮らし、暮らし続けて…ある日、飾り立てたバースデー・ケーキの蝋燭の火が吹き消されるようなしかたで、ああやって、消える。

スグルは画像でしか見たことのない、ありきたりな誕生会を思った。笑顔と、歌と拍手と、思い切り息を吸う滑稽な表情と…。

無だ。

スグルはしゃがみ込んで、顔を洗った、その両手で、顔を覆った。

ぬるい、湯がスグルの後頭部を、雨の音を立てて、叩いていた。ずっと…生きるしかない。生きてゆく他に、選択肢はない。だが…死ぬまで? 積み重ねていけば、踏みしめて歩けば、そのうちに景色が変わって何かが、見えるというのだろうか? …生き延びるためだけに戦い、あるいは逃げ、時に訪れる嵐に耐えながら、目的もなく夜を縫って歩き続けている、この道を? ずっと? この調子で?

人生が、長かった。

もう…疲れた、な…。

スグルは、唇を噛んだ。何度、頭に浮かぼうとも絶対に、言わないと決めている、一言だった。

言わないと決めているのだと、忘れないうちは、まだ、やれる。

《サーシャ》なら何か気になるところが出てくるかもしれないし、なによりCCTVの画像は収集し終えて、報告までに解析が終わる見込みだった。頼りになりそうな「知り合い」連中の動向も、このひと月でおさえた。再調査はもう少し、危険にはなるかもしれないが、獲物を探すという意味では、楽になるはずだ。

気を取り直して、バスタブから出かかったとき、バスルームのドアが、開いた。

「やっぱり、お湯を張っていない」

仁綺は裸に、防災頭巾のような格好で、畳んだバスタオルの両端を持って頭に当てて、現れた。後ろから来たイヅルはドアの桟に手をかけ、仁綺の頭のバスタオルに顎を載せて、バスルームを覗いた。

「ん? 『彼ら』にとって、若さは未熟さと同義だよ、ニキ。スグルくらいの年頃には総じて、『悩み』が多い。それも概して、頭を冷やしたほうがいいような、仕様もない、混乱した思考だ。考えるのをやめて水浴びしてみるのも、悪くはない」
「……」
無言でバスマットに降り立って、仁綺からバスタオルを受け取ったスグルは、畳んだままのバスタオルで顔を拭いた。
「ほんとだ。体が冷たい…ねえスグル、風邪を、引いてしまうよ」
スグルの身体に手を当てて、仁綺は言った。スグルは腰と背中に、仁綺の優しい体温を感じた。
「ん…幸い、体は丈夫なんだ。思考が混乱して水浴びしたくなるくらいには、若いからね。ありがとう」

答えたスグルから、仁綺はバスタオルを奪って広げ、スグルの肩にかけた。

「頭を冷やしたいなら、冷蔵庫に頭を突っ込むのがいいよ。私はたまにやる」
「君が? …どんな時に?」

仁綺は、尋ねたスグルの顔を困ったように見つめ返した。

「頭を、冷やしたい時に」

「……。わ、…なにを…イヅル?」
空の浴槽に胡座に座り込んで、シャワーヘッドを上に向けてイヅルが湯を出したせいで、仁綺が被せて掛けたバスタオルが、びしょ濡れになった。

「『水を差した』。いちゃいちゃしていないで、君たちも入っておいで。お湯を張りながら、温まろう。思うに…スグル、君の趣味は、ぬるいな。免疫に良くない」
「…僕はもう、あがるところだったんだけど…」
「ねえ、スグル」
仁綺は、スグルからタオルを抜き取って、シャワーカーテンに放って掛けてから、スグルの指先をやんわりと握って、言った。
「待っていたのに来ないから、来た」

二人を横目に、イヅルは入浴用の粉石鹸を溜まり始めた湯に撒き入れて、シャワーの勢いを強めていた。瞬く間に、イヅルの体が泡の下に隠れた。熱気と香りが、バスルームに満ちた。

スグルは、イヅルに凭れる姿勢に仁綺を支え入れてから、自分もイヅルと反対側に体を滑り込ませ、泡に埋もれた。
「狭い、ね…」
仁綺のくるぶしを内腿に感じながら、呟いたスグルに、仁綺は囀るように答えた。
「いつも、同じ感想」

スグルは吸い込まれるような心地で、微笑みの形に緩く開かれていた仁綺の唇に、唇を重ねた。イヅルはそれを仁綺の肩越しに眺め、やがて仁綺の肩に置いていた手を、泡の下に沈めた。スグルも、じわじわと、仁綺の脛から内腿へと、手を滑らせた。

仁綺は時折、スグルから唇を離しながら、くすぐったげに目を細めて、身を捩った。




>次回予告_20.イヅル

「見ればわかるだろうに。家で正装して暮らす趣味は、僕にはない」

》》》》op / ed


今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。