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ブロックチェーンに期待される「アートの民主化」、その真なる力とは?_富士山展3.0トークショー(4)

2020年2月に開催されたトークショーの書き起こし(4)から後半です。

イベント当日とは現在は大きく状況が変わっておりますが、アート、KAWAII、IT、分断、対話など、たくさんのテーマが入り組んだ、大きな場所ではなかなか話せない、1時間半の熱い、熱いトークセッション。今こそ読み直しておきたい内容となっております。是非ご覧ください!

(1)日本のアートは2011年を境に変わってしまった
(2)芸術?エンタメ?ファッション?アーティストがぶつかる領域問題
(3)ディスカッションが苦手な日本で、アートが果たすべき役割とは〜あいちトリエンナーレを考える

登壇者

施井泰平
藤田さんの文章の中にもありましたが、インターネットができる前までは、テレビ局にはフジテレビがあって日テレがあってNHKがあって、その背景にある思想的な差異をみんなそこまでわかっていなかったんだけど、インターネットができて、Twitterなりで可視化されたというか、思想の違う人たちがいるということが露わになった。

藤田さんて、インターネットに希望を持っていた世代だと思うんです、僕もそうですし。でも便利になった一方、SNSなどで対話自体は起きてるけど成り立ってないことが明らかになったと思うんですよね。

藤田直哉
たしかに、インターネットによって、人々が理性的に公共的な議論をしていくんだっていう理想が90年末までにはあったと思います。でも、実際に一般の人がそれぞれ喋るようになったら、全然理性的でも倫理的でもないぐちゃぐちゃなおかしいことばかり起こっている。

これはネットがない時代は想像できなかった。みんなが投書のように、考えてから発言するかと思ったら、この国の人たちはそうじゃなかったというのがわかった。これは衝撃でしたね。

だからもう一段階ひっくりかえって、2ch的なアナーキーな力に可能性を感じるというのが2000年代の僕たちのある種開き直りな希望だったわけですよね。でもそれがさらに10年くらい経って、今のネット上のヘイトとかの状況に帰結してるんだとすると、ある種それを煽ったことに罪を感じてる人もいるんじゃないかなと思うんし、それに自分も共感するところはあるんですよね。

増田セバスチャン
人類が持つのが早かった発明は、原子力とTwitterとさえ言われていますよね。Twitterだと一丁前なことを言っている人も、実際に会うととそうでもなかったりする。含蓄もなく140文字を書いてしまうから対話もできない。

藤田直哉
そんな中で、施井さんはブロックチェーンを使って「アートの民主化」をしようとしているわけですよね。ブロックチェーンっていうのは、つまりかつてのネットはのアナーキーを今は秩序的にしようと国が統制したりしようとしてるなかで、ある種もう一度ユーザー側に戻そうとする装置ですよね。

施井泰平
実は、僕が一番最初に今の構想を思いついたのは2006年で。『ウェブ進化論』っていう梅田望夫の書いた本がすごい売れた時代で、彼は、今はみんなパソコンの中に情報を保存してるけど、これからはクラウド上に保存したり共有する時代になりますっていってムーブメントになった。

藤田直哉
やっぱりその時代なんですね。

施井泰平
でも、僕が一番最初に考えていたのはWeb1.0って熱いなってことで。インターネットのwwwの理念すごいな。パーソナルコンピューターすごい、その情報がつながって可視化されるのはいいなと思っていたんです。

そのあと、出てきたWeb2.0ってのは、大きなプラットフォーマーが管理する環境の中でみんなが発信出来るようになった世界だと思うんです。

Twitterはまさに2006年にはじまって、アートの世界では最初は使ってない人が多かったのですが、2009年ごろから少しずつ自分たちの活動を世の中に知ってもらうツールとしてアーティストや美術館が発信するようになって2011年の震災をきっかけに多くのアート関係者が始めた。

ただ、それで何が起きたかというと、僕の尊敬していたアーティストたちにフォロワーが全然つかないわ、その辺の頭の悪い人たちに叩かれてるわっていう姿を見てしまったんですよね。インターネットって、良くも悪くも権威というものを崩してしまう。アートの人の権威って、守られて作られた権威だっていうのがわかってしまった瞬間だった。

近代のアートは西洋美術のヒエラルキーや価値観だけで語られることが多いけど、実際は東洋にも他の世界にも美術の歴史はあって、色んな影響があって今があるんだ、というところを意識するのが「リゾーム」というモデルで。そこをインターネットが可視化するのでは、と考えていたが、蓋を開けると何だか違うことになってしまった。

藤田直哉
たしかにネットに希望があったんですよね。先ほどお話しした、未成熟を認めるだったり、西洋的な人間観を前提としたヒエラルキーではない、日本のネット社会とか大衆文化こそある種のリゾーム的なもので、そこに可能性があるという価値転倒を当時は感じました。カオス*ラウンジとかがそうですよね。ニコニコ動画とか二次創作とか2chで作られるコピペとか、あの辺の力をアートに吸収する機運があったと思います。

施井泰平
でも結果的にアートとインターネットはすごく相性が悪くて、インターネットからアート関係者が離れていくという状態になってきてしまった。

そんななかで僕は、ブロックチェーンの思想と技術は、そもそものWeb1.0のときに考えていたような、Web2.0的なプラットフォーマーが牛耳る世界じゃなくて、個や組織のリゾーム的なつながりをつくる技術に見えた。これならいけるんじゃないかと思ったんです。

藤田直哉
新しいアートを評価する別の枠組みを作ろうとなさってるってことですよね。ブロックチェーンを使って、これまでの権威が評価するんじゃない、別の評価のインフラを作ろうとされている。

施井泰平
今のアートマーケットって白人の男性が中心で、たとえば草間彌生が日本人じゃなければ、女性じゃなければ、15倍の値段がついていたんじゃないかというくらいの世界で。そのくらい昔のアメリカとかイギリスの価値観が中心のマーケットなんですよね。それ以外のものに価値をつけるための活動は、ずっと悪循環を繰り返していた。そうではない価値観を作るとなると、インフラを整備しないといけない。「価値転倒をしたい」っていうのとも若干違うし、また「新しい仕組みを作る」っていうのも必ずしもそうではないんですけど、インフラを整備して「既に存在した価値を可視化」したいんです。

本当は新たなものを作りたいという思いもあるけど、これまでにいろんな成功と失敗を繰り返して思ったのは、ものには因果があって、完全に恣意的なアーティストのクリエイティブは広がり得ない、ということ。どこかで、絶対に因果や必然があって、それに対してどこまで自分が争わないというかっていう要素もあると思っていて。

難しい話なんだれど、アンディ・ウォーホルは複製技術ができた時にキャンベルスープをひたすら描いていて、それって当時の技術や社会背景を描いた風景画のようにみえていて。創造的なキャラクターを入れてるわけでもなく、見たままを描いているだけなのに、それが時代の問いになっている。オリジナルの突飛な何かを作るというよりも、風景そのものが可視化されて、この時代の価値を問うのが良いと思っています。

藤田直哉
プラットフォームを作るというよりも、既にある価値、無意識化している風景を可視化するということですね。面白いですね。

→(5)70年代のハローキティ、震災後のきゃりーぱみゅぱみゅ。平和への願いがKAWAIIを生み出す。

(1)日本のアートは2011年を境に変わってしまった
(2)芸術?エンタメ?ファッション?アーティストがぶつかる領域問題
(3)ディスカッションが苦手な日本で、アートが果たすべき役割とは〜あいちトリエンナーレを考える
(4)ブロックチェーンに期待される「アートの民主化」その真の力とは?
(5)70年代のハローキティ、震災後のきゃりーぱみゅぱみゅ。平和への願いがKAWAIIを生み出す。
(6)原宿発のカウンターカルチャー「KAWAII」がなぜ国や企業の後押しを得るのか。

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