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日本のアートは2011年を境に変わってしまった_富士山展3.0トークショー(1)

2020年2月にHELI(X)UMの会場を使って開催された富士山展3.0トークイベント「アートから生まれる『対話』の現在 −テクノロジー、カルチャー、コマーシャリズムを通して−」の書き起こしをお届けします。

イベント当日とは大きく状況が変わっておりますが、新たな時代の変換点を迎える今、改めて残しておきたい内容であるかもしれません。

アート、KAWAII、IT、分断、対話など、たくさんのテーマが入り組んだ、大きな場所ではなかなか話せない、1時間半の熱い、熱いトークセッション。是非ご覧ください。*後日有料公開に切り替えますので、お早めにご覧ください!

登壇者紹介

登壇者

【左】施井泰平
(しい たいへい/スタートバーン株式会社代表取締役、アーティスト)
1977年生まれ。東京大学大学院学際情報学府修了。スタートバーン株式会社代表取締役。2001年に多摩美術大学絵画科油画専攻卒業後、美術家として「インターネットの時代のアート」をテーマに制作。大学院在学中にスタートバーンを起業。2019年10月にStartrail(旧名Art Blockchain Network)のホワイトペーパーを公開。

【右】藤田直哉
(ふじた なおや/批評家)
1983年札幌生まれ。日本映画大学准教授。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。批評家。著書に『虚構内存在 筒井康隆と<新しい≪生≫の次元>』『シン・ゴジラ論』『新世紀ゾンビ論』、編著に『地域アート 美学/制度/日本』『3・11の未来 日本・SF・創造力』などがある。

【中央】増田セバスチャン
(ますだ せばすちゃん/アーティスト、アートディレクター)
1970年生まれ。90年代より演劇・現代美術で活動をはじめ、95年に原宿で6%DOKIDOKIを開店。きゃりーぱみゅぱみゅPVの美術、KAWAII MONSTER CAFEプロデュースなどで知られる一方、世界を拠点にKAWAIIカルチャーを広めるアート活動をしている。

施井泰平
では、「アートから生まれる『対話』の現在 −テクノロジー、カルチャー、コマーシャリズムを通して−」始めていきたいと思います。

まず、自己紹介から。僕は、もともと現代美術家で19年目になるんですけど、今はスタートバーンという会社をやっておりまして、テクノロジーを使ってアートのインフラを整えるというミッションで活動しております。最近では、ブロックチェーンを使ってアートのインフラ作りをしています。

今日来ていただいた藤田直哉さんはゼロアカ道場のころから見ています。15年くらい前にUSTREAMとか、ニコニコ動画でリアリティーショーみたいなことしていたんですよね。その中でも、藤田さんはプロレスでいうところのヒール役みたいな立ち位置で、すごく変で面白い方だなと思っていたのですが、最近ではアートに関するテキストも出されていて。

アート村に閉じた言説が多い中で、藤田さんは色んな領域について中立的な立場で語られているなと思いまして、今回初めてお会いするんですけど、僕とか増田さんが今いる微妙な立場についてもうまく引き出してくださるかなということを期待しています。

藤田直哉
藤田直哉です。批評をしています。美術批評では、『地域アート』という本を刊行したことで一番よく知っていただいていると思います。地方で行われている美術祭などを論じた本で、あれが僕の一番の代表作にのようになっています。二〇一〇年代の社会関与型の芸術の隆盛に随伴的に批評してきた書き手だ、と言ってもいいかもしれません。本日はお手柔らかによろしくお願いいたします。

施井泰平
増田さんは2人で話すことは結構多いんですけど、みなさん、きゃりーぱみゅぱみゅのプロデュースとか華やかな印象が大きいと思うんですが、もともとガチアートから出ていらっしゃっていて。その辺りも含めて話せればと思っています。増田さんも自己紹介をお願いします。

増田セバスチャン
あんまりアートのところで僕が喋ることって少ないんです。喋りたいと思っているんですけどね。

もともと僕は、20才くらいのころは寺山修司に憧れた演劇少年でした。いわゆる演劇とはちょっと違う、客席と舞台の境をなくす様な、ちょっと変わったものでしたが、日常にこそ演劇がある!とか、そんなことを考えて過ごしていました。それが、どうしてKAWAIIにつがっていくのかというと…。

あの頃って未来は機械に侵食される、っていう作品が多かったんですよね。コンピューターの0と1でつくられる世界に人間が侵食されて無機質な未来がやってくる、そういう論調が一般的でした。でも、若い僕には全くリアルではなくて、みんなと同じようにそれがやばいとは思えなかった。

そんなことより、僕の周りで一番やばいものって何だろうって見渡したときに、サンリオのショップでキティちゃんに群がる女性たちだと思ったんです。「大人がちっちゃい口のない猫を愛でている!これこそやばい未来だ!」って感じていたわけなんです。当時、ぼくはハードコアなものが好きだったけれど、キティちゃんのほうがもっと過激なものに見えた。それが今の活動につながるきっかけです。

藤田直哉
KAWAII文化がハードコア、やばいっていうのをその時点で思われたのはすごいですね。

村上隆さんも、一見かわいい風の作品で大衆文化の不気味さ、戦後の奇形的に育ってしまった日本社会を少し距離を置いて批評的に見てると思うんですけど、増田さんはどうなんだろうということを、お聞きしてみたいなと思いました。KAWAII文化が象徴するものとは、なんだと思ってらっしゃるのかなって率直に伺いたいです。

増田セバスチャン
村上隆さんについて、先に言っておくと僕は尊敬しています。1人でアメリカに出て行って、ここまで日本のアートを広げられた方なので。

僕が90年代の現代美術に巻き込まれていた頃、レントゲン藝術研究所ってところに出入りしていて、そこで村上さんも活動していました。当時はパフォーマンス込みの作品もあったので、僕は村上さんはパフォーマーだと思っていました。村上さんといえば、加勢大周Zプロジェクトを思い出しますね。他にも、いろんなコンセプチュアルな展示をされていて、ああ、面白い人だなと思っていました。

それで、KAWAII文化が象徴していること、という話については、キティちゃんを見て「やばい」って思ったのって、公園で蟻をプチプチ潰している子供って怖いなっていうのも似ているなと思っていて。つまり、そういう小さいものを可愛いと愛でるその延長線上で子供はプチプチ潰してる。そこに人間の本来の欲望みたいなものがあって。つまり、僕がハードコアで感じていたものって、幼児的な無邪気な心なのかな、と感じたんですよね。

施井泰平
それにちょっと繋がるかな、と思うのが……、奈良美智さんって、世界的に見ると村上さんの影に隠れていたというか、村上さんが作ったムーブメントに乗った人のように見えてしまったところはあると思うんですが、最近になって評価は変わって、マーケットが欲しがっている印象があります。

僕の中では、村上さんは西洋のアートのマーケットをハックして、日本の美術を世界に持っていくために工夫した人で、一方、奈良さんって日本の頑固なアーティストという感じ。西洋美術史をガチで学んでコンセプチュアリズムをベースにして、ということではなく、自分が好きなことをやり続けるという。モチーフになっている頑固そうな少女の姿がそれを物語っているように見えるし、頑固な日本アーティストの象徴として、メタな感じで世界に受け入れられているんじゃないか、と思っているところがあります。

藤田直哉
なるほど、キティちゃんも、アメリカの第三派フェミニズムの人たちには反抗的でクール、パンクな突っぱねるような存在として評価されているらしいので、繋がっているのかもしれないですね。

ゼロ年代にオタクカルチャー・ネットカルチャーに関わってきた僕の勝手な私見ですけれど、オタクカルチャーの「萌え」も、女性たちが作っていた「カワイイ文化」を男性たちが後から入って発展させたものだと思っていたんですよね。無邪気や幼児性の持つアナーキズムという形で。

でも、最近ネットとかで、オタクとフェミニズムが対立していたりする。オタクの無邪気な欲望が社会的に悪をなすんじゃないかと言われたりしていて。それはそれで分かる。それで、かつて自分がそのオタク文化のアナーキズムを盛り上げる方にいたことが、良かったのか、最近反省させられるようなところもあるんですよ。

増田さんは、KAWAII文化が広がって、みんなが幼稚化して、人間的に成熟しなくてもいいという快楽主義的な考えが広がっていくことって、ひょっとしたら危ないのかもしれない、と思ったりはしませんか?

増田セバスチャン
でもそれって、2011年で転機が訪れたと思っているんです。震災までは無邪気でいられた。でも2011年で日本中の価値観が変わったなって。

その前までは、みんな頑張らなくていい。努力なんてどうでもいい。「明日があるー♪」みたいなのが流行ったりしてた。でも、明日とかないじゃんっていうのが2011年だった。

実は僕は2011年から急激に注目され始めたんです。きゃりーぱみゅぱみゅっていうアイコンがあったのもあるけれど、震災以降、明日さえわからない中で、自分だけの価値観みたいなものがもっと必要なんだとなった。日本でずっとそれを貫いてたのは原宿の子とか、秋葉原の子達だった。だからそこからさらに注目され始めたと思うんですよね。


施井泰平
きゃりーちゃんって、もっと前かとおもっていたけれど、2011年からなんですね。

藤田直哉
2011年がきっかけで、たしかに大きく変わりましたね。2000年代に、村上隆さんもいらっしゃった『日本的想像力の未来 クール・ジャパノロジーの可能性』にまとまったシンポジウムで、東浩紀さんは、カワイイ文化やオタクカルチャーの未成熟性が、日本のポジティブなものと評価できるかどうか、ということを論じて議論していたのを思い出します。近代的趣味に合ってない、人間になってない、とかの理論と対立しながらも未成熟である文化に可能性があるというニュアンスだった。

2008年に開催された現代美術のコレクターである精神科医・高橋龍太郎先生のコレクション展も「ネオテニー・ジャパン」(neoteny=幼形成熟)というタイトルだった。未成熟なまま大人になる「コドモオジサン」的文化であるオタクカルチャーと、カワイイ文化と、日本の現代アートコレクションを、「ネオテニー」の語でひとまとめにしていたのは印象的でした。

でも2011年からはそういう論を聞かない。みんな真面目になりました。

施井泰平
僕は個人的にはアーティストとしてはモダニストっていうか、アート純粋主義みたいなところがあって、意図的に政治性や社会問題性を作品に入れることへの抵抗があるのですが、2011年以降に作品を作れなくなったところはあります。2011年以降、政治的だったり社会問題を扱う作品じゃないとだめとか、何をしてもそう見えてしまってやりづらくなってしまいました。

藤田直哉
社会派のアーティストが震災後に増えましたよね。カラフルで華やかなものをなくして、なるべく殺風景、むき出しの木とか、工事現場のヒモとか、仮設的なものとか、ゴミのようなものの美学を表現するものだったり。そこで、逆に華やかなもの、視覚的に美しいものが物足りなくて、増田さんみたいな、貫く人が評価されるのもよくわかります。

増田セバスチャン
なるほど、受け手の方達にとってはそうだったかもしれませんね。

でも僕は、震災の1ヶ月後に現地にボランティアに行ったんですよ。まだ全く片付いてないその光景をみて、もう、かなわないと思った。いわゆるジャンクアートとか、アーティストが考えて配置するインスタレーションなんて、本物には全くかなわない。街が流されたその跡は、置かれているもの全て意味がありすぎて。人工的に作ったものは、こういう風にしようという意思の元にそこにあるわけですが、意味の度合いが全く違う。意味がありすぎる。

自分も、カラフルリベリオンという作品なんかでひとつひとつ配置を考えて作ってはいるのだけど、でも津波でできた全てに意味がある配置には全くかなわない。どうにか近づけられないか、という思いで今も作っています。

藤田直哉
そういう深さがあったのですね。

→(2)芸術?エンタメ?ファッション?アーティストがぶつかる領域問題

(1)日本のアートは2011年を境に変わってしまった
(2)芸術?エンタメ?ファッション?アーティストがぶつかる領域問題
(3)ディスカッションが苦手な日本で、アートが果たすべき役割とは〜あいちトリエンナーレを考える
(4)ブロックチェーンに期待される「アートの民主化」その真の力とは?
(5)70年代のハローキティ、震災後のきゃりーぱみゅぱみゅ。平和への願いがKAWAIIを生み出す
(6)原宿発のカウンターカルチャー「KAWAII」がなぜ国や企業の後押しを得るのか

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