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芸術?エンタメ?ファッション?アーティストがぶつかる「領域」問題_富士山展3.0トークショー(2)

(1)日本のアートは2011年を境に変わってしまった

登壇者

登壇者

【左】施井泰平【中央】増田セバスチャン【右】藤田直哉
(プロフィールは(1)参照)

施井泰平
増田さんが若い頃に、現代美術家の飴屋法水のところにいて、レントゲン藝術研究所とかを見ていたという話があったと思うんですが、そもそも増田さんがもともと現代アートの人だというのはあんまり知られてないと思います。

そこを圧縮して、6%DOKIDOKIだったりきゃりーぱみゅぱみゅの美術とかサンリオピューロランドのパレードとか、みんなが知ってるものを作っていて、その上でアート作品を作っている。このモチベーションは言語化できていたりしますか。ご本人の意識としてはアートと社会の距離感はどのようにとっているのでしょうか。

増田セバスチャン
根源的に自分はアートが何たるかなんてわかっていませんでしたが、それでもアーティストを目指そうと思ったのは、アートは時代を変えることができると信じていたからです。そのための手段なら、ファッションだろうが、エンタメだろうがどうでもいいというか。

自分は美大も出ていませんし、ただ飴屋さんのところにいて、彼がやっていることを見ながら、こうやって世の中に対して、美術や演劇という武器を持って突っ込んでいくんだなということを学びました。だから、自分なりに、時代とか社会に突っ込んでいくとしたら、何を武器にしていくのか、どう生きてくかを考えているんです。

サンリオピューロランドのパレードを見て「楽しい!」って思ってもらえても、それは表面的なものでしかなくて、その奥で「こっちの世界にも来れますよ」って仕掛けているつもりです。

藤田直哉
こっちの世界とは、具体的にどういう世界ですか?

増田セバスチャン
表の世界では、「かわいい」で終わっていいけれど、こちらの世界は、それをもって何ができるのか、ということを突き詰められる。どうやって時代とか世界を変えられるんだ、と考えずにはいられない、そういう影響させるものを作りたいと思っているんです。

施井泰平
ティムバートンの「チャーリーのチョコレート工場」とか、表面的に可愛いのが出てきて、でも一歩先は闇だっていう、そういう感じに近いですか?

増田セバスチャン
それでいうなら、ティムバートンといより、1971年の「夢のチョコレート工場」のほうかもしれませんね。

施井泰平
なるほど、おもしろいですね。僕もアーティストもしてるので、よくアートとビジネスを横断してますみたいに言われるんですよ。でも僕の中でそれは違和感があって。ビジネスと横断してる気持ちなんてない。

増田さんは現代アートというところで生まれたけど、原宿で育って、再びアートを出していく時に、自分のアートの出自をあえて出してこなかったのはなぜでしょう。

増田セバスチャン
そもそも、アートを作っていこうと思った時に、日本のアート界に入りたいとは思わなかったんです。なぜかというと、きゃりーぱみゅぱみゅで売れたアートディレクターがアート作っちゃった、なんて思われるのがすごく嫌だった。僕は原宿で20年活動してきて、なのにそこだけ切り取られるのが嫌で、そんな風に見られる日本でアートをする意味がないと思っていました。日本のアート界は小さくて村のようですから。それなら、アメリカとか、自分のことを支持してくれる人が多いところに行きたいと思いました。

日本で何かやろうと思うけど、すぐに小さくなってしまうんです。自分はどんどんアイデアが出るし、世界を変えるっていう目論見もあるんだけど、どうしても規模が小さくなって、気持ちも荒んでいく。でも、アーティストのヤノベケンジさんが日本でもやる機会がないとダメだよといってくれて。そういう色んな人の後押しがあって、日本でもアート活動をしているんです。

あと僕は中国人の現代アートの巨匠・蔡國強さんと仲良くしてもらっていて、NYのスタジオや自宅に遊びに行ったことがあるんです。そこで、アーティストとして自分が進む方向を相談しました。

そうしたら、アートマーケットで高値で作品が取引されるのは一つの成功だけど、成功にはもう一つの方法があるんだよって。それは、ギャラリーにも所属せず、時代を動かすものを作るんだって。そうすれば、社会が支えてくれるアーティストになる。アートとしてのメッセージを高めて、社会に守られていくのがもう一つの成功だ。君はどっちを選ぶ?って。

蔡國強さんの見た目を知っている方は想像できるかなと思うんですが、もうそれは、孔子曰く、みたいな雰囲気で。

蔡國強さん自体はギャラリーに所属せず、社会を巻き込んで有名になっていきましたよね。たとえば、有名な万里の長城で爆竹を点火していくパフォーマンスは、お金がないから旅行会社を作って、観光としてお金を募って実現させたそう。

じゃあ、僕はどっちなんだと考えて。うーん、せっかくNYで活動するならお金持ちになりたいな〜、なんて思ったんですけど、蔡さんに「君はこちら側だよね」と言われてしまって、僕にはひとつしか道は残されていないのか、って思いました。

藤田直哉
ある種の革命家なのかもしれませんね。作品を通じて世界とか文化とか価値観とか認識を変えることをやりたくて、そのために商業だろうとアートだろうと有効なメディアだとか方法を用いるという感じだと思うんです。

僕も「領域横断」という言葉はあまり好きではない。そもそも、そんなに確固とした領域なんてあるのかって思うんですよ。アート業界というものにおいても、アートマーケットや、アカデミズムはあるんだけれど、過去の優れたアーティストってみんなそこに止まっていた人たちではないですよね。

草間彌生だってベトナム戦争に反対のメッセージを出していたし、ファッションブランドもたちあげるし、宇宙に愛を広げて人類を変えるとか本気で言っている。みんながもっとセックスするようになったら戦争も貧困もなくなる、だからそれを世界に広げるんだって、半ば本気で言って、そのために裸で街に出ていったりしちゃう。そういう風に、何かを変えようとする人がアーティストだと思うんですよ。

ウィリアム・モリスも壁紙の絵を描く人ではなく、産業革命が起きて街が変わっていく中で、植物のうるおいのある生活感覚を取り戻したい、とナショナルトラスト運動に関わって、古い建物や緑地を保存しようという、今でいう世界遺産・自然遺産みたいなものを作った初期のメンバーだった。

つまり、今の世界より美的に良いと思う世界があって、そちらに変えたいという思いで、未来を見据えて何かを投じることで人類全体の認識なりを変えていくっていうタイプの人がアーティスト・芸術家だと思うんです。

そう考えると、アート業界とか領域にあまりにも形式的にこだわるひとの方が、アート的じゃないように、時々感じるときがあります。

僕が前衛アートによくコミットしてるのはそういう理由で。そうじゃないと、現代アートって何の意味があるのだろうって思ってしまう。だから、僕は増田さんのやっていることはそれぞれバラバラのようには感じません。むしろ一貫していることなのかなと思います。

でも、その点は施井さんも現代美術の活動とスタートアップの企業でブロックチェーンを使ってインフラを作るというのは矛盾していない気がして、やってらっしゃることはそんなに違わないくて、むしろ出し方を変えているだけなのかなと想像してるんですが、どうでしょうか。

施井泰平
それはまさにそうで、横断しているとすれば、使う言語や慣習の違いはあって、おそらく増田さんも同じだと思うのですが、ピューロランドでの作り方と、自分のアート作品では作り方のプロセスや言語は違うと思いますしね。

→(3)ディスカッションが苦手な日本で、アートが果たすべき役割とは〜あいちトリエンナーレを考える

(1)日本のアートは2011年を境に変わってしまった
(2)芸術?エンタメ?ファッション?アーティストがぶつかる領域問題
(3)ディスカッションが苦手な日本で、アートが果たすべき役割とは〜あいちトリエンナーレを考える
(4)ブロックチェーンに期待される「アートの民主化」その真の力とは?
(5)70年代のハローキティ、震災後のきゃりーぱみゅぱみゅ。平和への願いがKAWAIIを生み出す
(6)原宿発のカウンターカルチャー「KAWAII」がなぜ国や企業の後押しを得るのか

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