見出し画像

へきちの本棚⑤(2023年に読んだ本)

へきちの二人、松田洋和田渕正敏が、毎月テーマを決めてレコメンドをする企画、へきちの本棚。第5回目は「2023年に読んだ本」をテーマにそれぞれ6冊の書籍を選びました。

水車小屋のネネ
津村記久子

発行日_2023年3月2日
発行元_毎日新聞出版
装幀_中嶋香織
イラスト_北澤平祐

一羽の鳥と、その周りの人々の四十年の物語。 この物語に登場する人々の多くは、自分の意志で、自分の人生を見つめようとしている。その自分の人生に少しずつ他者の未来が含まれている。私たちはみな一人分の人生を歩むが、傍らに並走する誰かを見て、交わらずともその他者が存在しているということが、ときに励みになったりして生きている。
小さな円のように循環する営みには確かに誠実な眼差しがあり、例えばそれは、そっと声をかけられるような単純なことが支えになるような、静かな優しさだ。
津村記久子の小説は、長ければ長いほど良い。それはやはり「続いていくこと」に柔らかな明るさを感じるからだと思う。(松田選)


じゃむパンの日
赤染晶子

発行日_2022年12月1日
発行元_palmbooks
装幀_仁木順平

3冊の単行本を遺して早世された赤染晶子のエッセイが、2022年末に発刊された。私は彼女の小説が大変お気に入りで、普段エッセイは後回しにしがちなのだが、すぐに手に入れた。でも一気に読むわけではなく、ちょっとずつ行きつ戻りつしながら読んだ。それが大変に心地良かった。控えめだが、すべての目線に愉快な心持ちがある。並んで歩いているときの、こちらの顔を見ずに、でも朗らかに話しているような文体だ。
そこにある陽だまりを目にしてふと、世界の輝きを目撃してしまった気持ちになることがある。それは特別なことではなく、その“なんてことなさ”に自分も連なっているということが嬉しいのだ。(松田選)


ハンチバック
市川沙央

発行日_2023年6月30日
発行元_文藝春秋
装画_Ina Jang
装幀_大久保明子

短く、透明で、鋭利だ。まるで脳に直接文章を送り込まれているかのように、一切湿度がないクリアさで言葉が入ってくる。形容詞がない言葉の連続は、事実を映し取ったかのような手触りで虚像と実像のコントラストを際立たせる。その理路整然とした言葉によって正確無比にズレていく現実にゾクゾクしてしまった。
もちろん物語の骨子があってこそだが、文章を文章のままに受け入れることの気持ち良さで成立している小説でもある。ただ、この小説を“テキスト”として以外の視点から判断することができる読者が、一体どれほどにいるだろうか。だからこそ、私は今後もこの作家の著書を読み続けたいと思った。(松田選)


怪しい来客簿
色川武大

発行日_1989年10月10日
発行元_文藝春秋
イラストレーション_黒田征太郎
デザイン_高橋雅之+K②

こんなに面白い本を今まで読んでこなかったなんて。この本を皮切りに、しばらくは色川武大(阿佐田哲也)を夢中で読んだ。
登場する人物や出来事、情景の筆致の鮮やかさ。残酷なことも穢らわしいことも単純な興味の眼差しの上では等しく彩りを放つ。読み進めるにつけどんどんと惹きつけられるが、ピンピンに張られた糸が最後の最後にパッと離されるような読後感(坂口安吾「文学のふるさと」を思い出しもする)。すべてが現実のものと思えるが恐らくは記憶によって描かれるディティールもあろう。滑稽さと残酷さが同居する白昼夢が、そのまま色川自身の人生だったのかもしれない。(松田選)


ほとんど記憶のない女
リディア・デイヴィス

発行日_2011年2月10日
発行元_白水社
ブックデザイン_田中一光/片山真佐志
カバー装画_René Magritte
翻訳_岸本 佐知子

ガラス一枚隔てた向こう側に見えるものをひたすら正確に記述したような小説だ。作家の意図によって物語を紡ぐでもなく、目に入るすべてを機械的に記載したかのような文体。それによって生じる奇妙さ(数行しかないような超短編は、バリー・ユアグローみたいだな、と思ったら、ほとんど同世代のようだ)。空洞のまわりを旋回しているかのような読み心地は静かな共鳴を起こすとともに新鮮な恐怖でもあった。私たちが身を置いている世界というのは、こうも簡単に崩壊してしまうのだ。(松田選)


ゴリラ裁判の日
須藤古都離

発行日_2023年3月15日
発行元_講談社
イラストレーション_田渕正敏
ブックデザイン_鈴木成一デザイン室

人間の言葉を理解するゴリラと、私たち“人間”を隔てるものは一体何なのだろうか。ローズは“人間”のコミュニケーションの道具である言語を解するだけでなく、価値観自体を受け入れている(裁判は正に、人類が作った手段だ)。17世紀アメリカでは移民は自分たちコーカソイドを“人間”と定義し、先住民を家畜と同様のものと扱った。また、「電気羊はアンドロイドの夢を見るか」に代表されるSF作品はしばしば「何を以ってして“人間”とするか」を問いかける。
人類が抱え続けている問題を想起させる普遍的な社会派小説でありつつ、ファンタジックな要素にエンターテイメント性もある。シリアスさをユーモアでコーティングしたかのような装画が素晴らしい。(松田選)

言葉を理解し人間と話すことが出来るゴリラのローズ。彼女が暮らすカメルーンの森の生活描写に息を呑む。彼女は夫の死をきっかけに人間と法廷で戦う。裁判は「人間とは?」という問いへと発展していく。我々は慣習によって強くラインを引いて人種、動物、地域を分ける。そうして生み出された差別に囲まれて生きている。人間の定義を問う時、その境界線がいかに曖昧であるかということが分かる。ローズは自分を特別なゴリラだと認識していた、しかしそれが学習の機会を与えられたことによるものに過ぎないと気づく。ローズが裁判で求めていたものは自分の定義だった。(田渕選)


吹けば風 Incoming Breezes
川角岳大・澤田華・関川航平・船川翔司

発行年_2023年8月31日
発行元_豊田市美術館
ブックデザイン_刈谷悠三+角田奈央(neucitora)

豊田市美術館で開催されたグループ展の図録。展覧会タイトルは、明治生まれの詩人・高橋元吉が詠んだ詩の一節「咲いたら花だった 吹いたら風だった」に由来する。会場で斜面に立つ人間を15分ほど見続けていた。傾斜を確かめてゆっくりと立ち始める。更にそのスピードを緩めると、筋肉が震える。斜面に立つということがじわじわと自分の足からも伝わってくる。自分もそうして立つだろうと思う。立つ・屈む・寝ると形容出来る動きがやがて崩れていく。筋肉や関節の動き、ポーズが空白の時間を作る。言葉が追いつかない間に景色が変わって、体や動きや人間が解体されていく。帰りの電車、ふと自分はどの様に肘をつき座席に座っていたかと考える。(田渕選)


〈公正〉を乗りこなす
朱喜哲

発行年_2023年8月5日
発行元_太郎次郎社エディタス
デザイン・DTP_村松丈彦(むDESIGN室)
イラストレーション_田渕正敏

この本はタイトルに「〈公正〉を乗りこなす」とあるように、「公正」という言葉を自転車のように乗りこなすことを提案する。会話を終わらせないために。決して相手を黙らせるための話法にならないために。正義と善、この二つの言葉を明確に区別することが重要だと著者は言う。この大前提が整理できたことだけでも大きな指標として作用した。自己をアップデートする事の重要性がこれほど浮き彫りになった時代に、考え続けるためにも多様なことばづかいを学び、共存のための言葉を見つけたい。補助輪をつけた自転車で走りながら、徐々に感覚を掴んでいく。(田渕選)


訂正する力
東浩紀

聞き手・構成_辻田真佐憲
発行年_2023年10月30日
発行元_朝日新書
帯デザイン_大島依提亜
カバーデザイン_アンスガー・フォルマー、田嶋佳子
帯イラスト_ヨシタケシンスケ

帯のイラストには大人に鉢の正しい使い方を指示する子供が描かれている。鉢という道具の使い道は本来無限にあって、その一部に植木鉢という領域がある。2章で「じつは......だった」と訂正を繰り返しながら対話しているうちにルールが書き変っていても当事者はそれに気が付かないという言語の特性について触れている。これはイラストレーションという言葉にも当てはまる。イラストレーションの実体はイラストレーターそれぞれが勝手なイラストレーション観を持っていて、その解釈は第三者(観客)によって変わり続けている。言葉を絶やさないためには、その変容を受け入ることで自己を適応させる必要がある。(田渕選)


とるにたらない美術
─────ラッセン、心霊写真、レンダリング・ポルノ
原田裕規

発行年_2023年11月20日
発行元_KENELE BOOKS
デザイン_加瀬透

筆者が美術大学で体験した様な「ラッセン」という人名をネタとして消費する空気が存在することは、お笑いのブーム以前から認識していた。ラッセン絵画の鑑賞体験もあるけれど、何だか苦手で通り過ぎた。それ以上に考えることを放棄したとも言える。書名にラッセンという文字を見つけて迷わず本に手が伸びたのは興味と共に自分にも疼くしこりがあることを確認したからだった。筆者は「表現の多面性を一義的に捉える見方」を慎重に避けながら「とるにたらない」と蓋をした事象の根元に戦争や災害へと連なる歴史を掘り起こしてみせる。その多数の視点に触れた時、ラッセンを「とるにたらない」と切り捨てながらも引き寄せられる自分の足元が見えた。(田渕選)


「おりる」思想
飯田朔

発行年_2024年1月22日(2023年12月にゲラで読了)
発行元_集英社新書
装幀_原研哉
目次・扉デザイン_MOTHER

何者かであることを強いられる世界で、そこから「おりる」という視点。私はイラストレーターという職業上、名前を前面に押し出して働いている。「おりる」思想とは対極の生き残るという思想も何者かになる必要も身に積まされているから、考えを揺さぶられる思いで読んだ。何者でもない視点でこの本を書いた筆者は今後否応無く作家として認識され、本の売上という競争にも巻き込まれていくだろう。私は読者としてこの本が売れて次作に繋がることを期待している。著者はその渦中で何を見出すのだろうか。この難しい世の中への探求から目が離せない。(田渕選)




へきち

田渕正敏(イラストレーション)と松田洋和(グラフィックデザイン・製本)によるアート/デザイン/印刷/造本の活動です。


田渕正敏

イラストレーター

最近の仕事に「アイデア402」装画(誠文堂新光社/2023)、「ゴリラ裁判の日、須藤古都離著」装画(講談社/2023)、ナチュラルローソン「飲むヨーグルト」パッケージイラストレーションなど。

最近の賞歴、第40ザ・チョイス年度賞優秀賞、HB File Competition vol.33 鈴木成一賞など。


松田洋和

グラフィックデザイナー

最近の仕事に「2023年度東京都現代美術館カレンダー」、「Another Diagram、中尾拓哉」(T-HOUSE/2023)、「奇遇、岡本真帆・丸山るい」(奇遇/2023)など。

最近の賞歴、ART DIRECTION JAPAN 2020-2021ノミネート、GRAPHIC DESIGN IN JAPAN 2023 高田唯 this oneなど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?