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推論妄想

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自分の妄想推論をぶちまけるダストボック。  ゴミ漁りじゃあないが有用なものを拾ってくれたら。
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ファイト☆動画に関する雑な思考

ファイト☆動画に関する雑な思考

 いずれかぶりに考えたことを描く気がします。私は焼菓子歴一年のニュービーですし、ネットアングラ文化の創作活動に詳しくないのでわりとずれてることもあると思うのでスルーしてください。ていうか考えやらをまとめるほどに興味があるのがキルカル兄貴によるボイドラ2作品しかないのでなんもわかりません。

 ファイト☆の動画を見ていて思ったのですが、ファイト☆は本編を素材として流用する形での創作(音MADやBB劇

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今日の考え事

描き起こすのが面倒だったので画像のまま。噓を噓のまま真であることにすることの真偽。

別に自分語りの一つや二つ

 本当にタイトル通り自分語りするだけです。

「あなたはなんで〇〇をしているんですか?」
「あなたは何が好きなんですか?」
 
 私はこの手の質問がめっぽう苦手です。何故ならそんなものないからです。惰性で生きている。

 私の名前は七緒へいわ、絵を始めとし、他にも曲や詩などの創作をネットに公開してる人です。

 早速ですがわたしには悩みがあります。(悩みって言っていいのか分からないですけども。)そ

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ちょっとした思考のまとめ

ちょっとした思考のまとめ


 「私の疑念」と「私の視野」というものは、たしかに私というわけのわからぬものに統合されちまってはいるが当然別のものである。当たり前だが、考えていることと見えてるものは異なる。
「同じ私のものとカテゴライズされている」という認識があるというのは正しいが同じものではない。少なくともこの架空の私を仮定と置いた視野でない限り。



 嘘によりそれを別のものとして扱うことができるものを吐き出す。存

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ファイト☆創作考察

ファイト☆創作考察

 私はファイト☆という東方ボイスドラマ動画(?)がすごく好きで、それのファンアート?二次創作?をよく描いているのですが、最近、「ファイト☆という題材の良さを引き出せていない」ということに気づいてしまったので、ファイト☆一周年というこの時期になんとなくそのことについて自分や他人の作品を見ながら考えていこうと思います。

1ほんへ

 とりあえずはほんへについて触れていこうと思います。ほんへを下に貼っ

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「ファイト☆」解釈

「ファイト☆」解釈

 私はたまにクッキー☆という界隈で絵を描いている。そこでよく使う題材に【東方ボイスドラマ】霊夢と魔理沙の幻想ファイト、通称ファイト☆というボイスドラマがあるのだが、今回その内容を考察して、一つの推論を立ててみた。あくまで解釈、推測の一つでしかないが、フィクションのつもりで読んでくれたら嬉しい。

 本編を見たことがない人は是非一度下記の本編を見てからこの記事を読むことをお勧めする。

https:

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わたしの芸術私論

わたしの芸術私論

 わたしのいる界隈では、「有産」「無産」という言葉が使われていた。「有産」とは、創作物を作る人、「無産」とはそれをただ見るだけの人のことである。今回はなんとなくそこらへんの話をしたい。

 そもそも芸術とは何か?普段我々が暮らす生活の中で、飯食ったり、寝たり、糞したり、働いたり、ってするのは生きるために必要なことじゃないですか。性欲なんかも、生きるためには必要ないにしても、種族を残す上で必要だと思

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宗教が嫌いだ。なぜかって?
自分の生きる理由を他から丸々パクってきてるやつのための商売だからだよ。
アイドルが嫌いだ。なぜかって?
自分の生きる理由を他から丸々パクってきてるやつのための商売だからだよ。

自分の理由くらい自分で作れよ馬鹿者が。

という偏見

消極的選択も立派な選択だ。
だから、逃げて逃げて逃げ場がなくなった人生も、当人が望んで選択したものだ。
「未来のことなんか、今の自分の享楽に比べりゃ、どうでも良いことだ。」
と。

アキレスとカメは矛盾じゃない。
ただ同一の状態を、「ここから先に行けないとする」「ここから先にずっと行けるとする」と二つの仮定の下で見ているだけである。
「普通ならアキレスはカメを抜く」?
それは、人が「ここから先にずっと行けるとする」という過程の上に成り立つ存在だからである。

盤石な平和が欲しければ、握っているスマホを捨てて首を吊るしかない。
首をつらずともできると思うならば、私はあなたと分かり合えない。
だから、少なくとも分かり合えないあなたと私の間に盤石な平和はなりたたない。
よって盤石な平和は成り立たない。

自論「私論」

自論「私論」

 昔、書き溜めてた文を一部書き加えして投稿する。何か考え方の役に立てば幸いではある。

 ある偉人が「とりあえず今考えてる私は存在するよね」的なことを言ってたので、それについて考えてみた自論をここに書く。

 まず、私がいる、と言ったものだが、厳密には、「頭に浮かんだ自らの思考」が存在するのであって、それは「私という人間」の存在証明ではないと考える。「私が考えているんだから私という人間もいるに決ま

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生きる理由だとか、道徳や社会のルールだとか、己に降りかかる責任だとか、全部スカイプゴートするための神様なのか。
実際いるかどうかとは関わらず、それを「神」とする理由が。
ただ、宇宙が生まれて死ぬまでの一場面を切り抜いただけで、意味も価値もなくただ事実があるだけなのにな。弱いぞ私。

自由と全能を履き違えてはいないか?