見出し画像

ショートショート 走って走って

 犬のジローは「とってこい」ができない。
 ボール遊び自体は大好きで、テニスボールを口いっぱいに頬張って、尻尾を振りながら飼い主の男の子の足元におく。

「ジロー、取ってこい!」
 男の子がボールを投げる。ジローの目がボールを追う。嬉しくて、走って走って走って、走って、なんで走っていたか忘れてしまう。男の子が呆れながらボールをとりに行く。ジローはまだ原っぱをぐるぐる駆けている。

 男の子が大学に通いに家を離れることになった日も、ジローは走っておいかけた。「危ない、車に轢かれちゃう!」お母さんがおいかけて、お父さんもおいかけて、男の子が乗った車をみんなでおいかける羽目になってしまって、でもやっぱりジローは途中でなんで走っていたか忘れてしまって、ただただ走った。疲れてお父さんに捕まって、いつも通り撫でられたけど、なんで走っていたか思い出せない。でもなんだか無性に悲しい。

「ただいま」
 男の子が就職しに地元に帰る。ジローは随分年をとっていた。庭先で寝そべるジローの耳に、懐かしい声が聞こえて、薄目をあける。最近はいつも寝てばかりだ。ふらふらと立ち上がるジローに、大きくなった男の子が走って走ってやってきた。男の子がかがんで、ジローを抱きしめる。懐かしいにおい。『おかえり』ジローが男の子の頬をなめる。今度はちゃんと覚えていた。

ショートショートNo.472
課題「文体の舵をとれ」第4章④問一

「恐れを知らぬ波乗りねこ」
for Steering the Craft

introduction
エッセイ ガラスの浮き球

1−①ー1 名古屋の化け猫
1−①ー2 この場所
2−② 18時
3ー③−1壁の向こう
3−③ー2 時間切れ
3−③ー追加1 大須の化け猫(名古屋の化け猫、方言抜き)
4ー④−1 走って走って

※アーシュラ・K・ル=グウィンの「文体の舵をとれ」をもとに、ショートショートの文体練習をしています。