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悲惨さを伝えればいいのか…?(8月9日に想う)

母は長崎出身。

祖父母はいずれも亡くなっていて、被爆者かどうかはわからない。時代的には被爆者のはずだが、どこでなにをしていたのか、原爆の影響がどれだけあったのかを何も聞かずに別れてしまった。

ただ、原水爆は悪だと思っている。

原水爆は悪で、戦争ほど悲惨なものはなく、平和ほど大切なものはないというのが僕のスタンスだ。

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先程、テレビで被爆者の声が放送されていた。

核拡散防止条約の締約国会議に合わせて渡航し、被爆者の立場から意見を述べた人のもの。会議の合間には街で市民と言葉を交わしたとのこと。流れたのは英国メディアのインタビューに応えているシーンだった。

イギリスは被爆者のために何ができると思いますか?

という質問に対して彼はこう答えていた。

イギリスも日本も、平和のために行動すべきです。

絶望的に馬鹿な回答だと思った。

平和のために行動したいから、被爆者に具体的な意見を求めてインタビューしてるというのに、なんと観念的な回答か。

もちろんそこだけ切り取ったのかもしれないけれど、だとしたら切り取ったNHKの編集がアホすぎる。

日本人なのか、日本のメディアなのかわからないが、この国ではとかく、こうした極めて解像度の低い「メッセージ」が大好きだ。具体的なことは何も言わず、ただただあり方だけを訴え合う。

あり方は大切だが、解像度の低い議論に価値はない。

海外まで行って、英国メディアの前でとんだ恥をさらしたのではないかと頭が痛かった。

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8月、この国では「戦争の悲惨さ」という言葉が飛び交う。

それを語り継ぐこと、記録に残すことは確かに大切だろうと僕は思う。

けれど

悲惨さを語り継げば、悲惨さが広く認知されれば戦争や核がこの世からなくなるとは僕には到底思えない。「語り継いでいきたい」的なメッセージを見るたびに僕は思う。

そんなんじゃねぇんだよ。

と。

その威力、規模、被害の持続性・再発性、被害の質…あらゆる意味で原水爆はその他の兵器とは一線を画すものだと僕は思っている。けれどそれはあくまでも僕の解釈。人によってはピストルやナイフと何も変わらない。

マシンガンで大量殺人を行う者と、原水爆を投下する者の間にどれだけの違いがあるかと言われれば、僕にはそこを明確にたて分けることができない。規模の違いとしか言えないような気もしてる。

少なくとも…

プーチンにとってその差はないのではないかと思う。

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無差別殺人を行う者の手元にもし原爆のスイッチとマシンガンがあったら、原爆のスイッチを押さないことがあり得るだろうか?

マシンガンで無差別殺人を行おうという者が、原爆の悲惨さを知っているからと、マシンガンだけに手を伸ばす…そんなことはない。

たまたま片手で持てる武器しか持ってないから世の中のテロはその規模で済んでいるのであって、そこに核のスイッチがあればきっと彼等はそれを押す。

そして

核もマシンガンも、彼等はその悲惨さを知ったところで止まらない。なぜなら「その悲惨さを世の中に出現させたい」と考えているからだ。彼等は兵器の悲惨さを知らないわけじゃない。それを味わうのが自分ではなく…いや自分を含めた「世の中」に対してその悲惨さを与えたいからやってるんだ。

悲惨さを知ってたって関係ない。

それを「自分にとって不都合な人たち」か「自分を含めた世の中のすべて」に向けてぶちまけたい人が世の中にはいるんだ。彼等にとって「悲惨さを伝えられること」はなんの抑止力にもならない。

戦争の悲惨さを伝えたい。
原爆の悲惨さを伝えたい。

その想いは素敵だし、それが無価値だとも思わないけれど、残念ながらそれじゃ戦争も原水爆もなくならない。

僕はそう思っている。

悲惨さを知って「平和に生きよう」なんて思えるのは、すでに平和の中に生きてる人だけだ。

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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。