見出し画像

『十二国記』から読む-気候変動と政治 第二話

第二話 誰が責任を果たし得るか①

 まず前提として、現実世界の気候変動をめぐる状況を追ってみたい。以下しばらく教科書的な記述が続くので、既にご存知の方は読み飛ばしていただければと思う。

 気候変動に対する国際的な取り組みが始まったのは、1972年の国連環境計画=UNEP創設からと言われる。1988年には、このUNEPと世界気象機関=WMOにより気候変動に関する政府間パネル=IPCCが設立される。IPCCの目的は、厳密な科学研究に基づいて人間の活動と気候変動の関係を明かにし、国際社会にしかるべき対策を促すことにある。

 1992年にリオデジャネイロで開かれた「地球サミット」では、国連気候変動枠組条約が採択され世界155か国が署名する。1995年からは署名した国々による締約国会議=COPが毎年開かれ、IPCCの研究報告を踏まえた気候変動対策が話し合われている。 
 1997年のCOP3では「京都議定書」が採択され、各国の温室効果ガス削減目標が定められたが、中国など当時の途上国には削減義務がないことのほか、排出量が最も多いアメリカが離脱する、2005~2020年と定められた削減期間の後半で日本が不参加となるなど、不十分な点が目立っていた。
 この反省を踏まえ、2015年のCOP21では新たな目標を掲げた「パリ協定」が締結され、翌年にアメリカや中国を含めた195カ国が署名する。このパリ協定では、温暖化による気温上昇幅を2℃よりも低く抑えるという目標とともに「努力目標」として1.5℃以下の上昇にとどめることが記されていた。

 2018年にはIPCCが「1.5℃特別報告書」を発表し、このままでは2030年までに気温上昇は1.5℃を上回る可能性があると指摘した。さらに2℃気温が上昇すれば、1.5℃に気温上昇を抑えられたときに比べてはるかに深刻な被害がもたらされることを示した。報告書によると、気温上昇を1.5℃に抑えるためには2030年までに世界全体の温室効果ガス排出を45%削減し(2010年と比べて)、2050年には実質ゼロ(=排出と吸収量が同じ)にする必要があるという[1]。

 これを受けて、各国は気温上昇を1.5℃に抑える必要を再認識し、2021年のCOP26では1.5℃目標が公式文書に明記された[2]。

・科学と政治をつなぐIPCC

 上に見たように、気候変動についての世界の動きは科学と国際政治との絡み合いの中で進行してきたものである。

 ここで、気候変動をめぐる政治の鍵となっているIPCCについてもう少し触れてみたい。この組織は正確には研究機関ではなく、これまで発表された論文などを報告書としてまとめるのが役割である。この過程では200人以上の科学者・専門家が参加し、14,000本以上の論文が用いられるとともに三回にわたる査読が行われている。執筆者には政府の官僚も含まれるが、IPCCが組織として明確な価値判断を下すことはなく、基本的には中立である[3]。科学と政治をつなぐ役割を果たしているといってもよい。
 ゆえにこそ国連を始めとした政治機関が信頼を置くことができるのであり、IPCCが人間活動による気候変動への影響を「疑う余地が無い」としているのは重みをもって受け止めなければならない[4]。

・ほど遠い気候正義

 『ONE PIECEから読む 第三話』では、汚染者負担原則(CO2を排出した者の責任)と受益者負担原則(排出から利益を得た者の責任)という二つの考え方から、誰が現在の気候危機について責任があるのかを考えた。そしてどちらの考えをとるにしても、これまで多くの温室効果ガスを排出し、それによって経済発展を遂げてきた欧米などの先進国(その中でも特に富裕層)が大きな責任を負うべきことが分かった。

 しかし欧米や日本などの先進諸国が現在打ち出している削減目標では1.5℃目標に遠く及ばず、2.7℃ほど上昇してしまうと言われている[5]。IPCCの報告にあるように1.5℃目標達成のためには2030年までに世界全体で45%削減する必要があるわけだが、途上国よりも先進国に大きな責任があることを踏まえると、まず先進国が急速に排出削減を行わなければならない。ある研究機関による分析では「各国の発展度合に基づく公平性を踏まえると」、先進国である日本は2030年までに120%の削減しなければならないという(2022年現在の削減目標は2010年比約40%)[6]。

 気候変動についての責任を問うことは「気候正義」とも呼ばれるが、先進国のリーダーや排出を推し進める富裕層たちは依然として正義とはほど遠い振る舞いを続けているのである。

 多くの人々にとって危機的な事態が進行しているのにも関わらず、責任を負うべき者がそれを果たしていない状況にあっては、誰かが肩代わりをせざるを得ない場合がある。これまでの記事で見たように、気候変動は異常気象を深刻化させ、人々から生活の糧を奪い、ひいては戦争を引き起こす。このように被害が深刻であり急を要するとき、本来責任を負うべきものの代わりを誰かが果たせねばならなくなる。これを「肩代わりの義務」という[7]。

 では、誰がそのような巨大な責任を引き受けようと思えるのか。これは主観についての問いであり、答えは物語の中に求める必要がある。

・『十二国記』を読む(※ネタバレあり)

 いよいよ『十二国記』の物語世界に入っていきたい。
 前回見たように、この物語において気候変動を止められるのは「王」となる者だけである。王が選ばれた時点で気候変動が進み民衆が苦しんでいるとするならば、その原因を作ったのは悪政を行った過去の君主である。新たに選ばれる王は、その分まで「肩代わり」して民衆を救う責任を負わなければならないのである。だが麒麟に選ばれるまでは王は民衆の一人に過ぎず、必ずしも政治の経験があるわけでもない(王が選ばれる仕組みについては第一話参照)。その王は、どのようにして責任を果たしうる主体になり得るのだろうか。

 物語の第一作目である『月の影 影の海』の主人公、陽子は日本で生まれた。高校では「人の顔色を窺って」、「周囲に合わせて波風立てない」よう日々を送っていた。そんな彼女の前に、ある日突然「ケイキ」と名乗る青年が現れる。同時に異形の獣=妖魔の襲撃に合い、彼女は十二国の世界へと送られる。

 陽子が異界へ辿り着いたとき「ケイキ」の姿は既になく、彼女は一人「海客=異界からの難民」として罪人の扱いを受ける。受刑者として移送される途中、再び妖魔に襲われ命からがら逃走する。その後も、騙されて娼館に身を売られそうになる、一度は気を許した老人に金銭を盗まれてしまうなどの体験が重なり、陽子は心を閉ざすようになってゆく。

 陽子は絶えず襲ってくる妖魔との闘いのために倒れるが、それを半獣(獣と人の二つの姿を持つ者)である楽俊に救われる。楽俊は親身にしてくれるが、陽子はこれまでの経験から疑い距離を置こうとする。
 楽俊は海客への差別のない雁国に陽子を案内しようと言い、陽子は半ば疑りながら付いてゆくことにする。しかしその道中で妖魔に襲われ、陽子は自分の身を優先し楽俊を見捨ててしまう。

 直後、陽子は良心の呵責に襲われ独白する。

追いつめられて誰も親切にしてくれないから、だから人を拒絶していいのか。善意を示してくれた相手を見捨てることの理由になるのか。
...人からこれ以上ないほど優しくされるのでなければ、人に優しくすることができないのか。
「、、、そうじゃないだろう」
陽子が人を信じることと、人が陽子を裏切ることは何の関係もないはずだ。陽子自身が優しいことと他者が陽子に優しいことは、何の関係もないはずなのに。

 何度も己を省みて、陽子は楽俊を信じ手を伸ばそうと決断する。彼女は初めて、他者に対する責任を引き受けるのである

画像1

[図]陽子と楽俊

・『十二国記』と「徳治主義」

 ここで一度、「政治」という言葉について考えてみたい。広辞苑にはこう記されている[8]。

人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。

また、ある政治学者によると[9]

政治責任は、他者への応答を積極的に行う。なぜなら、他者こそ、外側から私たちに責任を授ける存在だからだ。他者は新たなはじまりを、理不尽にも私たちに授ける。他者の境遇に関する責任があるのは、他者自身ではなく、私たちの政治権力の方だ。

 これらの定義によれば、政治とはまず「他者に対して責任を負うこと/他者と関わること」であり、そこから始まるものだと解釈できる。『十二国記』は古代中国の世界観を背景としているが、他者との関わりから政治を説いていたのが、その時代を代表する思想家である孔子や孟子であった。

 孟子曰わく[10]

人にはみな、人に忍びざるの心あり。先王には、人に忍びざるの心ありて、斯(すな)わち人に忍びざるの政(まつりごと)ありしなり。人に忍びざるの心を以って、人に忍びざるの政を行なわば、天下を治むることは、これを掌の上に運(めぐ)らするがごとくなるべし。

 「人に忍びざる心」とは、他者の不幸や苦痛を見過ごすことはできないという心のあり方である。この心を押し広げて民衆に施すことが、孟子の理想とする政治なのだ。

 孟子は続けて「幼い子供が井戸に落ちそうになっているのを見れば、誰もが直ぐに動揺し、駆け寄って助けようとするだろう。これはその子の親に恩を売りたいからでも、周囲の人に良く思われたいからでもない」と述べる。人目をはばかることなく、苦しむ他者に自ら手を伸ばそうとする心を孟子は「仁の端(はじめ)」とする。彼はこの仁によって国を治めることを「王道」と呼び、政治の理想とした

 孟子の思想は「徳治主義」と呼ばれる孔子の政治観を引き継いだものである。「政を為すに徳を以ってす」という孔子の言葉にあるように、徳治主義とは道徳を備えた人格者による統治を理想とする考えである[11]。仁という徳を備えた者=聖人が君主として政治を担うこと、これが孔子の目指した正義である[12]。

 ここまでの話を踏まえ『十二国記』に戻ると、内省の末に楽俊に対して責任を果たそうと自ら決断した陽子は、ようやく政治を担うための第一歩(仁の端)を踏み出したといえるだろう。

(続く)

<参考文献>

[1]“Summary for Policymakers of IPCC Special Report on Global Warming of 1.5°C approved by governments”, 2018
[2]「COP26閉幕:「決定的な10年間」の最初のCOPで何が決まったのか?」国立環境研究所 2021
[3]明日香壽川『グリーン・ニューディール』岩波書店 2021
[4]IPCC第6次評価報告書第1作業部会 2021
[5]「2030年削減目標達成でも今世紀末までに平均気温2.7度上昇 国連」NHK 2021
[6]Climate Action Tracker "Japan’s Paris Agreement target should be more than 60% by 2030 - analysis ", 2021
[7]宇佐美誠編『気候正義―地球温暖化に立ち向かう規範理論』勁草書房 2019
[8]『広辞苑 第七版』岩波書店 2018
[9]鵜飼健史『政治責任』岩波書店 2022
[10]金谷治『新訂中国古典選5 孟子』朝日新聞社 1966
[11]三石善吉「徳治主義」大学教育社編『現代政治学事典 新訂版』ブレーン出版 1998年
[12]中島隆博『中国哲学史』中央公論新社 2022



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?