原作の扱いに物申したい
こんばんは、はりねずみです。
X(だいぶ慣れてきた)に時事ネタの自論を長文で流すのも…って思ったのでこちらで書きます。
数日後には消すかもしれません。
この記事を書こうと思った理由
XのTLにとある漫画家さんの訃報が流れてきました。
「有名な漫画家さんかな?」
「出演作載っているかな?」
と思いリンクのニュースを読もうとしたところ、リプ欄が荒れています。
何があったか調べてみると、どうやらドラマ化した際に原作側とドラマ制作側でトラブルがあり、原作者が自ら命を絶ったとのこと。
原作者の投稿は一部消されていたものの、画像からある程度内容を把握できました。
私が考えていた原作作品の扱い方と異なり、疑問に思ったため、今から自分の理想と現実を一度整理します。
原作厨
私はいわゆる原作厨です。
最初の違和感
小学生の時にあるアニメ映画の絵本を読んで違和感を覚え、ある漫画のアニメを授業で見た際にも違和感を覚えました。
幼い頭で考え抜いた結論は
「○○化は原作の魅力を100%出せていない」
大人になった今考えれば当たり前のことです。
同じ本を読んでも人それぞれ感想が異なるように、多くの人が話題になる作品に触れた時点でその人数分の解釈が生まれます。
その感想を集約すれば大まかな傾向を知れますが、自分がその傾向の中にいるとは限りません。
さらに、○○化した人が自分と同じ解釈を持っているとも限らないのです。
そこで私は、上の結論を出してから考え方が変わりました。
「○○化したら、とりあえず原作を読もう。」
小学生の頃はドラマを見れず、幼い頃から図書館漬けだった私が図書館で原作を探し始めるまでにあまり時間はかかりませんでした。
旧図書館の児童用の本棚にはあまり原作はありませんでしたが、図書館移転に伴い一部の本がYAコーナーとして一般書の隅に移動したとき、大人の本の階には原作がたくさんあることに気づきました。
そこで、次クールのドラマが発表されるごとにHPで原作の有無と作者を調べ、その作者の本は原作を皮切りに片っ端から読みました。(何度も読みたい本は作者出版社応援のために購入)
既に読んだ本のドラマ化に対しては、予約競争に巻き込まれずに済むことへの優越感に浸っていました。(我ながらサイテーです)
違和感再び
中学に入り録画予約したドラマを見れるようになった私は、再び違和感を覚えます。
「オリジナル作品や漫画原作の作品(原作未履修状態)は楽しめても、原作を読んだドラマは何かつまんない」
最初は小さかった違和感は不快感に変わり、気にすればするほど大きくなります。
あるとき、つまらなそうにドラマを見ている私に、父が声を掛けました。
「内容知ってるから面白くないのか?」
「違う。原作は○○だから面白いのに、ドラマだと◇◇に替えられてるから面白くない。」
「俺は読んでないからわかんないけど、作者かドラマにしたいって思った人がそうやって解釈したんじゃないのか? 後、視聴率をとるためにわざと変えてるとか」
ここで私は作者の気持ちを考えていなかったことに気付き、困惑します。
「私が望んでいたのは自分の解釈した通りに物語が進むことで、~~さん(作者)の解釈と同じとは限らない。それだったら○○さんの解釈の話として楽しもう。でも、設定を変える(主な登場人物の増減)はおかしいと思う。でも○○さんが認めているならそれを受け入れなきゃ…(以下略)」
そして、しんどい思いするくらいなら…と、私は原作と異なる設定を受け入れられないドラマを見なくなりました。
文字情報しかない(考える余白が多い)小説ですらこれなので、絵柄で指定される漫画の方が、設定変更による原作側のストレスはより大きいと考えられます。
余談ですが、見ていて違和感がない原作に忠実な作品(?)は最後まで見ました。
最終回の後、大抵はメディア化の感謝を胸に余韻に浸っていました。
原作として扱うなら原作を最上位にしてほしい
解釈
当時の私はSNSに触れておらず、情報源は新聞、TVのニュースでした。
疑うことを知らなかった私は、それらの媒体から正しい情報しか発信されていないと思い込んでいました。
そのため、ドラマがどれだけ原作とかけ離れていようとも原作者の希望通りに作っていると思っていました。
それは、原作がなければそのドラマは誕生し得ない、またドラマの評価によって原作側の損益に直結する以上、
製作側(TV局、製作会社、脚本家)が原作側(作者、出版社)にお願いして成り立つ
ものだと私が解釈していたからです。
改変部分については、
「○○先生、Aの部分を視聴者にわかりやすく伝えるためにBにしたいです。」
「AをBに変えるとその後が不自然なのでA+Bにしてください。」
「Bを入れると私が伝えたいニュアンスが伝わりにくいためAのままにしてください。」
というやり取りが行われていると信じていたのです。
しかし、該当ツイート(削除済みだが画像は流通)を見る限りでは現実は違いました。
脚本家、TV局側が原作者側を軽率に扱っているように感じました。
理想
私は出版業界に努めていないので、1つの作品ができるまでの内情はわかりません。
ですが、作家さん、漫画家さん、編集さんを主人公とした作品を見る限り、作品(本を出版するとこまで)を作る労力は
作者>>>>(作画またはキャラデザを含むカバーデザイン)>>担当編集>>>>>>>出版社 ___Ⓐ
だと私は考えています。(独断と偏見です)
ただし、出版社や担当編集は作者を守る立場にあり、各々が利益を享受できるよう取捨選択が必要になります。
そのため、出版社や編集が作者を守る余力を持ちつつ対等に近い関係になるのが理想だと思います。
そしてメディア化する場合は、原作者の作品を借りて映像化作品を作ることを念頭に、少なくともⒶと制作陣が対等、可能ならば作者を守るためにⒶが強い意思決定権を持つべきだと思います。
制作陣全員が悪いというつもりはありません。
制作陣が原作者にリスペクトの気持ちを持ち、それに呼応するように原作者が制作陣をリスペクトする作品も多くあり、これらは原作ファンの評判はおおむね良いです。
(物語の本筋以外のところで尺の都合等修正が入っているが、原作が壊れた感覚はあまり生じません。おそらく、私が気に入ったメディア化作品の多くはこのタイプです。)
また、原作者本人がメディア家事の設定変更を快く承諾している場合は、原作読者が口を出す権利はないと思います。
(原作制作ともに合意して作った作品への悪口は、原作者、製作者の両方を傷つける恐れがあるので、SNS等に感想を載せる場合は誹謗中傷にならないよう意識するべきです。)
最後に
メディア化(メディアミックス)は、作品を使う(制作)側、使われる(原作)側の双方がメリットを受けるために行います。
原作側は、映像化することで作品が注目を集め、売り上げ増加につながる。
制作側は、原作を借りることで、低コストで一定以上の注目が確約された作品を作れる。
双方が最大のメリットを享受するためには互いに敬意を持ち、協力する必要があると考えます。
また双方のリスクを踏まえると、すでに完成した原作とその評価を壊されるという大きなリスクを原作側が抱えている以上、初めに敬意を払うのは制作側であるべきではないでしょうか。
さらに、原作ファンも節度を持った行動が必要だと考えます。
私は一消費者として双方に敬意を示した行動をとるよう心掛けたいです。
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