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シリーズ「証し」自殺寸前の男性の救い


もう20年ほど前の事である。
キリストを主として受け入れていたが、確か洗礼する前だったと思う。
近所の本屋の入り口にベンチがあり、私は時々そこに座って時間をつぶしていた。
その日ベンチでふと祈り心が湧き、救われたことへの感謝の祈りを捧げていたら、なぜか喜びで満たされ涙が止まらなくなった。
救われたばかりの私はまさにブレッシングタイムで、よく喜びの涙が出た。
そんな自分の変化に少しの驚きと戸惑いを感じつつ、クリスチャンとして歩み始めていた。

「救われたばかりの時は賛美しても祈っても常に神に感謝して泣いてた。」

先輩クリスチャンからそう聞いていたので、私もその状態なのかと思った。
にしても、随分涙が止まらない。しかも人通りが多いベンチなのに、なぜ私は祈り続けているのか、自分でもよく分からなかった。

ふと気が付くと私のベンチに、50代位だろうか…男性が隣に座っている。
ちらちらとこちらを見ているようだ。
ほどなく男性が話しかけてきた。

「あの、先ほどから泣いてらっしゃいますけど、何かあったんですか?」

心配されていると思い、急いで「自分が最近クリスチャンになったこと」「悲しくて泣いてたのではなく、神さまに救われた喜びで泣いていたこと」を伝えたが、男性はまだ私が悲しんでいると思っている様子で言った。

「そうですか…でもあなたが先ほどからずっと泣いているのを見て、この人も私と同じように苦しんで、死にたいのかと思って声掛けました。
私は今この店を出たら、包丁を買いに行こうと思ってたんです。
それで自分を刺して死のうって…もう生きているのが辛いんですよ。」

そう早口で涙声で話す男性を私は改めて冷静に見つめた。
初夏を迎えつつあったが、白い肌着のランニングシャツに、下はベージュのズボン。簡易すぎる格好に見えた。
もしや経済的に困窮されているのでは…訊ねると男性は自分の身の上を話し始めた。

「物が捨てられない…」恐れから来る執着


彼の話はこうだ。
賃貸の一軒家を借りて住んでおり、リサイクル業を営んできた。
そのうち物が溢れ、近所から苦情が大家に届くまでになった。
大家は、裕福な寺の住職なのだと言う。
商売が上手くいかず家賃を滞納するようになり、大家に何度も「出て行ってくれ」と言われたが、遅れても家賃を払うことで退去を免れて来た。
しかし今度は違う。
半年以上家賃を滞納してしまい、いよいよ大家が本気で退去を迫っており、
あと3日のうちに出て行かないと、家財全て強制廃棄して追い出すと言われた。

涙ながらに話す彼の姿は打ちひしがれて、本来は標準的な体格なのに、背中も肩もとても小さく見えた。

私も話を伺いながら、今度は悲しみで泣いた。
わずか数か月前の自分と同じだったからだ。

その数か月前、突然私の人生はすべての面で打ち砕かれた。
様々な不幸が立て続けに起こり、小さな頃に父からの虐待でうつ病の影を背負い、それまでだましだまし生きてきた私の背中の重荷は、この時とっくに荷重オーバーだった。
重度のうつ症状で働けなくなり、家財もすべて売り、住む場所も失った。

恐ろしいと思った。
人生が恐ろしい…。
あの時の絶望、目の前が真っ暗になるとはこういう事かと。
生きる力を根こそぎ奪われ、死のうとした。
その時不思議な方法で、キリストに出会い、人生をやり直すチャンスを与えられた…。

そんな私だからこそ、今目の前にいる困窮して生きる希望を失ったこの男性は他人でなく、数か月前の自分だと心底思わされた。

(あの時の自分同様、この男性にも緊急に救いが必要だ!)

私は彼に自分がキリストに救われた経緯を話し、今生きる希望を与えられて
人生を新しくされているところなのだと伝えると、彼はうつむいていた顔を少しあげて言った。

「私もね、色んな本を読むんです。キリストも知っています。
今、寺の大家に責められてるから、仏教なんかよりキリストが良いですよ。
でもね、今私が悪いんだと思いました。
すごく物に執着があるんです。
物が捨てられない。
なんでかな…物なくなるのが怖いんですよね。
だから、借りてる家の前の道路にまで拾ってきた色んな…売り物にもならない物でもみんな広げて置いてました。
自分の執着心、自分の人生…もうどうにもならないですよ。」

驚いたことに男性は誰に問われるでもなく、自ら内面の罪の性質を見つめ、悔いている…なんと聖霊が働かれていることか!

私はこの瞬間に、自分が泣きながら祈っていたのはこの聖霊の力が発動するために用いられて、今この絶望の人に出会うために、このベンチに座らされていたと理解した。

(ハレルヤ!神は全知全能のお方です)

この出会いが、神から来たものならば、必ず神はこの男性を救われる!
私は心が震える思いで伝道した。

「私が〇〇さんに会ったのは、偶然ではないと思います。
イエス様は、偉い人や自分の力で生きてると高ぶっている人のためでなく、病の人や貧しい人、自分の罪深さを悔いている人のために神の国から降りて
人間の世界に来られました。
私や〇〇さんを救うため、人間を罪から救うため、無実なのにあえて十字架にかかって死んでよみがえった神です。
色んな宗教がありますが、人のため、しかも罪深い人のために命を投げ出し救ってくれるのはキリストだけです。」

男性は今や私の顔をしっかり見て、話しを聞いている。
「〇〇さん、イエス様を受け入れると、その瞬間に聖霊という神の霊が〇〇さんの心に来ます。
するとあらゆる問題から解放されます。必ず新しい人生に変えられますよ。
私がその生き証人です。
今私の祈る通りに祈ってみて下さい。」

男性はその場で、すんなりとキリストを救い主として受け入れ祈った。

奇跡は速やかに起こった


帰り道、男性は私を車で近くまで送ってくれた。
運転中、男性の携帯電話が鳴り、車を停めて何か話し込んでいる。
怪訝な顔をした男性を見て、私は聞いた。「どうしましたか?」

なんと大家からの電話で、今朝は3日のうちに出て行けと言う話だったが、それはちょっと可哀そうだなと、今考え直した。
1か月待つから、その間に家賃を少しでも払ってくれたら良いからと…。
いつも強い態度の住職(大家)が、柔らかい対応に変わった…。

ハレルヤ!
主は速やかに働かれます


ー幾月か後、近所を歩いていたら道の向こう側に、あの男性を見掛けた。
ほんのり顔を赤らめ、でもさっぱりとした笑顔で軽く会釈した。
言葉は交わさなかったが、ちゃんと生活出来ているといった自信が表情から見て取れた。

(元気でいて下さい。陰ながら祈っています。)
祈り心でおじぎし、私はその場を離れた。

「ああ、私の苦しんだ苦しみは
平安のためでした。
あなたは、滅びの穴から、
私のたましいを引き戻されました。
あなたは私のすべての罪を、
あなたのうしろに投げやられました。」

「生きている者、ただ生きている者だけが
今日の私のように、
あなたをほめたたえるのです。」(イザヤ38:17 と19)


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