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誰かへの「言葉」って自分に言っている「言葉」なのかもしれない

「この言葉、あのとき誰かに言ってもらっていたら…」
と思うことありますか?

周りの人への自分の言葉って、
時々、過去の自分が
言ってもらいたかった言葉が多い
と感じることがあります。


例えば、子供の急な熱で休む時。

病気の子供へ「お大事に」って言うけど
看病する親に声をかける人って
あんまりいなかったんですよね。
わたしの周りには。

親だから当たり前で
ちょっと疲れていると怒られたり
そもそも子供を病気にさせるなんて!
と言われたり…。

誰かに

「看病大変だよね。」
「無理しないでね。」

って、言われたかったんだ
と、子供の病気で予定変更の連絡をいただいたときに
自分がかけた言葉で気づきました。


子供のことに限らず
仕事でミスした時
人間関係がうまくいかなかった時
何かしら誰かの悩みを聞く時に
自分が相手の人に伝えている言葉って
まるで、過去の同じ状況だった自分に

「大丈夫だよ」
「よく頑張ったよ」

って、言っているような感覚で。

だから、誰かに伝えることで
過去の自分がちょっと慰められている
そんな気がしています。


あまりこんな感覚を
感じたことはなかったのですが、
最近、気づいたことでした。


少しずつ、仕事に対しても
生活に対しても
心の余裕ができてきたことで
自分の言葉や行動について
客観的に見ることが
できるようになったのかもしれません。


そう考えると言葉って不思議ですね。


形はないけど
誰かと繋がっていることを感じられたり
誰かと支えあうことができたり
するから。

逆に、簡単に誰かを傷つけてしまう
ということもあるので
使い方次第だなと思います。


誰かに言葉を伝える時
それは自分にもかけている言葉だ
と気づくと
過去のちょっと悲しかった記憶も
少しずつ癒されていくのかもしれませんね。

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