自分のこと 書いてみた Part2 就職~転職

大学卒業して働き始めたところは、部署で言えば医事課。外来に来た患者さんたちの診療報酬額を計算し、保険事務所やらに提出し、病院のいわゆる「売上」を担うところ。

診療報酬明細書(レセプト)を作成する作業は月初の、外来が終わった後に行われ、院内の電算室から大量に印刷されたレセプトのチェック。
それ以外は、私は内科の受付業務。しばらくしてから救急の当直や、総合受付内にある会計登録なんかもやるように。
業務はそんな感じだったけど、自分の人生にインパクトを与えたことと言えば、院内の人間関係と慰安旅行と業務外で参加していた、緩和ケア研究会とかかな。

自分が所属する医事課以外の部署の人たちとも仲良くさせていただき、お昼休憩なんかもその部署に行っておしゃべりしながらお昼ご飯食べたり。さらに職員旅行にも参加させてもらうことで、病棟の方(ナースや、研修医の先生たちなんかも)ともつながりができ、本社の同期とも、ナースや研修医の先生たちも交えたバーベキューとか何度か企画してワイワイとやってたんだけど・・・。

話戻って、そうした人間関係が広がって、他の部署でご飯を食べてきた時のこと。
話題で、趣味は何?ときかれることがあって、「貯金かな」って答えたときに、それはそれは、かなりの勢いで、お金を貯めることばかり考えるなんてとんでもないことだ!と、お昼休憩中諭されたわけ。まさに、それを境に、お金を稼いでお金を貯めること=罪悪、という図式が出来上がってしまったんだよね。それがほんと、つい最近まで尾を引きづってたんだけど、そこがきっかけ。

人間関係ではそういうことだけじゃなくて、緩和ケア研究会に参加していくうちに、医療者・患者・そして一般の方々が集って、とくに患者さんが話者となる講演会を大々的に開きたくなってきて、そこで転職を決意。もともと学生の時に、医学会や国際会議なんかの、いわゆるコンベンション業界でアルバイトしていたので、それもたままたアルバイトの時に知り合った方に自分の決意を話したところ、あっけなく転職先となったところを紹介してもらい、採用。

そこは当時立ち上げたばかりの会社で、しかもアルバイトの時とは違い社員という身分なので、おなじ医学会や国際会議でも、立ち居振る舞いが全く違う!しかも営業もしなきゃならない。自分が会議や講演会を開くんだという希望は、いつのまにかどこかに行ってしまった、というのが現実。

そんなことしているうちに、IT系展示会の営業サポートとして、所属していた会社の社長の知り合いがいる会社に、出向。これがまた自分にとってはやりがいを感じてしまったんだよね。出向期間が終わっても、名残惜しく、また先方からも必要とされ、2回目の出向。

その間、またまた動きが。

赤十字の時の同期から、関西の鍼灸師の先生(でも本当は心霊治療家と名乗っている先生)をとあることから紹介してもらい、途中は省くけど、
「君も治療家を目指すといいよ。公に患者さんに触れることができるのは鍼灸師として資格を取ればよいから、まずは鍼灸師になるといい」というアドバイスをもらい、帰京してそのまま、コンベンション業界の会社に退職の意向を伝えたんだけど、今にして思えば、ずいぶん大胆に動いたもんだと思う。

そして出向先には、これから鍼灸学校に通う勉強を始めて、合格したら4月からそちらに通うけど、合格したら3月まで、合格しなかったらその先も勤めてよいか聞いたところ、あっけなくOK。

最終的には鍼灸学校に合格し、再び「学生」の身分となったのでした。


・・・つづく。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?