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難経

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難経(なんぎょう)第二十二難

難経(なんぎょう)第二十二難

ついに是動病と所生病に突入。
難経に限らず、この是動病と所生病ってやつは、古典を紐解くうえで結構キモになるんですよね・・・だから避けて通れない。でもそこまで分類することにこだわるのもどうかと思ってしまい、結局は知識としては頭に入れるけど臨床ではあまり意識してないかもしれません。

ということで、書き下し文です。

二十二難に曰く、経に言う、脈に是動あり、所生病あり、と。一脈変じて二病となすとは、何

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難経(なんぎょう)第二十一難

難経(なんぎょう)第二十一難

この二十一難は短くて楽ですwww

二十一難に曰く、経に言う、人の形病みて脈の病まざるを生といい、脈病みて、形の病まざるを死という、とは何の謂ぞや。
然り。人の形病みて脈の病まざるは、病まざる者あるに非ざるなり。息数の脈数に応ぜざるを謂うなり、これ大法なり。

人体を枝葉で考えるとわかりやすいですね。

形:枝=体に現れた病変

脈:根=その人のもつ生命力

病変が現れても、脈がしっかりしていて生

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難経(なんぎょう)第二十難

難経(なんぎょう)第二十難

最近は、書き下し文以外のコメントの分量が少ない・・・

なぜって?

だってあまり普段意識しないところだから。

やっぱり古典に限らず、なんにしてもそう思うけど、「今」の状態状況に即してみていかなきゃならないと思うんだよね。もちろん基礎基本として古典やほかの人の見解は参考にするけど。

ということで、書き下し文です。

二十難に曰く、経に言う、脈に伏匿あり、と。何れの臓に伏せ匿るるを伏匿というや。

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難経(なんぎょう)第十九難

難経(なんぎょう)第十九難

これもまた臨床で使うには。。。

書き下し文です。

十九難に曰く、経に言う、脈に逆と順あり、男女に恒あり、而うして反す、とは、何の謂いぞや。
然り。男子は寅に生ず。寅は木となし、陽なり。女子は申に生ず。申は金となし、陰なり。故に男脈は関の上にあり、女脈は関の下にあり。是れを以って男子の尺脈は恒に弱く、女子の尺脈は恒に盛ん、これその常なり。
反する者は、男は女脈を得、女は男脈を得るなり。その病為る

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難経(なんぎょう)第十八難

難経(なんぎょう)第十八難

しばらく空いてしまった・・・

さっそく書き下し文です。

十八難に曰く、脈に三部あり、部に四経あり。手に太陰・陽明あり。上下の部となすとは、何の謂ぞや。
然り。手の太陰・陽明は、金なり。足の少陰・太陽は、水なり。金は水を生じ、水は流れて下に行きて上ること能わず、故に下部に在るなり。足の厥陰・少陽は、木なり。手の太陽・少陰の火を生ず、火炎は上に行きて下ること能わず、故に上部となす。手の(厥陰)心主

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難経(なんぎょう)第十七難

難経(なんぎょう)第十七難

そういえばまだ脈のことが続いてる・・・

書き下し文です。

十七難に曰く、経に言う、病或いは死するあり、或いは治せずしておのずから癒ゆるあり、或いは年月を連ねて己まざるあり、と。その死生存亡、脈を切してこれを知るべきや。
然り。ことごとく知るべきなり。診るに、病もし目を閉じて人を見ることを欲せざるものは、脈まさに肝脈の強・急にして長なるを得べし。しかるにかえって肺脈の浮・短にして渋なるを得る者は

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難経(なんぎょう)十六難

難経(なんぎょう)十六難

今回も、さっそく書き下し文から行ってみます。

十六難に曰く、脈に三部九候あり。陰陽あり、軽重あり、六十首あり。一脈変じて四時となる。聖を離れること久しく遠く、各自その法を是とす。何を持ってこれを別たん。
然り。これその病に内外の証あり。
その病これをなすこといかん。
然り。たとえば肝脈を得れば、その外証潔きを善み、面青くして善く怒る。その内証斉の左に動気あり、これを按ずれば牢くして若しくは痛む。

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難経(なんぎょう)第十五難

難経(なんぎょう)第十五難

今日はさっそく書き下し文から入ります。

十五難に曰く、経に言う、春の脈弦、夏の脈鈎、秋の脈毛、冬の脈石と。これ王脈なりや。将た病脈なりや。
然り。弦・鈎・毛・石なるは四時の脈なり。春の脈弦とは、肝は東方木なり、万物の始めて生じ、未だ枝葉有らず。故にその脈の来たること、濡・弱にして長、故に弦と曰う。夏の脈鈎とは、心は南方火なり、万物の茂るところ、枝を垂れ葉を布き、皆下り曲りて鈎のごとし。故にその脈

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難経(なんぎょう)第十四難

難経(なんぎょう)第十四難

十四難は、脈でここまでわかるのか!とつい思ってしまう内容です。ここまで到達するにはどうしたらなるんでしょうね。
なんか指先の感覚だけではない何かがあるかもしれない・・・

さて、

書き下し文

十四難に曰く、脈に損・至ありとは、何の謂いぞや。
然り。至の脈の一呼に再たび至るを平といい、三たび至るを離経と言い、四たび至るを奪精と言い、五たび至るを死と言い、六たび至るを命絶という。これ至の脈なり。何

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難経(なんぎょう)第十三難

難経(なんぎょう)第十三難

実はまだ脈の事、引きずってます。
が、メインは皮膚の色。さっそく書き下しを書いていきます。

書き下し文十三難に曰く、経に、その色を見るも、その脈を得ず、かえって相勝の脈を得るものは則ち死し、相生の脈を得るものは病即ち自ら己むという。色と脈とまさに参じて相応ずべしとは、これをなすこといかん。
然り。五蔵に五色あり、皆面に見われ、また寸口・尺内と相応ずべし。たとえば色青なれば、その脈まさに弦にして

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難経(なんぎょう)第十二難

難経(なんぎょう)第十二難

ここからは、人体への対応についての話になってきます。脈に関する話、長かった・・・。

書き下し十二難に曰く、経に言う、五蔵の脈 己に内に絶ゆるに、針を用いる者かえってその外を実す。五臓の脈 己に外に絶ゆるに、針を用いる者かえってその内を実す、と。内外の絶、何を以ってこれを別たん。
然り。五蔵の脈 己に内に絶ゆとは、腎肝の気、己に内に絶ゆるなり。しかるに医かえって心肺を補う。五蔵の脈 己に外に絶ゆと

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難経(なんぎょう)第十一難

難経(なんぎょう)第十一難

脈をクローズアップして書かれた内容も、この十一難まで。
必ず一定の数値や状態で表すことが難しい脈を、ここまで明確に区分し分析した先人たちは、すごいとしか言いようがないですね。

書き下し文

十一難に曰く、経に言う、脈五十動に満たずして一止するは一蔵に気無しとは、何れの蔵なるや。
然り。人の吸は陰に随いて入り、呼は陽に因りて出ず。今、吸 腎に至ること能わず、肝に至りて還る。故に一蔵に気無しとは

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難経(なんぎょう)第十難

難経(なんぎょう)第十難

十難の内容はまあ難しいですね、臨床でそれを理解し施術に応用していくのは。一応ご参考程度に。

書き下し文

十難に曰く、一脈を十変となすとは、何の謂いぞや。
然り。五邪剛柔の相い逢うの意なり。例えば心脈の急なること甚だしき者は、肝邪の心を干すなり。心脈の微や急なる者は、胆邪の小腸を干すなり。心脈の大なること甚だしき者は、心邪の自ら心を干すなり。心脈の微や大なる者は、小腸邪自ら小腸を干すなり。心脈の

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難経(なんぎょう)第九難

難経(なんぎょう)第九難

すごく短いです。

まずは書き下しから。九難に曰く、何を以って蔵府の病を別ち知るや。
然り。数は、府なり。遅は、蔵なり。数は則ち熱となし、遅は則ち寒となす。諸陽を熱となし、諸陰を寒となす。故に以って蔵府の病を別ち知る
なり。

数、というのは、数が多いこと、つまり早いこと。そのような早い脈の時は腑に病があって熱を帯びている。遅い時には臓に病があって寒を帯びている。

ここから臓腑どちらに病があるか

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