見出し画像

私の児童心理治療施設

こんばんは。
Heart resQ理事・虐待防止アドバイザーの矢部詩紋です。
この画像は試写会当日のですが、ネイルチップが取れそうになっていて気にしまくっている私です。

IFCAのプロジェクトだったり、国試だったり、卒論だったりと色々追われています。今回は久々に私が担当します。

最近、バイトがない日はほぼ毎日散歩をしています。
散歩っていい気分転換にもなりますよね。でも私は散歩するにも理由があります。
猫が見れるんです。かわいい猫が。
散歩するたびに見かける猫だったり、飼い猫がいたりと。。
最近、よく見かける猫が私の手とスマホをくんくん嗅いでくるようになりました。本当に幸せです。。動画を撮ると、スンスン嗅いでいる音も入っているので、見返すたびに幸せな気持ち認れます。
猫派の私からすると、散歩するモチベになるんですよね。そんな日々を送っています。


本題。
今回は、私の児童心理治療施設についてお話しします。

一言でいうと、「心理的ケアに特化しているかどうか」かなと思います。

・児童養護施設と児童心理治療施設の違いを簡単にお話しします。年齢は原則1歳~18歳(現在は18歳過ぎてもOK)です。
児童養護施設は、虐待されてきた子はもちろん、諸事情で親がいない子などが対象です。
・児童心理治療施設は、心理的問題を抱えてきた結果日常生活に何かしら生きづらさを抱えている子が対象になります。対象年齢は小学生~20歳未満です。データでみると、児童心理治療施設の方が被虐待児として入所している児童が多いです。

児童心理治療施設は医学が絡んできます。なのでより手厚い支援を受けることができます。

じゃあ、なぜ私が児童心理治療施設になったのか。

理由は「東日本大震災のPTSD」です。
もちろん、被虐待児や発達障害の疑いも理由として入っているかもしれません。
ですが、私は東日本大震災の被災者。地震が起きた際に心理的ケアが本当に必要になります。もちろん、避難訓練だけでもメンタルが死ぬので定期的なケアが必要となったからかなと。
なので、私は児童養護施設でない児童心理治療施設に入所しました。


では、私の児童心理治療施設を紹介します。

自分らしく生きれた場所でした。
初めて自分が肯定された場所でした。
初めて血縁関係者以外で「私」という存在を受け入れてくれた場所でした。
初めて「他者からの裏切り」がない場所でした。
初めて「人に相談する」ということを教えてくれた場所でした。

初めて「私の個性」を受け止めてくれた場所でした。

もちろんしんどい思い出もあります。「出ていったろか」と思うことも多々ありました。でも、総合的に考えるととてもいい場所だった。
そのような場所です。

私の施設は児童養護施設+児童心理治療施設という珍しい施設です。定員は80人。職員も多く、心理師は常にいるところです。
小学・中学は施設入所児童限定の学校です。軽度知的障害の子、発達障害の子がたくさんいました。なので、1人1人に合わせた学習ができます。
その中、私は結構ふざけていました(社会だけ担任だったのでまじめだった気がします)。
英語の時間は友人とふざけて「先生!10時になった!」を英語で叫んだり、動画を見ながら英語の歌詞を言うところを日本語に訳してました(笑)
数学は学習をサポートしてくれる先生に数学には関係ない話をしたり、女子全員で手紙を回しまくっていましたね・・・
理科は実験でテンションが上がり、座学は地学関連と化学以外は友人と職員を煽っていました(笑)
技術はパソコンのみ全力ダッシュ。ラジオ作成で基盤みてマシンガントーク。
美術は負けたくない子がいたので、毎年恒例の美術展出展に向けて歌集中を使ったり。3年に担当職員が変わったのが嫌すぎてサボっていましたね。
音楽は声域のテスト(本気でなく、職員の趣味というか、、)で5オクターブをたたき出し、高音域は聴覚過敏の子が耳をふさいでましたね。リコーダーは最後でビブラート出して、休み時間に音楽室のラジカセで爆音でプリパラの曲を流してました。
家庭科は科目自体が本当に嫌いすぎて、裁縫と調理実習以外は人にやらせていたり友人と話していました。

問題児でした。本当に。
でも真面目に受けていた単元は本当に点数が高く、特に漢字検定は地震でPTSD発症するも準2級を取得しました。
なので「YDKなのにもったいない」と言われたり、卒業式当日に進路担当から「全部真面目に受けていたら、1年当時言っていた茨木高校行ける学力は余裕であった」と言われました(茨木は偏差値72です)。。。
高校受験勉強は1か月。私は公立高校で建築を学びたかったのですが、親は大学進学を含めて進学校である私立を勧めてきていました。そこで大喧嘩し、最終的には私立高校受験1か月前に私立行くことになり、メリハリある受験勉強で合格しました。よく1か月毎日6時間勉強で合格させたな。。。今考えてもすごい。。。偏差値39から50ぐらいまでですかね。

生活の面では、「人を笑わせるギャグマシーン」でした。
お笑い芸人の真似をしてましたね。当時はPerfecthumanだったり、ラッスンゴレライが流行っていたのでそのまねをして大爆笑させていました。
それ以外で一番インパクトを与えれたのが「牛乳吹き事件」かなと思います。某番組で行っていた「牛乳に砂糖を入れまくる」というのが私の中で流行っていました。とある職員に「ぎゅうにゅういれてあげるよ」と言いつつ内緒で砂糖をスプーン5杯入れました。そこで一緒に牛乳飲んでいたのですが、反応を見た瞬間盛大に吹いたことがありまして(笑) しかも冬だったので、もこもこカーペットに吹いたので掃除が大変だった記憶があります。そこにいたみんなが笑いながら「せんせーい!!!しもん牛乳吹いた!!!」と叫んでいましたね(笑)
ぎゃははははははははは!!と笑いながら職員と掃除しました。

あとは短気でしたね。(笑)


2週間に1回「話し合い活動」という、みんなの生活をよくしていくためになにをするかなどの会議がありました。私が入所している子は「思ったことはすべて言う」傾向が強かったので、話し合い活動はとても活発でした。私は意見を言うのが面倒だったので、隣にいた職員に話したりなどでした。
意外と意見を言ってませんでしたね。今の私よりめんどくさがりだったので。。
早く終わらんかなー、まだかなー、この時間結構無駄じゃね?とほかのことを考えながら過ごしていましたね(笑)

夏は、みんな大好きホラー系を見るのが恒例でした。部屋を暗くさせ、午前中に見ていました。「ガチ無理やって!!!!」と叫んでいるシーンがあったのですが、私はにやにやしてました(笑)
「うわ!!!おるやん!!!(笑)」「絶対合成でわろたw」とか言っていました。
なのでホラー耐性は女子よりあるというのがわかりました(笑)


いまから暗い話をしようとおもったのですが、だいぶ長くなってしまうので今回はここまでとさせていただきます。

次回、暗い話になるので読むときはお気を付けください。





この記事が参加している募集