幸せのカタチ
最近改めて、”幸せ”とは何かを考えています。
正直、答えはまだ出ていません。
ウェルビーイングの考えから、自分らしく生きていく事、これこそ継続していく幸せの指標とあります。現段階で、自分の思想に一番近いのかなとも思います。
今年は”マインドフルネス瞑想×ウェルビーイング”をテーマに色々と活動を行っておりますが、自分の中で最近葛藤している部分もあります。
自分が本当は何をしたいのか、何をするべきなのか、それを自問自答する機会が増えてきました。
本業も含め、心身の健康を守り、向上させていく事を仕事として行っていますが、そこの最終地点はどこにあるのだろうとぼやけてしまうことがあります。
正直、特別お金持ちになりたいわけでもなく、優雅な暮らしを日々送る為に稼ぎたいという、金銭的な執着はありません。支払うべきものを払い、生活する上である程度の水準であればそれでいいと思っています。
今のままでも、一応生活はできていますし、ある程度特別高価なものではありませんが欲しい物も手に入っています。
人はどうしてもお金にとらわれてしまうことがありますが、私自身自分はあまりそこに重視をしていません。
それゆえに、自分が本当にしていかなければいけないことは何なんだろうと考えてしまうのかもしれません。
結婚はしていますが、子供もいないため、子供の為に人生をささげる、という選択肢も今はありません。というか概念がありません。
人はそれぞれ、生き方と価値観が違います。
ぼんやりと導きだしてみた答えは、
世の中、みんな幸せに生きていけばいいのかな
という漠然な思いです。
ではどのように、それを達成していくか、
みんな幸せに生きるってどういう意味だろうと考えてしまいます。
私はマインドフルネス瞑想を伝える活動をしていますが、その中で”自分を知る事”、そして”気づき”の大切さを知りました。
それぞれがどんな生き方でも良いと思います。
最近違和感を生じる事は、昨今、やはり暗い情報が多すぎるのではないかと思います。仕事がら、新聞やニュース、SNS等情報を確認することが多いのですが、ネガティブなニュースがあまりにも多すぎるように感じます。
SNSでは誹謗中傷や炎上や拡散、そのような情報の方が閲覧数が多いためどうしても上位に入ってきます。
私的には結構どうでも良いと思っていますが、さすがに様々な情報に目を通す以上目に入ってこないわけではありません。
なんか世界が冷たく感じます。
言葉や文字は、強い力を持ち、それをみただけで脳内で関連情報を引き出しイメージしたり、印象を作り上げてしまいます。
人が嫌と思う行為を自分が行うべきでもなく、されるべきでもありません。
それが現代の中ではあたりまえに行われています。
私ができることといえば、そのような社会に少しでも変化を起こしていけるように活動していくことだと思います。
自分ひとりの力では絶対に不可能だと思いますが、思想を共感できる人が増えれば、また新たな場所、考えへと広がっていくと信じています。
慈悲の心や、他者との共感、お互いの生き方を尊重し助け合っていける世の中になればもっと未来は明るいような気がします。
漠然とした答えがあるのに、どう行動していけばいいのか迷う時もあります。迷っていても、生きていかなければいけないし、行動し続けていかなければいけません。葛藤し、迷いながらでも一歩づつ前を向いて歩き続けていきます。
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