台所の食べ物の残りがなくなる未来を作るならば、バケツと魔法の粉
自家製野菜ジュースを朝飲むようになったのと同時に、一つの問題にぶち当たっていた。
それは、野菜のジュースを絞ると大量にでる野菜の皮の存在。
最初は、パンケーキに入れたり、野菜パンをやいてみたり、カレーの具材にしたりと楽しんでいたのだけれど。
次第にゴミとして処理するようになってしまった。
人参やらフルーツだけの皮というのは良い香りもするし、皮の色もとても鮮やかでもう少し知恵を働かせることができたら、捨てなくてもいいだろうに。
皮のゴミを見るたびにだんだんと美味しい野菜ジュースを飲むためだけに大量の無駄なことをしているような気がしてきてしまった。
そんな時思い出すのは、小さいころ親元を離れて丸々一か月を過ごした田舎のおばあちゃんの畑。
夏に畑でスイカが取れると、まずは山から引いた冷たい飲み水の下にスイカをしばらく浮かせておく。
冷たい水で冷えたスイカを食べ終わるとその食べ終わったスイカの分厚い皮は、台所の向こう側の池で泳いでいる金色や青色、銀白の鯉にやる。
他に残ったスイカの分厚い皮は畑の一角にあるちょっとだけ掘った穴にどさっと置かれる。
それがどうなったかは詳しく覚えていないけれど、土に返ってまた新しく野菜を作る肥しになっていたと思う。
おばあちゃんちの、畑と、鯉の池と、野菜とそれを食べる私たちはとてもうまく連携していた。
ビオトープという言葉を聞いたことがある、環境を改善するという意味だったっけ?湧き上がってくるイメージは水と、そこに住む魚と適度な藻のワンセット。
改めて言葉が何を定義しているのか見てみてみる。
ビオトープと呼ぶには参加する生物の単位が少ないかもしれないけれど、家庭から出るごみを肥料にして、家庭菜園をすることは意外とできるかもしれない。
おうちから出たごみをゴミではなく野菜に循環させる。ビオトープとまではいかないけれど、ビオライフ?。
そう思ったもののすぐに半年以上が経過してしまった。
だいたい、家庭菜園をしている人っていうのは小さいながらもお庭があったりして、植物を地面に育てられる余地がある人ばっかりだと思っていた。
そしたら、それは自分の思い込みに過ぎなくて、やってみようと思ったらやってみている人というのをちらほらと見かけるようになった。
家庭菜園はやってみようと思う気持ちと、育てる場所があれば出来る。そういうことだったので、おうち時間が増えたのでやってみることにした。
最初におうちでも簡単に育ってたくさん収穫できるというプチトマトと青菜に挑戦。
早くも、青菜は2-3日に一回収穫を楽しんでいる。
一枚とか二枚とか取れる葉っぱは若干少なくて、食べるときに貴重な雰囲気すら漂う。
もっさりとしてきたハーブもお肉料理やサラダに刻まれて活躍を始めた。
その次に、有機肥料を生ごみから作るバケツを購入。
ここでいつもなぜだか手が止まってしまう、バケツを買ったならばすぐに、バケツを購入した日から出た生ごみを入れればいいのに。
バケツが到着してからまた何週間も放置してしまう、、、。
でも、バケツは丁寧にも大型の段ボールに梱包されて届いたため、「秘密基地をつくるからこの段ボールを使っていい?」と子供に聞かれて
ようやくバケツを取り出すことが出来た。
はじめての生ごみは鶏肉の骨。
なんだか出だしから肥料になるまでに時間がかかりそうなものだけど大丈夫か。
バケツの中にいれてから気が付いたけど、生ごみを促進するための粉がないことに今更気が付く。
バケツとセットで売っているような錯覚をしていたらしい。
とりあえずバケツはしっかりとロックのかかる蓋がついているから締めておいて、生ごみの発酵を促進するなんとかいう粉を
一週間に何回かの買い出しのときに近所のホームセンターで手に入れようと硬く決心をして買い物メモに書き入れた。
ビオライフ始まるかと思ったけど、あと一歩のところでとまっている。
とりあえず、記念撮影。ハーブさんとバケツさん
できるだけゴミを出さないようにという流れを意識をしてはいるけど、
まだまだ行動が伴いません。でもそれが習慣化できるように。