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おいしいパスタが、ぜんぜんおいしくなかった。


このパスタが食べたい。
パスタ好きではない娘がめずらしく言った。
フレッシュトマトとカマンベールチーズのシンプルなパスタだった。
彼女がおいしいって言っていた店で、ようやく食べることができ、味を覚え、腕をふるうときがきたのだった。

***

パスタを茹でながらソースをつくり、それが同時にいい感じでドッキングするには、事前の下準備とイメージづくり、時間計算が欠かせない。火を入れ始めると、待ったなし。と、勝手に妙な緊張感をいつも持っている。

オリーブオイルを弱火で熱して、ニンニクin。彼女はニンニク自体は嫌いだから、香りづけだけして取り除く。そこにカットしたトマトに塩をふりかけさっと炒め、ちょうど茹で上がったパスタを投入。茹で時間の計算も塩加減もバッチリだった。茹で汁も少し加えて、さいごにカットしたカマンベールチーズを混ぜあわせて完成。

トマトソースにからまった熱々のパスタは、一気にチーズをとかしていく。最高においしい瞬間だ。だけど、皿に盛った瞬間から、こんどは徐々に冷えはじめる。チーズはかたくなっていく。おいしさのピークは一瞬で、時間の経過とともに、おいしさ曲線は下降していく。

***

娘には、パスタが茹で上がる前から、声をかけていた。
ちょうど宿題をやり終えたところで、ダラダラしていたと思う。その宿題を片付けて、パスタを食べる準備をしてほしいと何度も言った。
しかし、しかしだ。何を思ったのか彼女はピアノ弾きはじめた。片付けもせずに。
パスタを皿に盛りながら、彼女におおきな声で、すぐにピアノをやめて片付けるよう、怒りを爆発させてしまったのだった。

あなたが食べたいと言ってたパスタをつくったのに。
せっかくおいしくできたのに、皿のパスタはどんどん冷えていく。
いちばんおいしい状態で、いっしょに「おいしいね」って言いながら食べたかったのに‥‥。
なんでわかってくれないんだろう、悲しい、許せない、怒り、みたいな身勝手な心理状態だったんだと思う。

***

結果、無言の昼食。
おいしいパスタが、ぜんぜんおいしくなかった。
これまで何度も反省してきたことを、またやってしまったのだった。どうやら、食にかんしてこの傾向がつよいらしい。おいしいものをおいしいうちにおいしくいただきたい、という気持ちが強すぎるのかもしれない。

おいしいは皿の上だけにあるわけじゃない。
いまさら、そんなことに気づく。
おいしい、うれしい、しあわせなじかんは、皿のまわりにこそある。
もう忘れるなよ、おれ。

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