”ナチュラル”という言葉のズレ
私は散髪に行くのが嫌いである。
時間がもったいないし、
知らない人に頭髪や頭を触られて
何なら会話までしなくてはならないのが
苦痛だからである。
しかし、そんなことを言っていても
髪の毛は伸びてしまう。
なので、私はできるだけ自分の嫌いな要素を
排除した廉価な理容室を利用している。
施術は早いし、余計な会話もない。
唯一の難点は襟足をカミソリで剃られることぐらいだが
それも理容室の味わいとして受け入れている。
そんな私であるが、中学生の頃
通っていた地元の理容室で嫌な思いをしたことがある。
もしかすると過去の記事でも書いたことが
あるかもしれないが、
記事数も多くなってきたので重複確認が
難しくなってきた。
もし重複していたなら読み飛ばしてほしい。
私が中学生のころ、私は家のすぐ近くの
理容室で髪の毛を切っていた。
中学生といえば思春期真っただ中なので
髪の毛にはとても気を遣う時期である。
とは言え、あまり奇抜な髪型もできないし、
そんな勇気もない。
当時流行していたセンター分けにして
私は過ごしていたのだが、
どこにでもある髪型の中で
唯一オシャレさを出せるポイントが
もみあげであった。
校則で髪の毛には整髪剤を使ってはいけないことに
なっていたので、
オシャレができるポイントが極めて限られる。
そのせいかはわからないが、
当時の中学生男子はナゾに皆が
モミアゲをネジネジとしていた記憶がある。
それだけ私たちにとってモミアゲは
重要なものだったのだ。
私は決していわゆる”陽キャ”ではなかったが
やはり他の男子と同じようにモミアゲには
気を遣っていた。
髪の毛を切るときにも
モミアゲはあえて手を付けず
自分で調整をしていたほどである。
そんな私がいつもの理容室に髪の毛を切りに行くと
いつもの理容師のおじさんが出迎えてくれた。
そのおじさんは私の一つか二つ年下の娘さんがおり
私はおじさんが自分たちの感覚を理解してくれていると
勝手に思い込んでいた。
その日も、いつもと同じようなオーダーをして
カットが始まった。
子供の頃から行っている店だったので
会話もそれほど苦痛ではないのだが、
そのおじさんはとにかくよく喋る。
あれやこれやと話をしている中で
切りあがっていく髪の毛。
そして、仕上げに差し掛かったときに
おじさんが私に問いかけた。
「〇〇くん(私の苗字)、モミアゲはどうする?」
自分で調整してもいいかと思ったのだが
鏡に映る自分の姿を見て私は躊躇した。
サッパリした髪の毛に伸びたモミアゲの姿は
とてもアンバランスに見えたからである。
どうしようかと思っていると
おじさんが私にこう提案してくれた。
「そしたらナチュラルにしとこか?」
ナチュラル?と思ったが、自然にしておくということは
私の頭の中では自然に伸びた感じに
仕上げてくれるという解釈になり、
わたしは「お願いします」と迷わず答えた。
色んな人がいると思うが、私は施術中は
基本的に目を瞑っている。
カットした毛が目に入らないためというのもあるが、
まじまじとカットされている自分を眺めるのが
何となく嫌だからである。
なので、ナチュラルのやりとりの後も
私は目を瞑って施術を受けいていた。
そしてカットが終わり、おばさんが待つシャンプー台へ移動。
乾燥までしてもらって、再びカット台に座り
おじさんが仕上げをして、
最後に顔そりになった。
冒頭に話したが私が今行っている理容室は
廉価な店なので顔そりはオプションである。
もちろん私は顔そりはつけないが、
当時の私が通っていた理容室は値段も高い分、
シャンプーも顔そりも全てコミコミであった。
当時の私はこの顔そりがたまらなく嫌だったので
早く終わってほしいと思いながら
カット台に寝そべった。
生暖かい泡が顔に塗られてカミソリがジョリジョリと
当たる独特の感覚を味わっていると、
ふとあることに気が付いた。
おじさんがなにやら私のもみあげの場所まで
この泡を塗っていることに。
「まさか」と思ったものの
今更どうにもならない。
嫌な顔そりが終わり、私は恐る恐る
鏡に映る自分の姿を確認した。
驚いたことに私のもみあげは
根元の部分からきれいさっぱり
剃りあげられていたのだ。
いわゆるテクノカットというやつである。
ショックのあまり私は泣きそうになったが
どうにもならない。
会計の時までおじさんは何やら喋っていたが
私はあまりいい受け答えができないまま
お金を払い、店を後にした。
その翌日、学校に行くのがとてもイヤだったが
まさか親にモミアゲがなくなったから
学校に行きたくないなどと言えるわけがない。
私は意を決して学校に行くと、
仲がよかった友人からは
「おう、しんちゃんテクノカットにしたんけ?」
などとさっそくツッコミが入り
私は穴があったら入りたいぐらい恥ずかしかった。
そこからしばらくはモミアゲが早く伸びてほしいと
願いながら毎朝鏡に向かい合ったが
2週間もすると全く自分でも違和感がなくなり
モミアゲも意識しなくなった。
しかし、それ以降私はその理容室には
行かなくなってしまった。
あの時のショックが忘れられなかったからである。
そうして時が流れ、私は先日廉価な理容室で
カットをしてもらった。
いくら会話の少ない理容室と言えども
髪型のリクエストは当然しなくてはならない。
「カットはどうしましょ?」と聞くおじさん。
いつもの感じでリクエストをすると
「はい」と不愛想な返事をしてすぐにカットを始めた。
瞬く間に髪の毛が切られていき、後半に差し掛かったころ
おじさんが再び私に問いかけた。
「もみあげはどうしときましょ?」
中学生のあの時と同じ質問である。
とはいえ、今の私なら正直もみあげがあろうが
無かろうが、どちらでも清潔感さえあればいい。
なので、私はリベンジの思いを込めて
「ナチュラルにしてください」と答えた。
するとそのおじさんは私にこう聞き返した。
「ナチュラルに残すのか、ナチュラルにカットするのか
どっちがいいの?」
中学生の頃に私が本来聞かれるべきだった質問が
そこに突然現れたのだ。
近所の理容室のおじさんは余計な会話ではなく、
この質問を私に投げかけるべきだったのである。
それと同時に、当時の私も「ナチュラルに残してください」
とちゃんとおじさんに伝えるべきだったのだ。
アラフォーの私は「ナチュラルに残してください」
とおじさんに答えながら、
なんとなく過去のリベンジを果たせた気持ちになった。
言葉はあまりに曖昧なものである。
こうして言葉を紡いで記事を書いていても
読み手の方にどう伝わるかは
私にはコントロールしきれない。
しかし、お互いにその曖昧さを理解し
その上でできるだけ的確にコミュニケーションが
取れるように、
伝え方、聞き方を意識することが
大切なのではないだろうか。
当時の私は勝手におじさんが自分の要望を
理解しているものだと思い込み、
おじさんは「ナチュラル=テクノカット」と
思い込んでいたのである。
それをお互いにすり合わせないまま、
「ナチュラル」という曖昧な言葉の解釈が
ズレたことがこの事件の原因であった。
当時14歳だった私は25年越しにリベンジを果たし
こんな学びを得た。
この記事を読んだあなたも
髪の毛を切る際に出てくる「ナチュラル」という言葉には
ぜひ注意してほしい。
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