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荒唐無稽な宇宙のはなし

「燃え上がれ! 俺の小宇宙(コスモ)よ!」

 これが分かる人は恐らく同世代(笑)
 当時は意味が分からなかったけれど、確かに、マルチバースをそういう別の角度で見ると、色々面白い。

 相対性っていうのもまた、対比の対象があれば大も小も無尽蔵だ。

 はて? この人なんの話してんの? って思った方、恐らく正しいです。

 きっと荒唐無稽な話をしています。

 さて、どれからいこうかな。
 うん。まずミトコンドリアのところから。

 大昔、プロテオバクテリアというバクテリアが真核生物に取り込まれたそうな。

宇宙の中の宇宙

 我々が宇宙と呼ぶものといえば、夜空に見える星々の世界を想像すると思います。

 太陽を始めとする恒星の周りを惑星が回り、惑星の周りを衛星が回る。
 そして一見不動に見える恒星もまた銀河系の大ブラックホール等の周りを周回し、その銀河系もまた、常に移動を続けている。…と言われている。

 広大な大地と思っていたら実は小島だったりするように、井の中の蛙にとっては井戸の中が世界で、小川に住む魚の体内の微生物が、アンドロメダ銀河のことを思うだろうか。

 そんな微生物にも生きるための戦略があり、太古の昔に真核生物がプロテオバクテリアを取り込み、それがミトコンドリアとなり、真核生物の一部のように振る舞い始め、利害の一致によって共生が始まった…であってるかな?

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 葉緑素に関しても、似たような事が起きている。

 人が大地を歩くのに該当するのは、液体の中を遊泳する状態だろうか。

 小さな生き物の世界を考えると、毎日新陳代謝として激しく入れ替わる細胞たちの世界にも、様々なドラマがありそうだと思う。

 これはこれで、ミクロの宇宙だ。

宇宙の外側は

 以前、『この世界が仮想現実である○つの証拠』のような動画を観たことがある。
 オカルトの域を出ないのは、理解が出来ない領域の話というのも一つの理由だと感じている。

 もしも、自分たちの住む世界が何らかの活動体の一部だとして、宇宙はその内部だとすれば、その外側なんてものは、想像することは無駄に思えてもくる。

 だって、自分は一つのバクテリアでしかないのだから。

 もしも宇宙の外側に行こうとしても、寿命尽きるし、もしそれっぽいところに行けても一体何を知覚出来るだろうか? 視覚や聴覚といった五感が通用する世界なのか?

 創作物の登場人物が自分が作られた存在だと自覚したとして、その自覚そのものが創作だし、意思を持って動き出したら、また違う次元の力が働いていると考えた方がいいだろう。

 魂や心霊、スピリチュアルな分野も、確信に足る解明がなされているわけではなく、結局何を信じるかって話になってくる。

 考えても頭がこんがらがってくるのは、脳機能や領分を超えたキャパの限界だからなのか、何か制限がかかっているのか。

 制限がかかっているなら、リミッター外せば規格外の思考が可能になるのだろうか。

 その方が夢があって楽しい。

 考えるための材料や手段として物理学等を学ぶのもめんどくさいと思ってしまうから、そこは向いてないんだろう。

 違う方向で考えることにする。

ミクロの世界の星々

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 分子や原子、中性子、陽子、電子など、ミクロの標本などを見ていると、何だか太陽系や銀河系に似ていると感じる。

 更にクオークや超ひも理論など、まだまだ小さな世界はあって、『上には上がいる』と同じ現象な気がする。細かい世界に下限もまた無いのでは? と密かに思っている。

 もし、これらが実は生命を育む星だったりしたら、本当にミクロの宇宙だ。
 技術的に見ることが不可能なら、絶対に無いとは言いきれないはずだ。

 探し求めている地球外知的生命体に相当する存在が、今齧った林檎の細胞の中にある分子を構成するクオークなどの表面に畑を作ってくらしていたりするかも?

 そして、「我々はまだ我々以外の知的生命体と出会えていない。この広い宇宙において、我々は孤独な存在なのだろうか」といったことを言い合っているとすれば、とても皮肉な話かもしれない。

次元の違い

 子どもの頃、大人が「科学万能の現代で…」みたいなことを言っていた記憶がある。常々疑問に思っていた私は、同学年の子達からも変な子扱いだった。
 前項の最後に書いたようなことを、ミクロの世界の住人が言っているとすれば、我々人類は高次元の存在となるだろう。
 さて、そうなると更に高次元の存在との邂逅はどのようなものになるんだろうか。

 時の概念も、自分たちの寿命を基準に考えると、億単位の年数は計り知れない長さだが、そこもまた、桁の違う時間を生きているモノがいれば、瞬く間かもしれない。

 朝起きて、夜寝るまでの時間に、一体いくつの新陳代謝が起き、いくつの細胞や微生物の生と死が繰り返されていることか。

 空の一角が唐突に切り開かれて、得体の知れない存在から、拉致されるかもしれないなんて話をすると、オカルトマニアと、きっと言われる。

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 ミクロの世界に直接介入したり、存在することが出来ないのであれば、ミクロの世界と同サイズの代わりのコミュニケーションツールをドローンを操作するように送り込むのも、1つの方法だ。

 手術の時にそれに近いことをやっているし、災害現場で活躍するロボットとかも、それに近いと思う。

 全く条件の違う世界での存在の立場を想像し、その世界での当たり前を想像する。そうすると他の存在が規格外に感じてくる。
 そんなことを考えていると、きっと『変なやつ』って思われるに違いない。

 けれど、そんな変なやつは、今日もまた普通の人に紛れて普通に生きている。


誰かの心にほんの少しでも風を送れるものが発信出来るよう自己研鑽していきます。 当面はきっと生活費の一部となりますが、いつか芽が出て膨らんで、きっと花を咲かせます。