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小説【酒より君】-水菜を添えて-ハリハリ鍋他

先日、打ち合わせと昼飯のために寄った馴染みの喫茶店で、私の編集担当であり友人である男から信じられない言葉を聞いた。

「水菜ってどうやって食べるんだい?」

私は水菜が大の好物だ。毎日でも食えるほど。
そんな私の顔は、得体の知れない未確認生物を見たような顔をしたんだろう。
友人が若干引いているのを見逃さなかったが、私はその問いに返事をした。

「洗って食えば良いじゃないか」
「いやいや、料理の仕方を聞いてるんだがなぁ」
「有名なのはハリハリ鍋だ」
「ハリハリ?」
「水菜の食感を表す音が由来の鍋だ。本来なら鯨を使うが、私は豚肉やら白身魚で作っている。出汁は白だしやめんつゆを使うと楽で良い。肉とたっぷりの水菜を鍋で煮て食うんだが、水菜の歯応えすら美味く感じるぞ」
「へぇ。でもこの季節に鍋か……」

確かに今は暑すぎるほどの夏だ。
毎年上がり続ける温度を、愛しい妻がもうやめてと嘆いていたな。

「奥方のことではなく、料理の仕方を教えてほしいんだがなぁ」
「口に出ていたか。妻は可愛いのだから仕方ないだろう」

お前らしいと笑われたが、話の軸を戻される。
もう少し、妻の話をしたかったのだが。

「水菜の。ほかの食べ方について教えてくれ」
「色々ありすぎてなぁ。茹でた豚バラ肉の下にしいたり、卵でとじたカツと炊きたての飯の間にしいたのも美味い。親子丼でも良いぞ。あとはサラダはもちろんのこと、春巻きや餃子に入れてもこれまた美味いんだ。その他にもな」
「まてまて、ちょいと待て。水菜ってそんなに食べ方があるのかい?いやいや、当たり前だろうという顔が出来るのは食べたことがあるやつか、作ったやつしか出来ない顔だ」

おや、顔に出ていたかと顎をさすると、友人がため息を吐いた。

「お前さんは酒が飲めないくせに、酒に合う料理やらを知っているが。まさかここまでとは」
「愛しい妻の美味そうに食う姿を見たいからな」
「話し言葉だって少々柔らかめにしているんだろう?俺には乱暴な言葉だがなぁ」
「恐がらせたくないからな。それに三十年来の友人にいまさら何を気遣えというんだ?」
「確かに。笑っちまうだろうさ」

珈琲を一口飲んだ友人が、ふと気が付いたように尋ねてきた。

「なんでそこまで水菜が好きなんだ?」
「……そうだなぁ。ちょと長くなるが」
「あぁ。奥方関連か。まぁ今日は急ぎの仕事もない。聞いてやろう」

上から目線の物言いが少々気に障ったが、愛しい妻の話が出来るとあっては気にしてはいられない。
私はカフェラテを一口飲み、ゆっくりと話し始める。


あれは十年前くらいだったか。
水菜を知ろうとしたのは、今日みたいに肌を焦がすような日差しに文句を言いながら、妻が放った一言がきっかけだった。

「こんなに暑いとキンキンに冷えたビールを毎日飲んでしまうわね」
「体を冷やすから、ほどほどにね」
「冷えきらないとやってられないわよ! 暑すぎて!」

私は本当にやりかねない妻が心配になり、夏場でも目に涼しく、つい食べてしまうような体に良い食材を探した。

それが水菜だった。

抗酸化作用や免疫力を高めるβ-カロテンに、ビタミンCが豊富で、しかも葉酸も入っている。
食物繊維も豊富だし、あの見た目で緑黄色野菜というのも面白いな。
それからカリウムにミネラルも?それからそれから……。

私は気が付けば水菜にどっぷりと浸かっていた。
本来なら冬が主流の野菜らしいが。
ハウス栽培された水菜が一年中出回っているのがありがたい。

当時あまり野菜を食べない妻に、いきなりどさっとサラダとして出すのは危険だった。
嫌いになる可能性があるからだ。
私は文明の利器などを駆使し、まずは煮物や餃子に少量ずつ混ぜてみた。

「なんか今日の料理、食感が楽しいわね」

私は心の中で勝利の音楽を鳴らした。
第一段階は成功だ。

次に鍋や丼物に混ぜ始めた。

「今日のお鍋、涼しげで良いわね。これなら暑い日でも食べたいわ」

私は妻が寝静まったあと、そっと勝利の舞をした。
第二段階も成功を収めたのだ。

そして最終難関のサラダ。
まぁ、この時点で妻も水菜が好きになり、仕事帰りに買ってくるほどだったのだが。

作ってとせがむ妻が可愛すぎてな。仕事そっちのけで抱き潰してしまうこともあったよ。もう目が合うと真っ赤になる妻が愛しくて愛しく


「ちょいと、ちょいと待て」
「ん? なんだ? 妻がさらに可愛くなるのはここからなんだから大人しく聞けよ」
「いや、いやいや。此処は真っ昼間の喫茶店だ。それに夫婦の情事など誰が聞きたいものか」
「あぁ。独り身のお前には耳が痛い話だったか。それはすまなかったなぁ」

テーブルに置いた拳を爪が食い込むほど握り、大声で叫び出すのを抑えている友人を、けらけらと笑う私はたいそう意地が悪いのだろう。

私の優しさと愛情は妻にしか芽生えないのだから仕方がない。
付き合いの長い友人も、そこのところを嫌って言うほど理解しているから怒鳴りたくても怒鳴れないのだろう。
しかし、珍しく友人が言葉を返してきた。

「俺の遺書にお前さんの本性を全て書き出しといてやろう」
「なら私はお前の恋愛遍歴を小説にしてやる」
「なら俺はさらに、お前さんの奥方にどれだけ貢いだか、奥方自身に知らせてやる。驚くだろうなぁ」
「なっ! それは駄目だ! 怒られるだけじゃなく、通帳や印鑑まで握られてしまう。そうしたら妻に貢げないではないか!」
「……本当にお前さんは愛妻家というより。趣味が妻、を表しているな」

子供のような口喧嘩は友人の呆れたような声で幕を閉じたが。
しばらくの間、私は愛しく可愛らしい妻に貢ぐ金額を自粛した。


そのことを思い出しながら、友人に水菜のレシピを送り付ける。
感想を聞かせろ、あとネタをくれ。と添えて。


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