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ヴィロンの森 第六章 博士の銀貨

翌日、アリアンヌは言いようのない高揚(こうよう)感とともに目が覚めました。

大きく伸びをし、ゆっくりと起き上がります。
「姫様、おはようございます」
侍女が水を一杯コップにつぎ、彼女に渡しました。
「ありがとう」
少女はコップを受け取り、ゆっくりと飲みます。
窓を見ると、白いカーテンが大きく揺れていました。
ネグリジェ姿のまま、窓に近寄ると、昨日、ラルフとロワールがいた大木が見えました。
「昨夜はなんだかとても興奮して、なかなか寝つけられないとおっしゃっていましたがどうです?」
後ろから乳母が声をかけてきます。
「えぇ、あまり眠れなかったけれども……でも、全然眠くないわ! それに大分気分がいいの」
アリアンヌは笑顔でそう答えると再び水を飲み、そして窓の近くの椅子に座りました。

昨日、そう昨日だわ!
目を閉じて、昨日の様子を思い浮かべます。
すぐ下のバルコニーで、ロワールの笛の音にあわせて少年と踊っていた光景がありありと頭に浮かんできました。

何て楽しかったのでしょう......!
今までにまったく踊ったことのないものだったけれど、ラルフが優しく教えてくれたおかげで、何とか踊ることができたのと、また、真っ白なミヤドリ達も一緒になって鳴いたものですから、音楽がさらに厚みを増し、より踊るのが楽しかったことを思い出しました。

また、少年の様子についても、ありありと思い起こされました。
特に印象的だったのが、陽に照らされ、きらきらと輝く少年の銀色の髪でした。今でも鮮明に目に浮かぶようです。まるで宝石か何かを見ているようで、目が離すことができませんでした。
さらには、自分の部屋のバルコニーから少年に抱き上げられ、下のバルコニーに移動した時の、すぐ目の前にあったラルフの横顔が思い浮かびました。
あの時、あまりにも少年の顔が近くにあったので、言いようのない気持ちになったものでしたが、今、思い出しても、何だかくすぐったいような恥ずかしいような気持ちを感じてきます。
さらに踊った後、ラルフが少女を見あげた時に、じっ、と少年が見つめてきたのも思い出しました。
少年の瞳がいつもより綺麗だったので、つい自分も少年を見つめてしまいましたが、それも今思うと、より気恥ずかしい気持ちを感じます。

少女はなんだか落ち着かなくなり、立ち上がりました。
そして、再び、窓からラルフがいた大木を見ます。
木々は柔(やわ)らかな朝の陽に照らされながら、わずかに風で揺れていました。
少年達がいたところを見ていると、誰もいないのに、段々と昨日の、ロワールが奏でていた音楽が聞こえてくるような気がしてきます。
そしてさらに、ミヤドリ達の鳴き声も加わってくるような気もしてきて、ついには音は全て重なり合い、そこらじゅうに鳴り響いているように感じてきました。

少女は聞いていて、段々と踊りたくなりました。そして、ついには我慢できなくなり、踊り出しました。
昨日、ラルフに教わったどおりのステップを思い出しながら、優雅に踊ります。
音楽は変わらず少女の中で鳴り響いていました。
少しして、
「お召し替えの時間でございます」
丁度、侍女がそう言って部屋に入ってきたので、少女ははっ、として踊るのをやめました。その瞬間、少女の中で鳴り響いていた音楽もばったり止みました。
「お邪魔してしまったでしょうか」
侍女は少女が踊るのをやめたのを見て、心配になって尋ねてきました。
「いえ、ちょっとダンスの練習をしたくなって。大丈夫よ」
少女は慌ててそう言うと、気持ちを落ち着かせるために、水を再び飲みました。
「いつもより足どりが軽やかに見えましたわ」
少女が少し落ち着いたのを見て、後ろにずっといた乳母がそう声をかけました。
「昨日、踊っていて学んだのよ。これくらいの動きの方が、動きやすいし、見た目もいいのよ」
少女は振り返ると、そう答えます。
「確かに。それに軽やかですと、より華やかに見えますね」
「そうそう、いつも何か足りないと思っていたら、これだったのね」
笑顔でそう答えました。
それから少女はネグリジェからドレスに着替えさせてもらいました。

午後になって、アリアンヌがアレクサンドルと九番目の王子と中庭(なかにわ)で遊んでいると、博士が声をかけてきました。
「博士、ごきげんよう」
アリアンヌが挨拶をすると、アレクサンドルもお行儀よく挨拶をしました。
「こんにちは。あれから、自分なりにヴィロンについて調べてみたのですが」
博士はそう言うなり、自分のポケットから白いハンカチを取り出しました。
「何か分かって?」
「それがですね」
白いハンカチを丁寧に開き、中から銀貨を四、五枚取り出しました。
「古い文献(ぶんけん)を調べてみたのですが、ヴィロンの一族は非常に銀貨を好むようです。今度彼らにお会いすることがありましたら、こちらをお渡ししてみてください。何かいい事があるかもしれませんよ」
そう言うと、銀貨をアリアンヌに差し出しました。
「ありがとう、でもこの銀貨どうしたの?」
  「いえ。貨幣(かへい)の鋳造所(ちゅうぞうじょ)の知り合いに昔、譲っていただいたもので、大したものではないのです。古い硬貨で、そんなに価値もないですし。ただ、ヴィロンの一族にとっては、非常に喜ばしいものである事は間違いなさそうですので姫様にお渡ししようと思いまして」
「そうだったの、ありがとう。ラルフに渡してみるわ」
銀貨を受け取りながら、アリアンヌはそう言うと、ふと思い出す事がありました。
「そうだわ! ついでに博士に見てもらいたいの」
アリアンヌはそう言うと、自分のポケットから小さな革袋を取り出しました。
そして、袋から大事そうに少年からもらった金貨を取り出し、博士に差し出しました。
「これは!」
博士は目を輝かせて、その金貨を受け取りました。
「ラルフにもらったの。その、ヴィロンの男の子に。どう? 何かわかって?」
「ちょっとよく見せてください」
博士はまんべんなく金貨を見ます。
「材質とかは、調べてみなければわかりませんが......この文字はまったく見た事がないですね」
表(おもて)だと思われるだろう部分の、小さな文字を指差しながら言いました。
「ほんとだわ……絵が描かれているのかと思っていたけど、言われてみれば文字だわ!」
のぞきこみながらアリアンヌが言います。
「しかし、これはどうして、その少年からいただいたのです?」
しげしげと金貨を見ながら、博士が問います。
「舞踏会に招待されたの。招待状の代りになるからって」
「ほほぅ。金貨を招待状の代りにという事ですか」
「お姉様、ラルフの国の舞踏会に行ってみたいねぇ」
隣で話を聞いていた、アレクサンドルが口を挟(はさ)みました。
「えぇ。本当に行ってみたいわね」
「昔の文献には、森でヴィロンの一族に遭遇する事はあっても、彼らの国に招待されたという記録は全くありませんでした。もし、彼らの国の舞踏会に行くことができたら、姫様や王子様は、その国で初めてのお客さまになるのかもしれません」
ニコニコしながら博士はそう言いました。
そして、金貨を丁寧に袋に入れ、少女に返します。
「それは何て言ったら良いのかしら……、非常に『喜ばしい』事?」
金貨を受け取りながらアリアンヌが答えます。
「えぇ、大変、喜ばしい事ですよ」
博士が答えたその時、丁度、助手のギデオンが博士を呼びにきました。
「喜ばしいって何?」
アレクサンドルが尋ねました。
「とても嬉しいって事よ」
少女が答えます。
「王様がお呼びだそうで。これから王様のところに行って参ります。又、何かありましたら、いつでもお声をかけてくださいね」
そう言うと博士はお辞儀をして去って行きました。

「あぁ、また森に行きたいね。ラルフに会いたいなぁ。来月のお姉様の外出の日にまた行けるかな?」
アレクサンドルが尋ねます。
「えぇ、次の外出の日には行けると思うわ。そうね、ラルフに会いたいわ」
そう言うと、アリアンヌは昨日のラルフの様子を再び、思い起こしました。
今度は、踊っている時や踊っている途中の、少年の顔を思い出しました。
ずっと、優しく微笑んでいたのを思い出すと、胸が高鳴ってくるようでした。

「お姉様?」
アレクサンドルに声をかけられ、はっとしました。
アレクサンドルを見ると、少女のスカートの裾をつかみながら、じっと自分を見上げています。
「ごめんね、アレク。少し考えごとをしていたわ」
慌ててそう言うと、少し自分を落ち着かせました。
「えぇと、そしたら続きをしましょうか。アレクが向こうから来るのよね
「うん、そう。それで、悪の大王を倒すんだ。姉様はそこで大王に捕まっているの」

今日は、英雄ごっこをしているのでした。
中庭の庭園のすぐ横にある、大きな木の下に三人はいて、悪の大王に選ばれた、アリアンヌとアレクサンドルの兄弟である九番目の王子は、先ほどから木の根本のところに座って、その役目を全うすべく待っていました。
「エミール、待たせてしまってごめんね! 続きを始めましょう!」
そう、アリアンヌが九番目の王子に声をかけると、九番目の王子は立ち上がり、剣に見立てた木の棒を構えます。
アレクサンドルも木の棒を構え、兄に向かい合いました。
そして、
「やぁやぁ。悪の王よ! 姫を返してもらおうか!」
と言いながら、木の棒をつきつけました。
「返してほしくば奪ってみよ!」
兄はそう叫ぶと、持っていた木の棒で、つきつけられた棒を払い、さらにはアレクサンドルに棒をつきつけました。
「ならば、いざ!」
そう言うと、二人は棒を振り上げ、まるで剣術を繰り広げているかの体(てい)で、戦い始めました。
「二人とも気を付けて!」
アリアンヌは二人に声をかけます。

アレクサンドルは幼いながらに兄弟達の中で、剣術の才能があるのではないか、と周囲に思われていました。
剣を持った事のないアリアンヌでさえも、彼には剣の才能があるのでは。とよく思うことがありますが、さらには、こう本物の剣ではないですが、戦っている姿を目(ま)の当たりにすると、つい見入ってしまうものでした。

また、男の子というものが自分と違うという事に、ここ数年、気づいてはいましたが、特に今のアレクサンドル達のように遊びではありますが、戦っている姿を見ていると、自分とは、やはり違うのだなと感じるものでした。
「男の子は、女の子を守るものですよ」
そんな風に、男の子について、いつか誰かに教わったものですが、こんな風に誰かが自分のために戦うことが『守られる』ということなのだろうかと、アレクサンドルの英雄ごっこを見ているとよく思うのです。

それが正しければ自分は誰に守られるのだろうか? もし守られるのであれば……。
そう思う度、そこでいつもは何も思い浮かばずに終わるのですが、今日は、昨日のラルフの様子を何かとよく思い出していたので、ラルフの顔が思い浮かんできました。

ラルフにもし、こんな風に守られたら?
そう思ったら、先ほどまで感じていた気持ちとは、また違う気持ちを覚えてきました。
恥ずかしいような、けれど、そうあってほしいような..... 
胸がほんのりあたたかく、そして、ドキドキしてきました。

「どうしたのかしら。今日は不思議な気持ちによくなるわ」
そうつぶやいた瞬間、不意にアレクサンドルが思いっきり、兄を押しやって尻もちをつかせたので、少女は慌てて二人の元に駆け寄りました。 

                 (第七章に続く)


【注 釈】
高揚: 気分などが高まるこjと
ネグリジェ:  ワンピース型でゆったりした女性用の寝巻き。17-18世紀には、フランスで男女問わず着用されていた。
ありありと: はっきりと
厚み: 深み
鮮明: あざやかではっきりしている様子
柔らか: おだやかな様子
お召し替え: 着替えること
ばったり:  続いていた物事が急にきれて、続かなくなる様子
中庭: 建物と建物の間に作った庭
文献: 物事を調べたりし、真実を明らかにするために参考となる資料
貨幣: お金
鋳造所: 金属を溶かし、鋳型に流し込んでもの(お金)を作るところ
目を輝かせる:  興味をもった様子などが表情にでること
まんべんなく: 残すところなく
材質:  材料の性質
表: 表面
のぞきこむ:  顔を近づけたりしてのぞくこと
しげしげと: じっとよく見る様子
口を挟む: 人が話している途中に割りこんで話してくること
目の当たり: 実際に

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