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【小説】出口はどこですか? 第4話

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「いらっしゃ……おお、珍しいね」
 星形の月の重いドアをくぐると、空いたグラスをトレイに乗せてフロアを歩いていたユウヤが振り返り、沙樹さきの後ろに真尋まひろの姿を見つけて、嬉しそうな声をあげた。
 前回ふたりでこの店に顔を出したのは、いつだったろうか。常連の人たちには関係も知られていて、つき合い始めの頃は、よく揶揄からかわれたものだ。それでも真尋はまったく動じることはなかったし、沙樹もそういうノリは学生の頃に慣れきっていたので、酔っ払い相手に照れたり、ムキになることもなかった。
「今、テーブル席いっぱいだけど、カウンターで大丈夫?」
 ユウヤがフロアの様子を振り返りながら、沙樹に確認した。カウンターかぁ。まあ、どうせこの店に来たら、ふたりっきりになんかなれないのはわかっていたけれど。あまり気乗りしない沙樹は、真尋を振り返ると、全然気にしていない様子で「いいよ?」と言うから、そんなことだろうとは当然わかっていたけれど、改めてがっかりした。
 沙樹のお気に入りの端の席が空いていなかったので、カウンターの正面にふたり並んで座った。やはり土曜の夜は、金曜ほどではないとはいえ、店内が賑やかだ。それにちょうど人が多くなる時間帯だった。
「いらっしゃい。ふたりともジントニックでいいかな?」
 マスターの折原おりはらが、他の客のシェイカーを振りながら、声をかけてきた。お願いします、と真尋が答える。毎回ジントニックを注文しているから、今や当たり前のようになっているが、沙樹がジントニックしか飲まなくなったのは、真尋に出会ってからだった。それまではいくつかある好きな酒のうちのひとつに過ぎなかったジントニックが、いつの間にか一択になっていて、それは間違いなく、ジントニック以外飲まない真尋の影響だった。そんなこと、周りの人間には気づかれているのだろうか。でも真尋と出会う前だってジントニックは飲んでいたし、この店に通うようになってからまだ半年だし。それから結構すぐに真尋とつき合い始めたし。たぶん、気づかれていないだろう。沙樹がそんなことを思いながら、ふと顔を上げると、折原と目が合った。微笑む折原に、見透かされた気がして、なんとなく沙樹は目を逸らした。
 ふたりの前にジントニックを出すと、折原は少し離れた。沙樹に気を遣ったように思う。真尋はグラスを沙樹のグラスに軽く当て、「乾杯」と小さく笑った。これ。俺からやるべきだったなぁ。グラスを握る手に力が入る。自然にできてしまう仕草のほんのひとつ。こんな小さなところで、届かない自分を痛感する。ほんと、余裕ない。ださ。
「今日はデート帰り?」
 空気の読めないユウヤがカウンター越しに顔を覗かせた。まあ、こうなるよな。
「そう。久しぶりに沙樹君とごはん食べに行ってきてさ。ほら、あそこの郵便局の向こうのイタリアン、わかる?」
「あー、あるある。入ったことないけど。あそこ美味いんだ?」
 どうでもいい会話で真尋を消費しないでほしい。……なんて思いかけて、落ち着け自分、と大きく息を吸った。自分らしくない。意識していないと、余裕を取り繕うこともできなくなってしまう。そんな沙樹の思いにも気づかないふたりの会話は、イタリアンの話からユウヤのおすすめの店の話に移っていた。
「へえ、いいね。沙樹君、今度そこ、いってみようか?」
「え? ……ああ」
 聞いていなかったため、せっかく真尋に誘われたのに素っ気なく答えてしまった。今度っていつだ? ああ、こういう時に相手の予定を聞き出したりするのだろうか。でも、そんなことを考えているうちに、既にタイミングを逃してしまったように思う。会話の瞬発力は非常に重要だ。わかっていても、大事なものであればあるほど、失敗を恐れて躊躇いが生じる。そのせいで、ふたりの間に生まれたはずの建設的な会話が、今までにいくつも消失した。まあ、それも言い訳で、本来ならタイミングを逃したって、伝えることはいくらでもできたのだ。必死さが足りないという自覚はある。下手に恰好つけるから、言いたいことを言い出せなくなるのだ。

「しかし……。よかったねぇ、沙樹君」
「ん?」
「やっと真尋さんに会えたもんね」
 うん、と低い声で小さく答えてから、居心地が悪くてジントニックを飲んだ。真尋には結局「会いたい」と言うことができなかった。なのに、こんな軽い会話の中で、まるで沙樹がずっと会いたがっていたような……ずっと会いたがっていたのだが。
「はは。お互い忙しかったから、久しぶりになっちゃったね」
「沙樹君は結構うちに来てたよ? 忙しかったのは真尋さんでしょ」
「え、そうなの?」
 真尋が沙樹を振り向く。
「全然連絡なかったし、忙しいんだなって思ってたよ」
 その言い方だと、まるで沙樹の連絡を待っていたかのようだが、残念そうでもないし、寂しそうでもなかった。まるで――ああ、そうだ。離れて暮らす母親が「あの子、最近連絡ないけど、きっと忙しいのね」って時々思い出すような、そんな感じだ。母親? 嘘だろ。
「ほんと沙樹君、全然連絡くれないよね。俺のLINEもなかなか既読つかなかったりするし。だから俺も言ったんだよ。真尋さん寂しがってるよってさぁ」
「ははは。そうだね」
 笑っている真尋を横目で見ながら、全然この人寂しがってねぇよ、と溜息をついた。
「あ、そだ! 聞いてよー。こないだ沙樹君いたっけ? カヨさんが異世界の扉の話してた時。あ、いたよな。めっちゃつまんなそうな顔してたの、思い出したわ。はは、はは」
「はぁ、それがどうしたの」
「あれ、どっかで噂になってるっぽくってさぁ。異世界についてガチで聞いてくる人とか結構いんのよ」
「酒が入ってるからだろ? シラフはやばい」
 言ってから、隣の真尋の様子が気になった。まさか真尋はそんな話、本気にしないと思うが……でもさっき出口がなんとか言っていたし、もしそっち側の人間だったら、自分の発言を不快に思ったかもしれない。少し言い過ぎたな。
「異世界の扉?」
 事情を知らない真尋に、ユウヤが説明した。興味深そうに聞いている真尋。研究職というのは、なにに興味を示すかわからない。まさか、そっち側の人間か?
「へぇー。面白い。本気にする人もいるんだねぇ」
 こっちだった。まあ、当然とも言える。それでも沙樹は失言したかもしれないと焦っていたので、少し安心した。どこに地雷があるかわからないのだから、あまりきつい言い方はしない方がいい。
「まあ、けど俺的にはね。夢はいくらでも見ればいいと思うわけ。幸せになれる夢なんて、俺も永遠にみてたいよ。なにが言いたいかわかる? 沙樹君」
「え。いや」
「俺たちは忘れちゃったんだよ。異世界を思い描いて、キラキラしていたあの頃。なんか最近、目とか曇ってきた気がするし。ほら」
「なに言ってんだか」
 顔を突き出すユウヤのグレーのカラコンから、目を逸らしながら少し笑った。
「真尋さんも化粧品の研究なんてしてないでさ、異世界の研究でもすればいいのに。その方が需要ある気がする」
 たしかにね、と真尋はかなり本気の目で答えた。そんな真尋を見ながら、くだらないと思っていたこの話を、いつの間にか楽しめている自分に気づき、ユウヤのノリを少し羨ましく思った。自分にはできない。
「まあ……異世界は無理があるけど。私も研究したい謎はあるんだよ」
「なにそれ」
 ユウヤが身を乗り出す。いかにもこの手の話が好きそうな男だ。
「この世のどこかにある出口の話、聞いたことないかな」
「ないな」
 ユウヤはあっさり即答し、反応をうかがうようにこちらを見ていたから、沙樹も首を振った。つい先ほど聞いた話だが、知っている話ではない。そもそも、どこ界隈での噂話なのか。そんな話を聞いて、なぜ地に足の着いた真尋が興味を持つのかわからない。
「出口って、なんの出口なの?」
「この世界の出口だと思うよ」
「なにそれ、ちょっと怖くね?」
「怖いかなぁ。沙樹君どう思う?」
「いや……。どうだろう」
 怖いというか、不気味というか。でも、「この世界の出口」という、言葉の響きから感じる不気味さなのかもしれない。なにしろ、それ以上のイメージができない。真尋には、自分たちとは違う出口のイメージが見えているのだろうか。そもそも、あるわけないと思ってしまっているから、イメージが湧いてこないのだ。
「どうだろう」
 ユウヤが沙樹の真似をしたが、沙樹は面倒なので無視した。ユウヤは気にせず、グラスを磨きながら満足そうな顔で溜息をついた。
「でも、いいよね、俺も謎の研究してぇわ」
「さらに迷宮入りしちゃうだろ」
「はは、たしかに」

 沙樹は重い扉を押して、真尋を先にくぐらせた。店内の騒がしさにロードノイズが流れ込む。
 結局、オカルト話に花を咲かせただけで、真尋は明日の準備があるからと、帰宅することになった。食事だけで終わりと思っていた沙樹にとっては、星形の月がアディショナルタイムのようなものであり、イタリアンで決まらなかった分、ここでガツンと決めたかったところである。結果的に、デートは成功とは言えないが、ユウヤのおかげで楽しい時間は過ごせた。
「ここでいいよ、沙樹君。まだ飲んでいくんでしょ?」
 沙樹も一緒に帰ろうと思っていたのだが、明日の予定もないんだし、とユウヤに引き留められ、もう少しだけ残ることにした。正直、真尋の気分のまま帰りたかった。しかし、真尋の気分にはあまり浸れないまま、解散時刻になってしまい、このまま帰ったら落ち込みそうな気がしたのだ。
「じゃ、またね」
 真尋が右手を差し出した。握手。いつも握手だ。これで終わり? いいのか? これで。なにかが違う。なにが違うんだ? 沙樹の中のもやもやが黒煙のように立ち上り、胸の中を侵し始めた。目を背けていた感情が膨れ上がり、現実を掲げて迫ってくる。こんなこと、もう少し、気づかないふりをしていたかった。
 沙樹は握った手を離せず、両手で真尋の右手を包み込むと、動けなくなった。どうした? と首を傾げる真尋。そんな目で俺を見て、この気持ちを説明しろと? 言ったらわかんのかよ。
「どうって……どうしたんだろな」
 あー、だめだ。じわじわと沸き上がってくる感情に飲まれてしまう。
「……足りないよ、全然。やっと会えたのに、あっさりし過ぎだろ。なんで俺ばっか求めてんだよ。おかしいか? 普通だろ、こんなん。普通なんだよ!」
 沙樹は抑えきれず、真尋の体を乱暴に抱き寄せた。自分の体が震えているのを気づかれないよう、抱きしめる両腕に力を込める。真尋はどんな顔をしているだろう。
「真尋の好きと俺の好き、絶対違うだろ」

 しかし、沙樹なりに理性をなげうって訴えたのに、しばらくしても抱きしめたものに反応がないため、興奮して頭に上った血が急降下してきた。だめかぁ……。
「……ごめん。責めるつもりはないんだ」
 戦意を失った沙樹の両腕は真尋を解放し、顔を見ることもできなかった。
「いや……ごめんね。私も配慮が足りなかったね」
 配慮? 違うんだってば。
「沙樹君、来週また会おう。ゆっくり話そう」
「うん……」
「連絡もするから」
「うん……」
 真尋が沙樹の頬に手を当てた。気まずい。見ないでほしい。なんでこんなに惨めな気持ちになるのだろう。
「伝えてくれてありがとう」
「うん……」
「じゃ、またね」
「うん……」
 真尋は沙樹を軽く抱きしめると、去っていった。

 ガタン。
 音に振り向くと、折原が看板を片付けていた。
「ああ、沙樹君」
 見られていた? どこから? 自分はどんなことを言ったっけ。思い出せないが、間違いなく、途轍もなく恥ずかしいものを見られてしまった。このまま店内に戻るつもりだったのに、今すぐ逃げ出したい。
 しかし、折原はまったく気にしていない様子で、看板の照明を確認したりしている。動けず棒立ちになっている沙樹に、なにかを思い出したかのように折原が振り向いた。
「そういえば、沙樹君。出口の場所、君も知りたいかい?」



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