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【小説】出口はどこですか? 第3話

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 待ち合わせ場所は、前に行ったことのあるカジュアルなイタリアン「こんにちボーノ」だった。星形の月と同じく、沙樹さきの最寄り駅にあるその店は、駅から少し離れた住宅街にある。真尋まひろとふたりで見つけた店で、あれはたしか二回目のデートだったか。三回目だったかもしれない。四回目ではないはずだ。そんなに数えるほどデートは実現していないから、必死に思い出そうとすれば全部思い出せそうだった。
 イタリアン。まだ明るいけど、たぶん夕飯だよな? こんなことなら、ファミレスで「たらこスパゲッティ」なんて食べなければよかった。いや、「たらこスパゲッティ」はイタリアンではないのだろうか。違うよな、ノリもシソも乗っていたし。ならまあ、セーフか。
 時間にも余裕があったので、沙樹は満腹気味の腹を少しでも減らすために、駅の反対側から大回りをして店に向かった。それにこうしてルートを変えれば、店に着く前に路上でばったりという気まずい出会い方を避けられる。そんなことを気にする必要はないのだが、顔を見るのがあまりにも久しぶりで、なんだか気恥ずかしい。なぜ、こんなことを思うのだろう。真尋と出会ってから、自分の知らなかった「ダサい自分」が暴かれていくようで、苛立ちと焦りを感じる。これからもずっと居心地の悪い付き合いが続くのだろうか。自分はこの関係に何を求めているのだろう。
 だいぶ遠回りしたけれど、沙樹は真尋より早く店に到着した。真尋の名前で予約されており、奥の半個室に案内された。滑らかな石で囲まれた、仄明るい洞窟のような空間。天井も低めで、この閉鎖的な空間が、沙樹の居心地を良くもしているし、悪くもしている。
 時刻は午後6時5分前。いい時間だ。学生時代の沙樹は時間にルーズで、相手を待たせてばかりだった。待たせることに慣れ過ぎて、10分くらいの遅刻は遅刻ではないという感覚すらあった。さすがに社会人になると、そうはいかない。人付き合いの中で、時間を守るということの大事さ、そもそもそれは当たり前なのだということを思い知った。7分遅刻したことでブチギレた先輩に、そんなに? と驚いていた沙樹も、この1年でだいぶマシな社会人になった。いや、でも滉大こうだいのことは未だに待たせてばかりな気もする。先月あった大学時代の友人たちとの飲み会もかなり遅刻した。まあ、それでも真尋を待たせたことは一度もなかった。特別に意識しているわけではなかったけれど、真尋との待ち合わせは、なぜかいつも先に到着することができた。

「ごめんね、待たせたかな」
 午後6時ジャスト。真尋は頭をぶつけないように、入口の石天井に手を当てて、沙樹の方を覗き込んだ。沙樹は慌てて弄っていたスマホを置き、久しぶりの真尋の顔を見上げた。そう、この顔。危うく忘れかけるところだった。ふたりの写真は1枚もなかったため、沙樹は時々真尋の会社のホームページに写っているスタッフの画像を眺めたりしていた。研究室にいる真尋は白衣を着ていて、自分が知っている真尋とは違っていたので、ホームページの画像だけでは余計に遠く感じてしまう。どちらもきりっとしていて凛々しいのだが、実際に目の前にした真尋はもっと優しい印象。そう、この目が好きだ。上からでも下からでもなく、ちょっと斜めから沙樹を捉える、熱いような冷たいような、不思議な温度感のある黒い瞳。沙樹がつい、黙って真尋を見つめていると、席についた真尋は少し笑った。
「そんなに見つめないでよ。沙樹君は情熱的だなぁ」
 情熱的? 自分が? まさか、と苦笑して沙樹は「久しぶり」とだけ言った。艶のある黒髪が真っ白なシャツの胸のあたりまで伸びている。不思議な話で、ずっと会いたかったのに、会ってみたらもっと会いたくなった。目の前にいるのに「会いたい」と思うのも理解ができない現象だが、焦がれる思いがそう錯覚させるのだろうか。
 店員が飲み物の注文を聞きに来て、ジントニックをふたつ、注文した。それと、サラダとかアヒージョとか、あとチーズの盛り合わせも、真尋が適当に注文した。沙樹はどれでもよかった。実際腹は減っていないし、食事をしに来たわけではない。真尋との時間を彩るものは、真尋が好きなものを選べばいい。
 ふたりは乾杯をして、最近の出来事をいくつか報告し合った。沙樹のどうでもいい日常の話を、真尋は興味深そうに聞いていた。俺の話なんていいんだよ。それより真尋はどうなんだ? 会えない間、どんな毎日を送っていたんだよ。……って聞いたら、余計なことを言ってしまいそうで、どうでもいい話を続けながら、今運ばれてきたばかりの森のキノコのサラダを小皿に取り分けた。会えない時間の不満より、今一緒にいることで、少し浮かれた気持ちを大事にしたい。
「そういえば、こないだユウヤ君に会ったんだよ」
「ああ、そうらしいね」
 休日に女友達と買い物してたってやつか。聞いた時はもやっとしたが、デートが実現した今、沙樹にとって些細なことになっていた。
「休日出勤してたんだけど、帰りに買い物に付き合ってくれって後輩の子に頼まれてね」
 なんだ。その日も出勤していたのか。沙樹は小さく安堵した。
「再婚したご両親の、10年目の結婚記念日だったんだ。素敵な食器をプレゼントしたいから選んでくれって言われてさ」
「真尋、陶器とか詳しいもんな」
 あー、そういうこと。ほら、全然気にすることじゃなかったじゃないか。ユウヤから真尋に会った話を聞いただけで、もやもやしていた自分が恥ずかしくなる。
「ユウヤ君に声をかけられて、びっくりしたよ。彼、外だとあんなに声がでかいんだね」
 思い出しながら真尋が可笑しそうに笑うから、つられて沙樹も笑った。

 あー……好きだ。やだなぁ。みっともなくすがったりなんてしたくない。もっとかっこよくいさせてくれよ。悔しいけど、絶対に真尋より自分の方が好きだ。そんなこと、真尋には気づかれたくないなぁ。

 メインのパスタを二皿シェアして、「デザートどうする?」と真尋に聞いた。
「真尋の好きなティラミス、注文する?」
「私がティラミス好きだって、よく覚えていたね」
 真尋は嬉しそうに笑ったが、沙樹にとってはこのくらい当然過ぎて、逆に驚いた。舐められてもらっては困る。根掘り葉掘り聞いたりしないけれど、真尋が話してくれたことはたぶん、全部覚えているのではないか? 相手に興味を持っていたら、当然のことだろう。真尋は、違うのか。
 食後のティラミスとコーヒーを注文して、「この後、どうしようか」と真尋が口にした。
「うちに……」
 寄ってく? と言いかけて、部屋が汚いのを思い出した。こんなことなら、店に来る前に大回りなんかせずに、一回家に帰って掃除でもすればよかった。あの時は、突然会えることになったから、興奮と緊張が抑えられず、頭がろくに働いていなかった。そうか。ここで終わりじゃなかったのか。「この後」があったのか。沙樹は、この店に来る前の自分、いや、普段から掃除をしていなかった自分を振り返り、心底後悔した。でも、もし部屋がきれいだったとして、自分が誘ったら真尋は来てくれたのだろうか。今まで、さりげなく誘ってみても、来てくれたことは一度もない。真尋の家に招いてくれる気配もなかった。それでいて、嫌がられているようでもないのが不思議だ。沙樹の家に行くのが嫌なのではなく、必要がないと思っている節がある。それは、男としてどうなんだ? つき合ってるんだよな? 今更だけど。真尋にとって、自分はどういう存在なのだろう。考えると落ち込むから考えないようにしていたけれど、そろそろちゃんと向き合わないといけないかもしれない。沙樹が初めて年上の女性とつき合うように、真尋にとっても初めての年下の恋人だった。そういうところで、認識の誤差が生じているのだろうか。とはいえ、真尋が年上の男性に甘えているところなんて、想像できなかった。どんなつき合いをしてきたら、今のような沙樹とのつき合いに繋がるのか。年上の男性と対等にいた彼女だから、沙樹があまりにも子どもに見えて、男性として意識できないのか。そう考えたら少し納得する。納得してしまう自分も情けないが、彼女とは7歳離れていて、実際には7歳以上のなにかの差があるように思う。これが心の距離だとしたら、むしろ恋人でいることの方が奇跡で、なにかの間違いなのかもしれない。間違い、なのだろうか。
「星形の月、いこっか。まだ時間あるし」
 くっ……まだ時間があるのに、家に誘えないなんて。歩いて帰れる距離にあるのに。
「こないだ……ひとりで行ったんだって?」
 沙樹は落ち込んだついでに、本音を少しぶつけてみた。
「声かけてくれれば、すぐ行けたのに」
「え?」
 真尋は驚いた顔をして、コーヒーカップを置いた。
「なんだ。寂しかった?」
「は?」
 すごく意外そうな顔でこちらを見ている真尋に、悪意は少しも感じない。本気で言っているのだ。「寂しかった?」って、少し驚いて、純粋に聞いているのだ。なんだよ、そのリアクション。寂しくないわけねーだろが。
「寂しかったわけじゃないけど。暇だったのにって思っただけ」
「そっか。次は声かけるよ」
 真尋が優しく微笑む。なに、その笑顔。好きだけど。なんか違うんだ。なんなんだろうなぁ。なにかがズレている。たぶん大きくズレている。どうにかしなきゃいけないのに、沙樹にはわからない。

 ジントニックとか、パスタとか、なにかで膨れた腹を抱えて、沙樹は真尋と通りに出た。明るいうちに店に入って、洞窟のような空間で過ごし、店を出たら外はすっかり暗くて、ふたりの時間は間違いなくどこかに流れていった。
「そういえば。沙樹君知ってる? この世のどこかにね、出口があるんだって」
「出口?」
 そう、となぜか得意げに沙樹を振り返ると、真尋は星形の月に向かって歩き出した。沙樹も隣をゆっくり歩く。なんだかすぐに着きたくない。店に入ったら、ふたりきりではいられなくなる。もっとふたりで話さなければならないことが、あるんじゃないか?
「出口の先に何があるの」
「わからないんだ」
「わからないのか」
「でも、それは入口じゃなくて出口だから。そこで終わりなのかもしれないね」
「ふーん。真尋は出口を探しているの?」
「うん、知りたいよね」
「研究職の人間はもっと現実的な思考なのかと思ったよ」
「研究職の人間だからこそ、じゃないかな。出口があるなら、その先が知りたいよ」
 真尋は夢を語るように話しているが、沙樹はなんだか不気味な感じがした。夢があるようで、ないような。この世の出口って、なかなかいい意味に捉えることが難しい。それって――。
「見つけたら、どうするの?」
「え?」
「行くの? その先」
「どうだろう」
「俺がこの世界にいるのに、真尋は出口の先に行くのか?」
「どうしたの、沙樹君」
 何言ってるんだろう。おかしいのは分かってる。そういう話じゃないよな、たぶん。でも、ちゃんと言わなきゃ。ふたりの関係をどうにか立て直したい。いや、最初から立て直す形もなかったかもしれないが。自分が今動かなければ、簡単に終わってしまいそうだった。
「俺は、真尋が好きだから。真尋がいる世界にいたいよ」
 立ち止まり、つい柄にもなく声を張って、沙樹は言葉に力を込めた。
「――そっか。ふふ。嬉しいよ。私も好きだよ」
 少し顔を傾けて、優しく沙樹に微笑む真尋。なんだ? なんか違うんだ。この人は、きっと出口を見つけたら沙樹を置いて行ってしまう。好きだという言葉にきっと嘘はない。嘘を言うような人ではない。でも、なにかが違うんだ。沙樹にはそのなにかがまだわからないから、真尋が出口を見つけてしまわないように祈るしかなかった。

 まあ、そんなもの、あるわけないか。




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