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【小説】出口はどこですか? 第5話

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 どういうこと?
 動悸が激しいのに、呼吸は止まっているようだった。頭部には酸素も血液も足りないようで、沙樹さきは自分がパニック状態なのか放心状態なのかの区別すらできなかった。
 絶対に他人に見られたくないものを、絶対に見られたくない人間に見られた。そこまでの現実で十分ダウンを取られているのに、追い打ちをかける衝撃の謎パンチ。

 「出口の場所、君も知りたいかい?」

 店内であれだけ話していれば、折原おりはらの耳に入っていてもおかしくはない。酔っ払いの戯言ざれごとだ。出口と言い出したのは真尋まひろだから、異世界の扉と一緒にはしたくないけれど、根拠のない絵空事、内容的には同レベルだと言える。それをなぜ?
 沙樹は恥ずかしく惨めな姿を見られたことを、忘れることはできなかったけれど、それより折原の言葉が強烈過ぎて、思考回路が混線状態になっていた。
 そんな沙樹をよそに、折原は看板のライトを消して、折り畳んで横に立て掛けると、シャツを捲り上げた腕を組んで入口の扉に寄りかかり、沙樹を斜めから見据える。扉の上にあるダウンライトが3つ、それと少し離れた電柱の明かりがふたりを照らした。低いエンジン音を響かせ、大きめの車が通り過ぎる。
 あからさまに沙樹の様子を観察している。恥辱? 混乱? 動揺? そんな様子を眺めながら、沙樹が出す答えを待っているようだ。でもなにについて?
「えっと……」
 真尋とのこと? ……は、みっともないところを見られただけであって、沙樹から言うべきことはなにもない。口止めなんてダサいことはしたくないし、すると当然、言及すべきは「出口の場所」についてだろう。
「それは……折原さんは知っているってことですか? 出口の場所」
「もちろん、一緒に探そうなんてお誘いのつもりはないよ」
 そもそも、出口の話なんて先程聞いたばかりの非常に胡散臭いものだ。話したのが真尋でなければ、気にも留めない。
「なぜ、それを俺に?」
 沙樹は、知りたいとも知りたくないとも答えなかった。出口は胡散臭いが、折原も胡散臭くみえてきた。どこまで真面目に対応すればいいのか悩みどころである。
「なぜ君に、ね。君が一番、信じてなさそうだったからかな。まったく興味がないようだった」
 まあ、それはたしかにそうだろう。ちなみに今も信じてなどいない。
「あとは」
 折原が寄りかかっていた扉から体を離し、ネイビーのシャツの背中や肩の辺りを軽く払った。
「真尋さんに教える前に、君に教えておこうかと思ってね。彼女、とても知りたがっていたじゃない?」
 真尋の名前が出た時点で、なんだか嫌な予感がした。なにを企んでいる?
「沙樹君、知りたいかい? とっておきの秘密、君だけに教えてもいいかなと思っているんだけど」
「なぜ俺だけに?」
 真尋の名前も出していたくせに。
「この先に起こることは、君次第ってことにしてもいいかなと思ってさ」


 折原のせいで、真尋とのデートのことはすっかり忘れてしまった。最終的に、忘れたいような出来事も起こしてしまったのだから、それに関しては救われた部分もあるかもしれない。それにしても、なんとも不穏な空気。これはきっと、ユウヤの言うような幸せな夢の話じゃない。なにせ、胡散臭い折原の提案だからだ。

「あ、沙樹君~! 遅いから真尋さんと帰っちゃったのかと思ったよ」
「荷物置いてっただろ」
 結局、沙樹は折原に返事をせずに、店内に戻ってきた。折原も沙樹に続いて店に戻り、フロアの片づけをしている。つい、振り返って肩越しに折原の様子を覗き見た。普段と変わらないように見える。揶揄からかわれたのか? 何を考えているのかよくわからない人間だから、本気なのか冗談なのかわからない。でも、冗談にしては具体的過ぎた。沙樹の前に真尋に教えようとしていた……? たしかに真尋は探していたけれど、教えたらどうなっていただろう。その先に進んでいただろうか……。いや、そもそも! なんなんだ、出口って! 都市伝説じゃないのか?
「ユウヤ、ジントニック」
「え? 沙樹君、まだ残ってるよ?」
「あ、ほんとだ」
 汗のかいたロンググラスを持ち上げると、コースターが一緒にくっついてきた。気にせず飲み干すと、改めてジントニックをお代わりした。
「どうしたの、沙樹君。なんか真尋さんとあった?」
 ズキ、と胸の奥が痛んだ。出口のことで記憶が薄れていたが、ついさっき、玉砕したばかりだった。真尋のせいじゃない。誰も責めることができない。それでも、こんな形でも、沙樹と真尋は恋人なのだ。人との繋がりを単語で表すのは無理がある。欲しかったのは「恋人」なんていう言葉の響きじゃない。でも、それに気づいたのは沙樹だけで、むしろ真尋は二人の関係に、最初からなにも欲しがってはいなかったのかもしれない。
「好きって、なんだろうな」
 溜息をついたつもりが、言葉まで漏れていた。
「どしたの沙樹君。お兄さんに言ってみなさい」
「ぜってー言うか」
「でも変な話よ? 片思いでもないのにさ、好きって何だろうとか、なんでそんなこと悩んじゃってんのよ。このリア充が!」
 ユウヤは呑気で羨ましい。さっきの沙樹と真尋を見て、なんの違和感もなかったのだろうか。……なかったのだろうな。
「まあ、けどあたしはわかるかなぁー。口先の好きと本心の好きって違うよねー」
 沙樹は気づかなかったが、いつもの沙樹の席に常連のカヨが座っていた。少し席が離れているにも関わらず、平気で会話に入ってこようとする。まあ、とはいえ、フロアもほとんど客は引き、カウンターも常連くらいしか残っていなかったので、この雰囲気は閉店間際のいつもの様子だ。
「お、恋愛マスターカヨさん! 今の彼氏さんは本心の好きなの?」
「んー、今の男はどうせ本命じゃないから。別にいるんだよ、たぶん」
 気まずい空気が流れた。こんなのわかってたじゃねぇか。なんで振るんだよ、バカユウヤ。
「ま、金があるうちはね。あたしがエースだから。好きって言ってくれるよ」
 そう言うと、カヨはレモンサワーを一気飲みした。そして咳込んだ。なんだか嫌な咳だった。どこか悪いのではないか。これだけ毎日、無理な飲み方をしていたら、どこか故障していても不思議はない。
「大丈夫?」
 とユウヤが小さく声をかけた。黙って頷いているカヨを眺めながら、沙樹はやるせない気持ちになった。なんだよ、この世界。
 この世界、と思ったところで、出口の話を思い出した。信じられないことに、すっかり忘れていた。まあ、ほんの一瞬の間だけれど。折原を目で追うと、閉店に備えて、こまごまと片付け始めている。店内でまだ飲んでいる客には気を遣わせないように、さりげなく箱を畳んだりしているところを見ると、さすがマスターという気配りだ。しかし……。
 沙樹は大きく息を吐いた。彼はきっと、今日にでも出口の秘密を沙樹に教えるつもりだ。沙樹にだけ、という言葉から、きっと閉店後にも残れということなのだろう。どうする? なにごともなかったように、帰ることもできる。正直、そこまで興味はない。ただ、真尋より先に、という言葉がひっかかる。自分が出口の話を聞かなかったら、真尋に教えてしまうのだろうか。出口の場所を? そしたら真尋はどうするだろう。きっと――。

「もう一杯~、もう一杯だけだから~」
「だーめ。ほら、カヨさん、もう閉店だから」
 ぐにゃぐにゃになっているカヨを、ユウヤが優しくなだめる。
「折原さん、俺、近くまで送ってきますね」
「ありがと、助かるよ」
 金ならあるからと、財布から札をばら撒くカヨに、丁寧にしまい直してカバンに入れると、ユウヤはカヨの腕を掴んで、よろよろと店を出て行った。テーブル席に残っていた、初老の男性も、お会計を済ませて「ごちそうさん」と店を出た。店内に残るのは、氷も解けて、上澄みはもはや水のようになったジントニックを握る、沙樹のみとなった。普段なら、居座ったりせず、こんなことになる前に席を立っている。しかし、今日は別だ。そうなんだろ? 折原さん。

「さて」
 折原は磨いたグラスを並べ終えると、沙樹に向き合った。
「さっきはあんなことを言ったけどさ。僕は知りたいんだよ。このことを知って、君はどうするのか。僕はこれからどうすればいいのか」
 そう言いながら、折原は、カウンターの横の扉を開いた。こちらを手招く。沙樹は水滴で濡れた手をグラスからやっと離し、荷物も席に置いたまま、覚悟を決めて折原についていった。
 視界には入っていたけれど、この扉が開いているのは見たことがない。二階は折原のプライベートルームと物置だと聞いていた。大事なものを預かっているから、二階に他人を入れたことはない、と折原が言っていたのを覚えている。ぎし、ぎし、ぎし、飾りのついた木製の狭い階段を上っていく。店内がスタイリッシュだったのに比べ、扉の中は随分古びた印象だ。あれか。店内だけリノベーションをしたのだろうか。そんなことを考えながら、気づいたら二階に着いていた。細い廊下。扉が三つ? 普通の扉に見えるが。あれ? そもそもここまで何をしに来たのだっけ? あまりにも普通の光景に、一瞬目的がわからなくなった。沙樹が考えていると、折原が振り返った。
 手前の扉をノックする。
「ここ。これは物置ね。店内に入りきらなくなった在庫とか、いらないものも詰め込まれてる。もはや、なにが入っているか把握しきれないくらいだよ」
 折原は軽く笑ったが、沙樹は興味ない。
 続いて、その隣の扉をノックする。
「ここ。これは僕の仮眠室。プライベートルームって言った方がかっこいいかな。まあ、けどちっちゃいベッドが置いてあるだけだし、小さいデスクと、クローゼットと……ってまあ、そんな感じ。君は興味ないよね? 顔を見ればわかるよ」
 そして、一番奥の、少し黒ずんだ鉄製の扉の前に進んだ。最初は扉が三つ並んでいるとしか思わなかったけれど、よく見るとこの扉だけ、重厚感があり、禍々まがまがしくも見える。大きなカギ穴も見えた。
「これが、例の部屋」
「部屋って……」
 出口のイメージができていなかったが、部屋なのか? ふと、カヨやユウヤが話題にしていた「異世界の扉」を思い出した。この先になにがある? これを知ったら、カヨやユウヤ、そして真尋も、胸を高鳴らせるのだろうか。沙樹は違った。夢がある? とてもそうは見えない。この先に進みたいとは思えないのだが、しかしそれでも、この先になにがあるのかはちゃんと気になる。
「そう、出口。この世の出口と言われるのがこれだ」
 折原は、手のひらほどもある大きなカギを差し込むと、ゆっくり回した。音もなく広がる扉の向こうの世界は――。

 真っ暗だった。真っ暗というか、黒より黒く、闇より深く。
 吸い込まれるような、押し出されるような。
 迫ってくるような、沈静しているような。
 じっと見ていると、目がおかしくなりそうだった。

「これは……?」
「これが、出口。この世界の先の世界、といえばいいのかな」
 沙樹は目の前のものが、この世のものとは思えずに、目が離せなかった。
「なにもない……」
「そう、『無』だ」
「なぜ……こんなものが?」
「どういうことかな。なぜこんなものがここにあるのか? ってこと?」
 沙樹は力なく頷いたが、聞きたいことはそれだけじゃない。
「それは、僕がここに隠したから」
「あなたはいったい何者なんだ」
「僕は星形の月のマスター……って言っても信じてくれないね。でも僕は何者でもないんだよ」
「嘘だ! こんなものを隠しておきながら――」
「頼まれたのさ。出口の管理を」
「だ、だれに――」
「質問はここまで。キリがないからね」
 混乱する頭の中で、沙樹は大事なことに気が付いた。
「あんた……これを真尋に教えるつもりだと言ったな」
「いや、真尋さんに教える前に君に教えようかなとは言ったけど」
 沙樹は折原の胸倉を乱暴に掴んだ。
「絶対! 絶対に教えるな! 誰にもだ! 誰かに話したら許さねー!」
「あらあら。沙樹君もこんな風に取り乱したり、するんだね。ちょっと意外」
 沙樹はまだ折原の胸倉から手を離さず、荒い呼吸を繰り返していた。
「なんで? この先に進んでしまうのを恐れている?」
 沙樹は答えられなかった。この扉の先は、どう見ても何もない。折原は「無」だと言った。それなのに、進むやつがいるだろうか。
 沙樹は折原から手を離し、再び目の前に広がる不気味な闇を睨んだ。
「この先に、行ったとしたら、どうなる?」
「どうなるだろうね。なにしろ無であり、出口であるからね。入口じゃない。夢のある異世界での愉快な冒険が待っているとは思えないよね。ただひとつ、言えることは――」
 折原の目は、沙樹をじっと見据える。
「この世界からは消えるということ。この世界から出ていくわけだからね。消えちゃうのさ。跡形もなく」
「それは……」
「うん、存在ごと。人々の記憶からも、この世で成したことも、すべて。なかったことに」
 沙樹は、自分がその先に進みたいなんて願望はこれっぽっちも持っていなかった。消えたくなんてないし、この世界から出てみたいとも思わない。ましてやどこに繋がるかわからない、いや、どこにも繋がらないかもしれない、「無」の空間なんて。だが、それを求める者もいるとしたら? 自分の身の回りの人間はわからない。しかし、消えたい願望を持っている人間が世の中に存在するということは、沙樹でも知っている。この世界の出口? こんなものの存在、決して明るみに出してはいけない!
「改めて、聞く」
 沙樹はズキズキと痛む頭を抱えて、折原に正面から向き直った。
「なぜ、俺にこの話をした?」
 折原は気だるげに首を傾げて、口の右端を少し上げた。
「君なら、面白くしてくれるんじゃないかと思ってね」
 沙樹は力任せに、廊下の壁を殴った。壁に掛けてあった、額縁が派手な音を立てて落ちた。
「ふざけやがって……! 絶対、誰にも言うなよ」
 低く、うめくような声でそう言うと、沙樹は階段を下りて行った。

 取り残された、折原は、落ちた額縁をかけ直しながら呟いた。
「そしてこの状況を……変えてくれるんじゃないかって。今回こそは……」




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