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治療家のための文化人類学~身体経験~

今回は文化人類学において「身体経験」と呼ばれる、「身体、行動、文化の関係性」についてお伝えします。

後半では「骨盤矯正」を持つ文化圏との身体経験についてもお話しいたします。



人体の多様性

身体の生物学的多様性

人種の違い、民族による違い、
身長体重、免疫力など

生物はその環境や個体差に適応し
生存していけるように
姿形・機能を変えていきます。

例えば、
日本人の食生活では1日の塩分摂取量が10gを超えます。これは世界でも群を抜いて多い塩分摂取量で、WHOの基準に倣えば一日の基準量はおよそ4gとされています。

これは、海洋に面し、
多湿な気候のために発達した、
日本の伝統的な保存食文化に由来します。

漬物、干物などはその代表例です。

こうした食生活に適応できる、ミネラル代謝の仕組みや遺伝子変異が日本人には備わっています。

国際基準はあくまで基準であり
民族個別性を表現するには不向きです。

高血圧の研究のなかでは、人種によって、つまり白人と黒人とアジア人は体が違うので、高血圧治療の効果も違うのではないか、と考えられていた歴史があります。

そうした背景から、一部の研究では人種を区別して結果が報告されています。

そしてこの調査でも人種を区別して減塩の効果が解析されました。

白人では1日11.8gの塩を4gに減らすことで、上の血圧が1mmHgほど下がっていました。黒人では4mmHgほど下がっていました。

アジア人では1.5mmHgほど、ただし誤差を考えるとじつは上がるのかもしれない、減塩で血圧が上がるのか下がるのかはわからないという結果でした。

アジア人が減塩をしても血圧が下がるとはいえないのです。

「減塩で健康に」はウソである…医療界が隠す「塩分をたっぷり食べる日本人が長生き」という不都合な真実



逆の例を挙げると、
日本人が外国人に比較して、乳製品の代謝能力が低いというのも環境や習慣、食文化の影響により生じた、身体の生物学的多様性の一つといえます。

食生活以外にも、日照時間、気温、気圧、衛生状態などの自然環境に由来する体の違いは、長い年月をかけて自然獲得されてきた「生物としての多様性」が現れます。



身体の文化的な多様性

自然環境によって作られる多様性がある一方、
「社会環境」「文化」によって
身体の多様性が作られることもあります。

それが「身体の文化的多様性」です。

例えば同じ体形をしていても、
「女性らしい」とされる体形は、
社会特有の文化によって異なります。

「女性らしさ」の規範は社会の中で
年々、目まぐるしく変化していきます。

中にはそのために、
危険なダイエット、投薬、美容外科手術などで、文化がつくりだした「女性らしさ」に、自らの体をに近づけようとする人もいます。

体格の大きさが「豊かさ」や「健康」の
物差しになる文化圏もあります。
反面、不健康な印象を与える国もあれば、
「肥満」として治療対象とする国もあります。

このように、
その社会文化によって、
身体の捉え方は全く違うものに
なっていきます

これが身体の文化的多様性です。



身体経験

このような、「生物学的多様性」「文化的多様性」を自分の身体を通じて体験し行動を迫られるたり、また行動することを「身体経験」といいます。

文化や環境の影響を受けてつくられてきた、
身体の仕組みや働き、
外観の微妙な違いをもとに、

我々は無意識のうちに
自覚する感覚を選択したり、
行動や振る舞いすら変容させています。



更年期障害の症状に文化差がある

例えば、

女性の更年期障害では、
北米では急な熱感を自覚する「ホットフラッシュ」が広くみられるのに対し、日本人女性を対象にした調査ではその症状の自覚が少ないことが分かっています。

これは、更年期世代における女性の生活環境の違いや、大豆製品の摂取が多い日本の食文化の影響だと考えられています。

日本人女性の多くは閉経後の年代においても、家事、介護などの「性別的役割分業」や、忍耐を美徳とするような「女性に期待される行動規範」が、いまだに色濃く残っていることが背景にあると考えられます。

自分の体の変化に対して意識を向ける自由度の低さが示唆され、このような身体経験の違いが北米と日本を比べると存在します。




権力への抵抗として症状が出るケース

他にも、

社会的権力に対して意思表示する手段として、身体が用いられることがあります。1970年代、マレーシアの厳しい労働環境下で安価に酷使されていた女性作業工場員には、「憑依」と呼ばれる集団ヒステリー症状が多発しました。

マレーシアの農村に暮らす中高年の既婚女性にとつて「憑依」とは従来より不満や悩みを表現し解消する伝統的で文化的な方法でありました。

しかし、その文化を知らない雇い主の多国籍企業にとっては「迷惑な精神病」でしかなく、精神安定薬を飲ませ、西洋医学の考え方を人々に埋め込むことで解決を図った歴史があります。
マレーシア女性はかつて、こうした時代背景の影響を受け、非常に過酷な身体経験をしたのです。



トランスジェンダーを通じて体感する南アジア独特の文化

トランスセクシャル、
トランスジェンダーは、
生物学的・文化的な身体の意味づけと
葛藤する代表例
です。

男性器を持って生まれれば
男らしさの意味づけが与えられます。
筋肉質であることを男らしいとするのも社会によって与えられた作用です。

しかしインドになど南アジア圏においては「ヒジュラ」と呼ばれる男性でも女性でもない「第3の性」が社会的に存在します。

その多くは男性として生まれたのち、勃起不全症になることをきっかけに、男性器を切除して誕生以来の男性という性別を放棄することで、ヒンドゥー女神の帰依者(敬虔な信順者)となります。

社会生活の中では、男性として振る舞うシーンと、女性らしく振る舞うシーンが区別され、相手との関係性や状況により多様に変容します。

男性女性の二元論とする一般的なジェンダー論から一見逸脱するこの文化では、性の不一致や、ヒジュラとして男女両方の多様な役割と意味を持つことは、当事者にとって正常な自己のあり方であり、なんの問題もないこととして認識されています。




「骨盤の歪みが原因」という文化圏で経験する「身体経験」

以上のように、

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