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[第1章]高校時、英語赤点まみれの奴が留学なんでしてん

高校時の俺
高校の時は、千葉県の自称進学校に通っていました。高校の時の成績はもちろん赤点まみれなんだけど、英語はとにかく悪かったし、黒色でテストの点数が書かれているのを見た覚えがないくらい赤点をとってたんだよね。
他の教科も赤点を普通にとってしまうしょうもない高校生でした。
(歴史系はたまに70点とかとってた記憶があるけど。)テストの順位もいつも下から数えた方がはやいくらい下の方でとにかく勉強が嫌いで、何でやらなきゃいけないのかと毎日思っていました。何で言われたことをやって、やりたくないことをやって、それで赤の他人の先生に怒られなきゃいけないのかが当時高校生の僕には全然わかりませんでした。(今はわかる)

こんな点数ばっかでした(拾い画)

高二あたりから親を含めた三者面談とか、模試を学校で受けることが増えてきて、大学の進路を決めなきゃいけない時になってきたんよ。その時は全く行きたいと思う大学がなくて、とりあえずやらなかったら何か言われるからとりあえず行けもしない"駒澤大学"って書いてたのを今でも鮮明に覚えてる。親にも「あんた大学どうすんの」ってよく言われていた記憶がめちゃくちゃあります。それでそのまま楽しすぎる高校生活を過ごしていました。

転機

僕は高二くらいからゴルフを色々あって始めたんだけど、毎日練習して大学でもゴルフをしようと思ってたんよ。でいつもの練習場に行ってて、その時教わってたコーチにアメリカに留学しててゴルフをやってる人を紹介してもらって、たまたまその先輩が同じゴルフ練習場の人で、たまたまコロナでアメリカがロックダウンだから日本に一時帰国してたんよね。
それでその先輩にその後、「ゴルフ教えてください」って頼んだりしたりして、一緒に練習させてもらえたりし始めたんだよね。

そしたらその先輩が、「大学どこ行くの?」って聞いてきて
それで自分が「行きたいところが無いです」って答えたんよ。

そしたら先輩が「じゃあアメリカ行けば?」って言ってきて
そして自分が「あーじゃあ、アメリカ行きます」って言ってアメリカ留学しようと思ったんよね。

これが私が留学しようと思った転機でした。

その後

その後は、その先輩の友達を紹介してもらい、その方から留学エージェントを紹介してもらい、お話を聞きに行き私の留学がほぼ確定していきました。
そのあとはエージェントと話しながら、学校とゴルフの環境を考えながらいくつか候補を出してもらい結果的にカリフォルニアの二年生大学(コミュニティカレッジ)に行くことが決まりました。

人生って何があるかわかんないよね。。。


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