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本当の家族

今日は子供の誕生日を祝う為、久しぶりに家族揃って焼き肉パーティをした。さっき子供が下宿先に帰っていき、煙臭い部屋でこれを書いている。

話題は他愛もないことばかりである。
高校時代からの友人の話、バイトの事、近況の事。こんな風に家族でゆっくり酒を酌み交わし、食事しながら話ができる日が来ようとは、数年前の私達家族からは想像もつかない。

子供は数年前、心と身体の調子を崩し、私達夫婦に、いや私という母親に、"本当の愛情"を求めてきた。
それは子育てと同時に、私が生まれてこの方ずっと怠ってきた『自分を大事にする』
と言う事をやり直させる、きっかけとなった。

何度も取るべき道を間違えたし、何度も失望させた。その度に私は自分を責めて、余計に子供を失望させ、不安にさせ、イライラさせた。
子供の求める正解の"愛"と思われる物を『あれか?これか?』と次々に前に並べてご機嫌を取結ぼうとした。それは子供を私から一層遠ざける結果を招いた。

やがて子供から一方的に断絶を宣言された時、目の前が真っ暗になった。もう心配で心配で、めまいがしそうだった。
でも、その断絶は子供の求めていたものだった。私の"監視"からの解放だった。
そしてそれは結果的に、私を私へと向き合わせた。

私が私自身を大切な存在として扱う事が、当たり前の事として感じられるようになった頃、私の目に子供が一人の人格を持った人間としてうつるようになった。
それまで私は子供を"庇護すべきもの"と言う大義名分の下に、自分の囲いの中に入れよう入れようとしていた。それは"自分が安心する為"、即ち子供に向けられた"愛"ではなかったのである。
子供はそれを敏感に感じ取り、私に『自分自身を生きてくれ』と必死で訴えかけていたのだ。
その必死の訴えすら、子供の私に対する突然の敵意だと錯覚して、自然に嵐の静まるのを待とうとしたり、子供をなだめすかしてみたり、自分の事しか考えていない、馬鹿な事ばかりしていたと思う。

沢山の眠れない夜と、不安で壊れそうな気持ちで過ごす日々がずっと続いた。枕を濡らした夜も数え切れない。
今だから言える事だけれど、あの日々も必要なプロセスだったのだと思う。

大切な家族だからこそ、悩んで苦しむ。
平穏無事に何事もなく過ごしていく家族もあるだろう。それはそれで、良い事だ。
だが少なくとも私は今、あの頃出会った人、起こった事全てに感謝している。
私と私達家族に大きな気付きを与え、思考の方向転換を促したのは子供であり、それらの人々であり、それらの出来事である。
私達家族は、おかげで今、本当の家族になった。
誰かが誰かを支配したり、隷属したり、コントロールしたりする人間関係ではない。当たり前の家族になった。

これから先も、私達には色々な事が起こるだろう。
だがきっとなんとかなる、と心から思っている。





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