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読書感想「ウィーン近郊」黒川創~登場人物を勝手に一人増やしてみました

黒川創『ウィーン近郊』新潮社 2021年02月

0.前書き

主人公の兄の境遇があまりにも自分に近すぎて、通常の"読書感想"からはみ出してしまいそうだ。バレー部を辞めて家でゴロゴロしている桐島が、小説「桐島、部活やめるってよ」を手に取ってしまったような感じだ。

1.世界に順応し、染まるという幻想を抱いたあの頃

空港まで行きながら帰国便にのらず、ウィーン近郊のアパートで自死した兄・西山優介。2019年09月、50歳手前での出来事だった。彼の遺体を引き取るため、妹・奈緒は幼子を連れて現地を訪れる。日本大使館領事・久保寺、日本人カソリック関係者、近所の人、彼の同僚の手助けの下、亡くなった兄の足跡を辿る。

ウィーンっ子は物語の中で影絵の様に息を潜め、彼の地で生きる異邦人達が色濃く描かれている。

優介はウィーンを「正」として順応しようとし、拒絶される。耐えきれず日本に帰ろうとするが、その先の人生の空白を思い自死を選ぶ。

ここから自分語りをしたい。

僕はベトナムに住んではいるが順応はしていない。『どこに居てもそんなもんだ。』とやり過ごしている。思春期にゲイを自覚してから、日本でも眼の前の世界に染まることは出来なかった。異邦人として生きるレッスンを続けてきた。

ただ、こんな僕でも、”世界に染まれるかもしれない”と思った時はあった。

昔付き合ったベトナム人彼氏は人懐っこく、あちこちに友達がいた。パーティーにもよく駆り出されたものだ。談笑するグループの中心にいる彼。僕はちょっと疲れたなと思いながらも、”これが世間に溶け込むことなのだ”と自分に言い聞かせ、端で笑顔を作っていた。

別れた後、出会った人たちは音もたてずに消えていった。ひどい別れ方をしてのけ者されたのではない。元々彼らは僕のことを”A君の外国人の彼氏”という、当時としては物珍しいオブジェとして見ていただけであった。

パーティーは終わった。人々が去った空間に、主を失くした異邦人のオブジェが雨晒しのまま打ち捨てられた。

2.成仏と業(カルマ)と帰国

「私、ベトナムが大好きなんですっ!」とハイテンションで告げて廻る人がいる。その方々はビアホイ(ビアホール)で皆とベトナムソーセージを食べ、ヒュンダイ製の観光バスでハロン湾、サパ(山間の避暑地)に2回ほど行き、国の違いの壁にちょこんと頭をぶつけて悩み、何だかわからないけど自分内で解決して爽やかな顔で帰っていく。2~3年のローテーションだ。

「色々ありましたけど、ありがとうベトナム!私はこの国を忘れません。」

こういう状態を私は”成仏”と呼んでいる。

何事にも潮時というものがある。それを逃すと、人は自分の意志にもとづいて生きるのが難しくなる。

A君との別れが成仏する潮時だったのかもしれない。しかし成仏するには業(カルマ)が根深かったようだ。今も私はベトナムに地縛霊のように居座り、同じく業の深い友達と一緒に深い沼の中にいる。

3.置き去りにした様々な事に許しを乞う

自死を遂げる1年前の2018年8月、優介はパートナー平山ユリを癌で亡くしている。ユリが亡くなる時に彼は東京におり、葬儀は現地の知り合いに委ねていた。日本大使館の在外公館派遣員として働いていた時、彼は現地職員である彼女と知り合った。優介が20代、ユリが50代に差し掛かった時の事だった。彼女は聡明で、強い正義感を備え、教養も豊かな美しい女性として知る人も多かった。知り合って一緒に暮らし始めてから4半世紀後、ユリは癌を患う。ユリを置いて日本へ帰ることを考えている優介を奈緒は少し責めるが、「ユリさんは”おれがそうしたいなら、そうするのがええ”て言うてはる」と、優介は力なく答える。そして優介が東京に一時帰国し、職探している間にユリは亡くなる。

優介とユリの年齢差は26歳である。自分にも上下に年齢差が離れた2人の人がいる。日本にいる母と、年若い彼氏であるドク君だ。

僕は30代に入り、一度は戻った日本をまた出ることにした。病身の父と、看病する母を置いて。

出ていく日、母は僕の荷物を持って相鉄線の駅のホームまで一緒についてきた。あの日、モンシロチョウが2匹、春めいた駅のホームにゆっくりと入線してくるのを二人で眺めていた。

「日本にもこがん穏やかな世界があることば知っとったら、シンジももう少しココにいれたかもしれんのにね。」

引き留めることを諦めた母は呟いた。

強い風と共に電車がやってきて、二匹のチョウは離れ離れとなった。

この時母は『この子は私達を捨てていくんだ。』と思っていた、という事を後で知った。

新天地を目指すというきれい事を唱えながら、その背後にいる年老いた両親、別れ話もせずに話をごまかし続けた彼氏、期待をかけてくれていた人達、、、それらをすべて振り切って逃げ、ベトナムに来た。

ベトナムで働いたり失業したり、恋をしたり失恋したり、酒を飲んだり二日酔いしたりしながら、結局浮きも沈みもせず日々を過ごした。頑なで小心な男はベトナムにいてもそのままだった。

今の彼氏であるドク君と知り合った時は戸惑った。今まで付き合ってきた人とは違うタイプだし、何よりも20歳以上歳が離れている。ベトナム人ゲイ友の「この子だけは絶対手放しちゃダメ。」という言葉に背中を押されて、手探り状態でおっかなびっくり付き合ったというのが本当の所だった。

二人で初めてタイに行き、トランジットで泊まったバンコク・ドンムアン空港そばのホテルでの出来事だ。ドク君が「コンビニでお菓子を買ってくる」と部屋を出たまま1時間経っても帰って来なかった。

『遅いな。。。』

ホテルの外からざわめきが聞こえる。やがて救急車のサイレンの唸り声が聞こえた。交通事故のようだ。

血の気が引いた。ホテル備え付けのスリッパのまま外に飛び出し、人だかりに向かって走った。ドク君が巻き込まれていたらどうしよう。いや、こんなに待っても帰って来ないのは交通事故にあったに違いない。

思考が暴走する。やっぱり俺は幸せになれない。幸せになってはいけないんだ。だって自分は沢山の人を裏切ってきた。両親、恩師、友人、上司、優しいけど結局愛せなかった元彼氏。。。

復讐される。幸福の絶頂で今からどん底に叩き落される。。。

現場に駆けつけてみると、事故にあったのは若い女性のようであった。ダランと垂れた首が、既に魂が身体から脱け出してしまっていることを物語る。

「シンジ、事故?」肩で息をしている僕の背後から声が聞こえる。振り向くときょとんとした顔のドク君がいた。コンビニに行く途中、日が暮れても予想外に暑かったのでカフェに入り、「外に出たくなくなった」ので佇んでいたそうな。

怒った後、抱きしめた。

水蒸気を帯びた空気が暑さで上昇し、とうとう飽和点に達したらしい。暖かい雨が二人を濡らしていく。慈悲の雨が自分に降り注いでいる様に感じた。

それでも、幸せになってもいいんだよ。

4.優介、久保寺、そして「第三の男」

小説の中、葬儀の席で奈緒は言う。

「兄の人生は、たいしたものじゃなかったな、と改めて思います。そして、しくじった、という思いも残ったんだろうな、ということも。立派な考えを胸に抱いて、生きたわけでもない。生きる上での目的も、最後まではっきりしなかったことでしょう。私もそうです。そうやって生きつづける無数の人々の列の中に立って、今という時間を過ごしています。」

日本大使館の領事・久保寺は優介と対をなす人物だ。1971年生の優介に対して、1975年生の久保寺は就職氷河期の真っ最中に社会へ出ている。彼も在外公館派遣員として働き始めるが、その働きぶりが認められ、職員からの推薦のもとで試験を受け正規の外交官となる。ウィーンの次はアフガニスタンへの赴任が決まっているが、それも宿命として受け止めている。

実は大学の修士課程で行き詰った僕に対して、学士時代の教授が外務省在外公館派遣員に応募する事を勧めていた。任期切れの後がイマイチわからないこともあり、結局は受けることはなかったのだが。。。僕はその後、優介でも久保寺でもない足取りを辿っている。

ベトナム在住のほぼ同世代の日本人が集まる会に、ある日参加した。企業の支店長など、そうそうたる肩書の人々が参加している。

そんな中、とある駐在員の方が、私の肩書を見て皆に聞こえる声で言った。

「現地採用なんですか? 負け組じゃないですか!」

自分がその後、何と反応したか覚えていない。ただ、その場に居合わせた知り合いの隠れゲイの人が、こっそりと携帯にメッセージを送ってくれていた。

「歴代の彼氏を紹介してやったらどうですか? それから見ればシンジさんは人生の勝者だと思いますよ。」

メッセージを読んで吹いた。いや、さすがにそれは言い過ぎやって。。。

5.ごま粒人生を全うするということ

若い頃『第3の男』を読んだ久保寺は思う。

大観覧車の上から、地上にごま粒のように散らばる人々の影を指さし、「あの粒のうちの一つが動かなくなったところで、君は、胸に痛みなど感じるか?」友に反問する悪漢ハリー・ライムの言葉の方に、共感を覚えていた。より自然な心の動きが、ここには含まれていると感じたからだろう。

上から見ればゴマ粒の様な人生なのかもしれない。でも、それは縮尺の問題だ。僕は”たいしたものじゃない、人からみたらごま粒のような”人生を全うしようとしている。そして少しでも何かをドク君に残したいと願っている。

作った春巻きの不格好さをドク君に笑われてへそを曲げ、寝室に閉じこもってふて寝するような器の小さな人間ではあるが。。。

石田衣良の小説、「反自殺クラブ」(だったかな)の中で忘れられない一節がある。

「自分の姿に対し、”こんな風になりたくないな”、と誰かに優越感を抱かせてやっただけでも、あんたの人生には生きる価値があるんじゃないのか?」

ストレスでいささか顔面が麻痺気味だったあの日の駐在員さんに、『こうは成りたくない』と優越感を抱かせてあげただけでも、少しは世の中の役に立っているのかもしれないし。。。

6.まだ埋葬されちゃいない。これからもドクと春巻きを作るんだ

優介は埋葬されたが、僕はまだ埋葬されていない。

過去への後ろめたさや業を抱えながらも、ゴマ粒に見えようが僕にとっては価値のある人生を全うしたい、と21年06月13日(日)ベトナム時間20時に、手製ビスクスープとスーパーで買った白ワインを味わいながら思っている。

来週は立派な形をした春巻きを作って、ドク君にリベンジしなければならないし。。。

(許可なしに物語の中に入り込んで済みません。。。)


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