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「アタマの中のテレビジョン」

「口ではそう言ってたのに、結局ウソだった。」きっとこんな感じで相談を受けたり、相談する事ってありますよね。好きって言ってたのに浮気したり、嫌いって言ってたのに隠して行動してたり・・・。いったいぜんたい、何を信じたらいいのだろうか。一つの考え方を提案させてください。

「信じる信じないではなく、事実を確認をする」

信じるとは何かという一つの説明として、「見えないもの、根拠のないものを信頼する事。」でも、一つ一つ確認するしかないんです。事実を。

「真実はいつも一つ。」そんなセリフを聞いたことがあると思います。彼の言うその真実とは、「犯人が取った行動」の事です。誰かの行動の後に、一つの真実があります。ただ真実も見る角度や時間、フィルターを変えると表面の見え方は変わりますが。

「その人の行動や言動、思想がヒントになる。」そんな事はわかってるけど、結局方法がわからない。。。

「無批判的な目線は、真実にたどり着くことが難しい」という考え方があります。逆を言えば批判的目線はウソを暴く。マジックを見る時なんてそうですよね。めちゃくちゃ批判的目線から見てます。もちろん単純に楽しんでいる人もいらっしゃいますが。

でも批判的目線を持つというのは、疑えというわけではないです。

いつも通りに見て良いです。ただ批判的な目線も持ち合わせるという事です。目線は一つではないし、行動も考え方も一つではないです。

ただ人は、一つづつの行動しかできていません。TVで例えるのがわかりやすいと思います。今の自分の優先している意識はチャンネルで変わっていくという感覚です。

「批判的目線チャンネル」「多様性を認めようチャンネル」「感情優先チャンネル」「合理的思考チャンネル」「ヒ〇キンTVチャンネル」・・・。

これらのチャンネルは、イメージ的には優先したチャンネルの音声のみ聞こえています。もしTVを2つ以上もっていると、音声は聞こえませんが他のチャンネルの映像は見ることができます。これは自分の中における客観的視点と言えると思います。

「よぉし、今は感情のチャンネルにしよう。あ、批判的目線チャンネルの情報が重要そうだ。音声つなげて~」

「感受性チャンネル音声マックスで行きましょう。この部分の範囲はこのチャンネルで、それ以外は消去法チャンネルと落としどころチャンネル上手くつないでいこう」

TVのスイッチャーの様な立場にいるのが自分の中にいる客観的視点さんです。

自分の感情をカテゴライズしていき、それに名前を付けて認識をしていく行動は哲学の一つだと思います。このなんだかわからない自分の中身の整理術として、TVチャンネルというシステムを参考にしました。「アタマの中のテレビジョン的メタ認知」とでもいいましょうか。

そうすると、今自分はなんのチャンネルを優先しているのか、思ってた認識は実は二つのチャンネルの融合チャンネルだった。だから切り離す。など、自分の感情に振り回されなくなっていくでしょう。さらに意図的にチャンネルを変えちゃうなんてことも。

結局のところなにを選択するかに帰化しますが、悩みが柔らかくなり、色んなものが見えてくると思います。

そしてさらに先へ。

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