自分にとってかけがえのない物

こんにちわ。辛くも楽しい毎日を送っております。早矢仕です。
noteはできる限り毎日更新して行こうと思います。

今回は自分の鬱の経験について頭に浮かんだ物を書こうと思います。
実は訳あって僕は高校を半年で中退しています。どんな考えがあったのか生徒早矢仕は高校をやめて社会に出る事を選んだようです。
実はいくつか困難がありまして、それはもう、すごく楽しかったんです。
今回は少し長くなりそうですので、時間がある時に読んでもらえれば、と思います。

僕の生い立ちは、中国の農民の一家に一人息子として生まれたイタズラの大好きなやんちゃな子だった見たいです。所謂「クソガキ」ですね笑
数年後父親は天に登り、母親は出稼ぎに行き出しました。
僕はお爺とお婆とそのまま近くの街の小学校に入り、2年生までそこで過ごしました。当時ウルトラマンティガがちょうど中国の国内放送で流れていて、すごく見ていたりと、特に何か出来る訳でもなく、遊んでは勉強してを繰り返す平凡な人の毎日でした。でもその時はそんな生活がすごく心地良くて楽しかったんです。
そして三年生になったある日母親は日本人の人と再婚をし、僕を連れて日本に引っ越す事になりました。
当時日本との戦争の映画が、多く中国で流れていて、紹介のバラエティなどはテレビで見たことが無かった為、海の向こうの国は未知でしかありませんでした。そんな僕は楽しみと同時に恐怖にも似た何かを感じていました。

日本に越して来た僕はまず二年生の三学期に編入されました。僕の住んでいた地方では冬が長く、学年にズレがあったようです。
日本語の勉強は苦ではありませんでしたが、いじめと言う名の悪魔に日々悩まされていました。実際に今思うと軽くあしらえる程度の所詮は子供同士の喧嘩みたいな物でしたが、当時の僕は言葉が通じないだけあり、かなり怖かった記憶があります。言葉を覚え4年生になると、きになる事はなくなり、少しずつ日本と言う国に身も心も慣れて行きました。道路が綺麗である事に違和感がなくなり、ポイ捨てが恥ずかしくなるなど。(実際人がいない時とかはこっそりしていたかも・・・)
そんな僕も中学に進学し、高校を視野に入れて勉強するようになりました。
某ヤンキーゲームにハマり黒歴史を作ったのもこの時ですね。笑笑
小学6年生の時からずっと好きだった人もいましたが、思い届かず、内に秘めて勉強に励みました。(実は高校に行ってからも好きだった)
中学校では常に笑っていたかもしれないです。笑ってると場が和んだりしてたので。
笑わせようとギャグを打ったら天然と思われて以後そのキャラが根付いてしまったのは今だから話せる事です笑(実は自分も楽しんでた)

転機が訪れるのは高校に進学してからです。五年生の頃からトランペットを習っていた為、吹奏楽部に入りました。(実はジャズだったので大した戦力にならなかったです。)
それから半年間はかなり充実していました。授業中寝る事を除けば。笑笑

半年たったある日、何が原因だったのか、僕はうつ病にかかりました。
おそらく色々なことが一度に起こったからと、今は勝手に思っています。
自分だけは絶対にならないと思っていましたが、不思議な事に、一度足を踏み入れると、それは日が立つに連れより黒く、より淀んで、より大きくなり、どんどん身を蝕みました。親の一言が辛くなり、友達の笑顔で辛くなり、部屋は淀み、絶望しか無い無気力な日々でした。唯一の救いと言えば現実逃避のできる仮装空間でしょうか。父親とも大きな喧嘩をし、疎遠になりました。そんな生活を何ヶ月か続けていたのかな。
立ち直るきっかけはアルバイトに行きなさいと、母親に言われ、自分はゲームに課金する為に重い体を起こして応募したから、だったのかもしれません笑笑(とことんダメ人間)

しかし不思議と、体を動かして見ると案外気持ちが明るくなっていきました。そして思い切って中国や韓国に行ったりしていました。
日本に帰り、いくつかアルバイトをしていました。そのころはすっかり立ち直り、すき家でワンオペレーションを経験して見たり、キャバクラのボーイをして見たり、ホテルで結婚式のウェイターをして見たり、楽しかったです。
そんな経験をする内に自分は中卒だって事に改めて気づき、計画を立てる事にしました。

前置きがすごく長いですね。笑 でもすごく色濃く、思い出が詰まった過去なので、これを話した上で言おうと思い、書きました。
お題にもありますが、自分にとってかけがえの無いもの。それを探す毎日がようやくあの年、あの時、に訪れました。毎日自分の将来の像を思い描き、何通りもの道を思い描き、たどり着いた答えは、自由に生きる事。になりました。
へっ?ってなりそうですが、僕にとっては悩んだ末に出した答えなんです笑
その後、海外の経営大学院でMBAを取ろうと思い、勉強をする傍、資格の勉強も平行して行っていました。(資金の為)

ふと思いましたが、何故鬱から抜け出すのにあそこまで時間を有したのか。
その原因を自分なりに考えて見ました。
結論は空気。だと思います。
空気とはすごくて、場の空気によって、人は強くも弱くもなります。
あの時、あの場で、何も動けなかったのは、自分の心を閉じ、自分の部屋を閉じ、「このままの方がなんか楽」なんて空気が部屋を支配していたからでしょう。その空気のおかげで、部屋に閉じこもり、部屋に閉じこもると余計空気が強くなり、そんな連鎖でしたね。なのでこればかりは正直周りがなんて言おうとどうにもならなかったのも事実でした。
母親の疲れ切った顔を見るたびにしんどくなり、余計に引きこもってしまいましたね笑笑

そして、タイトルに戻りますが、かけがえの無いものとはここに現れているのかもしれません。
自分が真の意味で弱くなり、何もできなかった時に、思っていた感情、周りにいた人、支えてくれた人、使っていた物、その経験それ全てが、自分にとって何物にも変えられない物です。
それまで築き上げてきた自信が全て否定され、身にまとっていたプライドが全て崩れ落ち、生き地獄のような日々を送る毎日の中で、周りにあった物、いた者、それこそがが自分にとっての本当の意味でのかけがえの無い物だったりします。
全て否定された自分から、改めて自信やプライドを一から築きあげる事は、すごく辛く、孤独でした。ですが、そんな経験があったがゆえに自身の人格には、はっきりとした言葉で間違っていないと言えるのも事実です。

今、当時の自分と同じ境遇にいる人が周りにいたら、こう話したいです。

我慢なんてしなくていい、やりたい事をやればいい。でも、今自分の周りにある物、人は決して忘れないで。。と。

最後は少し臭くなってしまいましたね!笑
長くなってすみません泣
未熟者の戯言でしたが、ここまで読んでくださったあなたの為になれたならば、すごく嬉しいです。

終わり

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