バイブルを自分で書いたんだ
こんにちは、早瀬くもりです。
わたしは1年間休学をして、岩手県にプチ移住、昨日までシェアハウスで暮らしていました。
このnoteは、4月20日から始まった4ヶ月間のプログラムに参加し、そこでの学びや感情を残しておくために始めたもので、その時々の表現で投稿を続けてきました。
8月22日、わたしは無事にプログラムを卒業しました。そして、今日この町を出ます。
ここでの生活の最後に、わたしがこれから強く生きていくために、このnote残したいと思います。
なおやさん、ちぃちゃん、みゆ、たまき、4ヶ月間本当にありがとう。
人生が変わる音がした
今さら、こんなことを言って許されるのかわからないけれど、わたしはここでの日常がものすごく大切だった。
「こんなはずじゃなかった」「思ってたのと違う」と何度も思った。そして、口にしては意図的に人を傷つけた。
だけど、本当はずっと欲しくてたまらなかったものだったのではないかと、素直に認めたいと思った。
"この町にも居場所がなくて、大好きな場所(大学のコミュニティ)も手放してしまって、もうどこにもいられないかもしれない"
そう思って泣いた日もあった。
一生の友達がほしかった、忘れられない経験を共有したかった。
さよならをした朝、涙が止まらなかった。
寂しいのか悲しいのかわからないけど、昂っているのがわかった。終いには、なんでか、楽しくてたまらないと思った。
これほどまでに繋がっていたいと思った人たちはいない。地元を逃げ出したくて受験した大学、休学を友達に言い出せなかった5ヶ月前。
たくさんひどいことも言ったし、お互いに傷つけあったけど、出会わなかった場合の未来を考えると恐ろしくなるほど、大切な愛おしい人たちだ。
"他の人たちと同じように就活が出来ないかもしれない"
不安になる時もあった。
だけど、畑をいじったり草刈りをしたりしながら人と繋がっていくとき、季節の食材を自分で集めて料理をしたとき、田んぼ道を自転車で駆け抜けたとき、わたしの中でカチャカチャと歯車が回っていく音がした。本当にこう表現することしか出来ない感覚で、どきどきした。
多分わたしは、こんな未来を選ぶ。
自分を消耗させて、お金を稼いで、人と比べて、人のせいにして生きていたくない。お金をかけて、人並みになって、それなのに勝手に凹んで、誰かにマウントを取って、必死に計算するのは疲れる。
田舎で、人に囲まれて、自分のやりたいことをやっていけばいいじゃないか。
当たり前の暮らしの動作を続けていれば、それが生きていくことになると知った。
人生が変わっていくことを実感しながら生きるなんてそうそう出来ないことではないだろうか。
なんて濃い4ヶ月間を過ごしたのだろうと過ぎ去った日々を思い出す。
寂しいという感情を失うな
これは、わたしの人生が開けた学びだ。
21年間ずっと抱えてきた苦しみへの、アクセスの仕方を教えてもらった。
わたしは誰かと一緒にいるほど寂しかった。
わたしの家族は、円満とは言えない。愛されていることはわかるけれど、素直に受け取れない自分と、どうしてもすれ違ってしまう現実があった。
友人たちもそうだった。上手に振る舞える自信がなくて、2人きりになることが嫌だったり、自分ばかり好きになってしまうようで苦しかったり。
寂しいという感情は、「○○してくれない」に変わり、やがて怒りになった。ただ寂しいだけなのに、一緒にいてほしいとか話を聞いてほしいとか素直に言えなかった。いつも、怒りを込めたリクエストをしては、人が自分に近寄って来ないことを悲しんだ。そんなこと当たり前なのに。
もっと早く素直に言えたらよかった。
過去の経験とか、周りの人との性格の相性とか、いろんな条件が邪魔をしているように思えたけど、「寂しい」とみんなの前で泣いたとき、誰も離れていかなかった。
嬉しかった。
これから先わたしは、ちゃんと、自分が望むままに、なんとか、人と一緒にいられるかもしれないと思って、少しだけ安心した。
可愛い子には旅をさせよ
愛おしい人たちを見て、この言葉が浮かんだ。
本来は、"我が子が可愛いなら旅をさせて、この世の苦しみや辛さを経験させた方がいい" という意味だということくらいはわかっていたが、新しい解釈を生み出してしまった。
「こんなにいい人に出会えない人たちは、可哀想だ!」そう思った。
可愛い人は、旅に出て、多くの人に出会うべきだと思うのだ。そうしたら、この世に幸せな人が溢れるのではないか。幸福をばら撒きに旅に出てくれ!なんて考えて、一人でニヤニヤした。
あまりにも可愛い人たちを見せびらかしたい。
心の中にいてくれたら、思い出して元気をもらえそうな気がする。いつまで経っても、こんなに素敵な人がいたって語りたい。
お別れが来ることは悲しくてたまらないけれど、わたしは、みんなの旅立ちを応援したいと強く思った。
わたしの中の世界平和
めちゃくちゃに愛おしい人を思ったら、世界の何もかもに感謝できた。
生まれてきたこと、その人の家族、全ての社会システム、性格を形成するその人の経験、仕草、その他諸々が重なって作り出された、その人はあまりに尊かった。
そして、出会いを導いた自分の選択も、丸ごと肯定できた。
それはそれはすごいパワーを持っていた。
人との出会いが、わたしの幸せを形作っていることがわかった。
前々から思っていたけれど、やっぱりこの感覚間違えてなかったな〜と再確認できた。
感情強め人間のわたしにとって、自分の直感が当たることが、この期間中最大の自己肯定になった。
世界が君を笑わせろ
先日、ハウスメイトやここでお世話になった人たちに手紙を書いた。そこで、降りてきた精一杯の愛情表現だ。
わたしは、大好きな人たちに元気でいてほしい。何の悩みもなくて、常ににこにこ暮らしていてほしいという願いは心の中にある。
だけど、それって、あたかもみんながわかるくらいに元気に暮らしていなればいけないってことだと伝わってしまわないかと思った。
元気でいることを強要したい訳ではない。
ハウスメイトの言葉を借りると、「湿って生きていてもいいじゃないか」と言いたかった。
実際にはできなかったけれど、悩みさえ愛おしく思いたかった。
だから、世界がその子のことを笑わせてくれたらいい。その子が笑えるような世界になればいい、なんて壮大なことを考えていた。
これ以上の表現が見つからなくて、わたしの中で革命が起きた。届いているといいな。
日常を愛する
ある人が「違いすら楽しもう」と言った。
人との違いを楽しむなんて意味がわからなかった。わたしの当たり前が通じない、それはものすごいストレスだった。
これまでの生活や文化の違いがあることはわかっているけど、想像していた異常に、他人と一緒に暮らすことは難しかった。
シェアハウスが開始してすぐは、自分の行動は慣行によるものなのに、一つひとつに説明できる明確な理由がなければいけない気がしていた。
そして、人の行動の大半は無駄が多かったり、なんで?という疑問に溢れていたりした。
シェアハウス最終日、お別れの実感がなかったからか、いつも通りに、ハウスメイトへの小さな不満が頭に浮かんだ。
でも、それはいつも通りのことだった。
集まりに遅刻しかける自分も、なかなか人の輪に入ってこれない子も、パジャマのまま参加する子も、最初の頃と変わらなかった。
最後なのに、なにも特別じゃない振る舞いが愛おしくて、心が苦しくなった。
洗濯物干すのを手伝ってくれないことも、ちょっとだけ悲しかったけど、なんかもうそれさえ愛おしかった。
シェアハウスが終わる実感なんてないのに、みんなの洗濯物を干すことが最後だという現実だけ理解できた。
違いを楽しめたかはわからないけれど、目の前の子のその人らしさとか、わたしたちらしさを存分に感じることができた。
それでよかった気がしている。
お互いに理解し合うなんて、わたしには無理なんじゃないかと思う。
だけど、
一緒にいる苦しみを少しずつ減らしていけたら、まだまだこれから先も一緒にいられると思った。
縁は望まない限り切れない
「あまりにも違うわたしたちだから、ここでの暮らしが終了したら、一生会えなくて、交わることがないと思ったら怖い、悲しい」と、とある人に話したことがある。
「縁切ろうと思ってるの?
切ろうと思ってない限り切れないよ」
そう、平然とした顔で言われた。
これを聞いたとき、この言葉を忘れてはいけないと思った。
"切られる" と思って勝手に被害者ぶっていた。
ハウスメイトたちを勝手に怖がっていた。
そんなこと全然なかった。
ちゃんとお互いに大事な存在になれた。
これから先も、近況を報告しあって、心の支えにして、離れていても共に生きていきたいと願う。
人を怖がる必要はない。自分から手放さない。
お互いに望む関係をこれから先も築いていこう。関係性は常に同じではなくて、ちょっとずつ変わっていきながら、心地よく繋がっていたい。
最後に
ここまで読んでくださりありがとうございます。
これで、4ヶ月間の岩手県移住プロジェクトに関する記事はおしまいになります。自分の未熟さを痛感した日々でした。それをちゃんと残せた自分を、少しだけ褒めてあげたいです。
今朝、ハウスメイトを駅まで送った車内、頭の中で、青春や熱苦しさを詰め込んだ曲たちがランダム再生されました。他人事だと思っていた震えるような熱い感情が、いつの間にかわたしのものになっていて、この4ヶ月間わたしたちは間違いなく主人公でした。わたしに関わってくれた全ての人に、愛おしい日々をくれた人たちに感謝しています。
10月からはまた別のところで、経験を積んでいきたいと思っています。このnoteはまだ継続して書いていく予定なので、これからもよろしくお願いします。
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