素晴らしいドキュメンタリーに出会う。子どもの自死という重いテーマを題材にした絵本が出来るまで。言葉を紡ぐのは、かの有名な谷川俊太郎。合田里美さんという若手の方が絵を担当する。
この絵本ができるまでのプロセスに、とてつもない深いメッセージを受け取った。それは谷川俊太郎の言う通り、「意味偏重社会」である現代に、意味を越えて、言葉を使わずに、世界を見よう!という素晴らしき真理のことだ。
タモリは、言葉を憎み、意味を解体することを芸までに昇華した。そう、「ハナモゲラ」である。タモリが言葉では到達し得ない境地、真理に触れて、言葉や意味はダメだ!と悟る小噺がとても良かった。長くはなるが全て引用しようと思う。
私の大好きな中沢新一は兼ねてより探求されているメインテーマであるが、最新の論考でも「精神の考古学」(月刊新潮にて連載中)にて、人類がコトバを知る前の精神を探求されており、象徴からコトバ、カミが発生して農業によって、富の蓄積、増幅、増殖していく社会を有史と言うならば、それ以前の歴史では消去されてしまっている無史の世界、古代の精神というものが、どれだけ素晴らしい精神世界だったのかということを明らかにしようとする。
「レンマ学」(講談社)では、南方熊楠やフロイト、ユングなども導き手として、コトバのロゴスの世界とは違う、レンマの世界、分けずに丸ごとガバッと把握するレンマ的知性について語られていた。仏教ともリンクしてきており、坐禅、瞑想によって、コトバの世界から離れて、全てが連関して生成変化し合う、世界のリアルを見事に表している。
話をもどそう。谷川俊太郎がコトバを越えて伝えてたい世界のリアルを、絵本をつくる制作過程で見事に表してくれている。はじめに、イラストレーターの合田さんは、コトバに引っ張られた絵を描いていた。谷川俊太郎との対話の中で、象徴的なスノードームを使ったり、コトバから離れるように指示されたり、指導を受けながら、見事にコトバを越えた世界のリアルに肉薄していく様子が素晴らしかった。
コトバを通して考え、意味を求め過ぎる「意味偏重社会」である現代は、古代の循環型の社会をベースとする、豊かな精神からはかけ離れた、とても生きづらい世の中であると思っている。仕事をしていても、上司はプレッシャーという名の意味の重さを載せてきて、ともすると意味の重さに押しつぶされるようなことがある。
コトバから離れて、世界のリアルを知る得れば、なんて素晴らしいものだろうと、思うに違いない。道元が悟った、山川草木悉皆成仏とは、自然や世界と渾然一体となる世界観であり、今日のテーマ、言葉を離れて肉薄する世界のリアルにシンクロするのだ。
谷川俊太郎の絵本には、死んでしまったボクを通して、宇宙規模の存在に触れるなにかを感じとる。
死を意識することによって、生きている自分はなにを感じるだろうか。ボクの持つスノードームには、宇宙が描かれていた。ボクは、宇宙と渾然一体となって、存在している。死んでしまった世界には空のスノードームが置かれていた。死を通して見つめる生は、どれだけ輝いていることか…!この世から消えていなくなったボクを通して、生きている読者は、何を思う?素晴らしい絵本の誕生に立ち会えて、幸せだ。