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普通にしてるつもりなのに目立つ。自分は「逆エンパス」かもしれないと思った話

自分がHSP/HSSだと知ったばかりの頃、色々調べているときに「エンパス」「逆エンパス」という言葉に出会いました。HSPの人はエンパスという特質も併せ持っていることが多かったり、似ている部分が多いとか。

HSP/HSSについては以下に。

真偽が定かでないものを共有するのは少し憚られるのですが、当てはまりまくってて面白いと思ったので、話のネタにでもどうぞ。あくまで話半分で読んでくださいね。ちなみに、私は「まあ、そういうこともあるだろう」くらいに思っています。


「エンパス」とは

まずエンパスについては、下記記事がわかりやすいです。

以下引用します。

エンパシーとは相手と共感する力。

そしてその力が非常に高い人が一定の割合で存在していて(日本人の場合は5人に1人)そういった共感力の高い人達をエンパスと呼んでいます。

相手に共感することは人間の持つ重要な能力ではありますが、あまりに高い共感能力を持ったエンパスは、その能力に振り回されて生きづらく感じてしまうことも多いのです。

身体で感じる人、心で感じる人、思考や仕草で共感する人……人によってタイプは違いますが、キーになるのは「共感」という点。無意識に人のエネルギーを受け取ってしまう、そしてそれを選択できない、というようなイメージでしょうか。

そういえば学生時代に、パワーストーンが近くにあるとお腹下すって言ってた子がいたんですけど、その子もそういう感じだったのかな。

やっぱりしっくり来ない

HSPのときも思ったんですけど、「エンパス」だけだと「なんか違うなあ」と思う部分があって。

人の気持ちは漠然とですが感じ取れます。相手の未来を予感することも。もちろん他者の影響はめちゃくちゃ受けやすいし、一応霊感もあるし。

あと無駄に人真似が上手いです。どのジャンルでも上手い人と一緒にいると上達が早いんですが、その速度に驚かれることもしばしば。

しかし、エンパスの人は「一人になる方が楽、落ち着く」って言う話ですけど、私の場合は逆で、閉じこもってるとしんどくなる。疲れるけど誰かと話したいし、自分の想いを誰かに聞いてもらいたくなる。

それに私自身「博愛」とか「献身」みたいなワードがしっくり来ない。むしろキレてばっかりだし、悪いことも酷いことも考えるし、ホラーも暴力も、フィクションなら観る。むしろ悲しい話は好きだったりするし。メリバもヤンデレも死にネタも大好物だよ。

それに自分の過去を省みると、どっちかっていうとエンパスを傷つけるタイプで、「エネルギーバンパイア」なんじゃないかと思ったりもした。

「逆エンパス」もあった

で、そんなことを考えているときに「逆エンパス」もあると知りました。

こちらの記事によると、下記のような特徴があるとか。

・なぜか目立つポジションにいる。
・リーダーや学級委員などステージに上がることが多い。
・普通にしているのに「生意気」「態度がでかい」と言われる。
・自分が夢中になっていると周囲が真似し始める。
・ガラガラのお店に入るが、後から混雑してくる。


引用元:実は逆エンパスかも!?敵を作りやすい人のエネルギーの使いかた

あるあるある!!!!!と思いました。

これほとんど当てはまりました。「自意識過剰じゃないの?」と言われるかも知れませんが、実際にこういうことは多々ありました。

集団生活を送らなくなって久しいですが、小学校やフリースクール、専門時代などは何かとリーダーポジを任されました。会社でも3年目で責任ある立場を任されました。

家族にもバイト先でも仕事場でも、普通にしてたら「生意気」「態度がでかい」「威張ってる」と言われることがありました。極力目立たないようにしていても目つけられるし。逆に控えめにしてたらイライラされるし。

本当に、悪気はないんですよ。だから何故嫌われるかわからなくって本当に悩みました。

自分が夢中になっていると周囲が真似……はどうかな。あったかもしれない。記憶がない。そもそも自分に価値がないと思ってたので、真似されてもそれが原因とかわかんなかったかも……。

ただあまり周りの目とか気にせず良いと思ったことをやるので、人が多く集まる場所で「一人なにかやりだすと周りも真似をし始める」の一人目になることはよくあります。

今でも、人が多いところが苦手だから空いているカフェに入ったのに(アイドルタイムなのに)混みだしたり。これ気のせいかと思ったんですけど、思い当たるフシが多すぎて。でも、正直ちょっと困るんですよ。私としてはゆっくりしたくて入ったのに。笑

似ているようで違う、エンパスと逆エンパス

エンパスと逆エンパスは、他者のエネルギーを吸収するという点では似ていますが、突き詰めると逆なんです。

何が逆かと言うと「エネルギーの方向」が逆。

・エンパスは自分の内側にエネルギーを吸収する。

他者、周囲 →→→ エネルギー →→→ 自分

・逆エンパスは外側にエネルギーを出す。

他者、周囲 ←←← エネルギー ←←← 自分

※どちらかしかないわけではなく、それぞれ「片方が強い」というような状態です。エンパスは受信が強く、逆エンパスは送信が強い。

では何故、逆エンパスが他者のエネルギーに影響されやすいかというと、逆エンパスは「自分で発したエネルギーで他者のエネルギーを引っ張ってきてしまうから」だそうです。

「エネルギーの先っぽにかぎ針がついているようなイメージ」と上記にはありました。

「他者の感情が入ってくる」のがエンパスだとしたら「他者の感情を取りに行ってしまう」のが逆エンパス。一見すると似ていますが起きていることは真逆です。

逆エンパスが元気だと周りも元気になる

逆エンパスは、周りの人を元気にしたりやる気を出させることが得意だよ。

例えば「誰もやってないけど、私は楽しい!」と思って夢中になっていたら、いつの間にかみんな真似し始めた経験もあるはず。

エネルギーが泉のように湧き出ているからこそできることだね。

引用元:実は逆エンパスかも!?敵を作りやすい人のエネルギーの使いかた

逆エンパスは、良くも悪くも周囲に影響を与えやすい存在です。人に良いエネルギーを発信して周りにも良い影響を与えることができます。逆に言えば悪いエネルギーは悪いエネルギーとなって返ってきます。

悪いエネルギー……思い出したくもないんですけど、黒歴史と言うにふさわしい時期は、人を蔑ろにしまくったので自分も蔑ろにされましたね。ひどい目に遭いました。

今はほとんど自分を偽っていないので、noteを通して私のエネルギーが伝わっているかはわかりませんが、仲良くしてくださる方もできましたし、とてもありがたいことです。

スイングの展示のレポも、あんな長文レポなのに「感動しました」「2回読みました」とスイングの方からメールやお手紙をいただきました。

他にも中学時代からの友だちや、高校の相談室の友だちも、自分を偽る必要がなかったので、すごく仲良かったんですよ。「大好き」「一緒にいると落ち着く」「元気が出る」「楽しい」って言ってもらえました。

このnoteでちょくちょく話題に出す友人も、前職の元同僚ですが、当時は誰も味方がいなかった職場で、初めて私が腹を割って話せる相手でした。今では互いの性癖トークで盛り上がれるレベルの濃い仲です。どうしてこうなった。

何かにつけて目立つので敵を作りやすい

次に逆エンパスの生きづらさ、表題の「普通にしているのに目立つ」ということについて。以下に引用します。

2.本来の自分とのギャップが違和感に映る

学校生活で周りに嫌われたくありませんから、本来の自分を封印して周りに合わせたり、周りが求める自分、自分らしくない自分を生きるようになっていきます。

本来持っている拠り所の力を封じているため自分ではどうしていいのかわからなくなって、周りの顔色を伺って生きるようになってしまうとかえって変に目立つ存在になってしまうという特長。

逆エンパスは、与えるエネルギーに満ちていて、噴水のようにエネルギーが溢れ出ます。
それは本来、他者や周囲の環境も含めて、応援・鼓舞・導く・守る・強めるパワーを持っています。

同時にその逆エンパスは本人がそのつもりがなくても、エネルギーが勝手に溢れ出ているオーラによって目立ちます。目立ちたくなくてもなんだか目立っているように受け取られやすい。

オーラが見える見えないに関わりなく、私たちは本能的・無意識的にそれを感じる能力は持っているため、逆エンパスが自分の魂の発しているエネルギー(本質)とギャップのある自分(ありのままでない自分)を生きていると、他人からは「違和感」「なんとなく変」「不愉快」に感じられてしまう現象が起きやすくなります。

発しているエネルギーがそもそも強いですので、逆エンパスではない人が本来の自分を偽って生きていても感じられないような違和感を周りに感じやすくさせてしまうわけです。

引用元:エンパスと逆エンパス

つまり、「何もしていなくても目立つので、自分に嘘をついているのが無意識にでも伝わってしまい、他者に違和感や不快感を抱かせる」という理由だそうです。

これめっちゃ思い当たるエピソードがあって。

私は重度の「嫌われ恐怖症」なんですが、人生で何やっても嫌われてる時期があったんですよ。特にしんどかったのは高校の時です。

当時、所属していた劇団で、周囲のほとんどに嫌われたことがありました。

私はそのとき精神科にかかっていたので、「心の病は理解されない」「心配させたくない」という気持ちから、調子が悪いときも気丈に振る舞っていました。私としてはただ元気に振る舞っているだけのつもりでしたが、相当無理をしていたと今では思います。

そしてそのときの他者評は「生意気」「変な子」「うるさい」「責任感がない」と散々でした。確かに私もルールを守らなかった(知らなかった)などの非はあると思いますが「おいおい、そこまで言うか?」というレベルの陰口を言われていたらしいです。

ちなみに、一番陰口を言っていた人は、性格が粘着質で、目をつけられたような形になりますね。そういう人に限って影響力があるので質が悪いです。

何故その状況を知れたかというとその時既に付き合っていた旦那が教えてくれたからです。「お前やばいよ。みんなお前のこと誤解してるよ」と。旦那の助言で自分の悪いところを自覚して直し、誤解を解き、信頼を回復することができました。

それはそれとして、あの「周囲全員が敵」「事実として全員に嫌われている」という、針のむしろ感はやばかったです。今でも思い出すだけで身がすくみますね……。それに加えて一度失った信頼を取り戻すのは生半可なことじゃないので、そのしんどさもプラスで吐きそう。

私の針のむしろエピソードは他にもありますが、思い返すとどれも「嫌われたくないがために自分を偽る・抑え込む」ことをしていたという共通点があるなあと。

エンパスは防御、逆エンパスは循環

エンパスは受信が強いので、シャットアウトする・あるいはいいエネルギーに身を投じることで自分を保つことができます。

しかし逆エンパスはそうはいかない。エネルギーが出ているからと言って疲れないわけではない。使いどころを誤れば疲れますし使わなければどんどん疲弊していくとのこと。

ではどうすればいいかというと、発散、循環させるのがいいとのこと。

主に送信型のタイプである逆エンパスはエネルギーが生産され発揮されることが前提です。
よって、エネルギーの循環を滞らせてしまうと途端に具合が悪くなります。

運動などして物理的にもエネルギーを発散、循環させるように心がけるといいと思います。
それも喜んで・楽しんで取り掛かれることでよりよく循環されてエネルギッシュになるでしょう。

引用元:エンパスと逆エンパス

実際に私も、心を閉ざしたり動かなくなると途端に病み始めます。

運動や音楽などで物理的に発散させるのも効果的らしいですが、あくまでも本人が楽しんでやることが重要だそう。逆エンパスは他者に影響を与えてしまうので、自身が楽しい思いでいることが一番重要なんですね。

私は今のところ運動は嫌い……ではないんですが、ハードルが高いため一旦保留にしています。今やると義務感になっちゃいそうだし、外出の恐怖があるので。今は、書くことで発散しています。

私個人の理想としては、最強のプロテクションはノーガードプロテクション。
つまり何もガードやプロテクトしないでも平気でいられるのが最強です。

プロテクションやガードが必要だと感じているうちは、「分離」と「恐れ」がそこにあるということです。 それが悪いのではありません。

光も闇も共に抱きつつ歩む中で育まれていく何かが、やがて分離と恐れのない世界を確立していくと思います。

引用元:エンパスと逆エンパス

この「分離」と「恐れ」ですが、分離というのはおそらく「自分の中で目を背けている自分がいる」ということでしょうか。

これに関しては、自分を認めることで私は徐々に解放されていますが、まだまだとらわれることはあります。自分を守ったり、ファイティングポーズを取る必要がなくなれば、かなり楽に生きられるようになりそうです。

エンパスと逆エンパスは相性が悪い?

これはあくまで仮説で、なんとなく過去の経験で思うことなんですけど。

エンパスの人は逆エンパスと相性が悪いんじゃないかなと思います。いや、片方の気持ちが整ってないと関係がうまくいかない、と言うべきか。

送信が強い人と受信が強い人が一緒にいたら、おそらく送信側が受信側を支配してしまうのは必然で。

反対にエンパスが不安定なときに逆エンパスがそばにいると、逆エンパスはエンパスの不安定な気を取り込むので、こちらも悪循環になってしまう。

仮に私が逆エンパスだとして、私は今エネルギーが不安定な状態なので、エンパスの人といるとエンパスの人を潰してしまう恐れがあるなと感じました。だからそういう方からは適切に距離を取るべきだなと。

実際に過去にも繊細でおとなしい人に過剰に嫌われる傾向がありました。

距離を置かれたり嫌われるならまだマシな方で、相手が苦手な人に無意識に近づいちゃうタイプの人だったり、拒否れない相手だったら、私は無意識に「エネルギーバンパイア」と化してしまうと思います。

今は、そういう自分を自覚してるのでできる限り警戒をするようにしていますが、これがなかなか難しい。

SNSだとなおさらそれが難しくて。私はTwitterは誰にも見せてない鍵垢がありますが、noteでは結構なりふり構わず発散しちゃってます。だから、私の投稿見るのしんどい人もいると思うんですよ。

前向きなやつと後ろ向きなやつでマガジンわけてるので、読んでいただく場合は防御・自衛してほしいと思うし、もし存在自体が不愉快なら、最悪リムられても仕方ないなって思います。

そういう過去の経験があるんで、HSP同士で友達欲しいなって思う半面、そういう集まりに参加するのが怖いんですよね。自分が行くと相手を傷つけるし、嫌われるんじゃないかって。

嫌われたくなくて自分を偽るのも無意識にやってしまうから、多分「なんかこの人信用できないな」「胡散臭いな」って思われそう。元気になるとHSSの側面が強くなるので、つい突っ走って振り回しそうだし。

まあ全部「なりそう」で、ただの杞憂かもしれないんですけどね。
でも火のないところに煙は立たないのですよ。

そう考えると私はまだ、心が安定している人の近くの方が楽なのかもしれません。たまにいるんですよね、私のエネルギー受け取ってもびっくりするくらい動じない人が。

旦那ですか?旦那はおそらく、私と同じで逆エンパスです。

逆エンパスについてまとめ

では改めてざっとまとめます。

逆エンパスの特徴

・目立とうと思ってなくても目立つ
・人の影響を受けやすいし、人に影響を与えやすい
・綺麗なエネルギーでいれば人が寄ってくる
・自分を偽ると敵を作る、嫌われる
・自分を閉じると病む、開くと直る

逆エンパスはどうするべきか

・エネルギーは放っておいても出るから上手く発散、循環させる
・循環させることで綺麗な状態に保つ
・何事も楽しんでやる
・自分の「分離」や「恐れ」を解放する

いかがでしょうか。思い当たる部分がある方は、少しでも試してみられるとよいかもしれません。そうでなくとも「楽しい」と思えるようになることや「分離」「恐れ」の解放は、人生を生きていく上で重要なんじゃないかと思います。

結局のところ「名前」にも「真偽」にも意味はない

エンパス、逆エンパスも、実際に存在するかの真偽は定かではありません。そう想像で思い込んでる人もいるでしょうし、実際に相手の気持ちを感じ取れる人もいます。本人の感じていることがすべてだと思います。

私も自分を逆エンパスになぞらえて考えると、当てはまる部分はありますし「閉じたら病む」とわかってからは、閉じないように心がけることで以前より楽になりました。

しかし、心の病だとか体質・気質などに関して私自身の考えを述べておきますと「ラベリングに意味はない」と思っています。あまりこだわりがないというか。

HSP/HSSだろうと逆エンパスだろうと躁鬱だろうと、全てはあくまで人間がつけた名前です。そしてそれらの症状が重なって見えるのは、身体の中に起きていることは似ていたり同じだからなんじゃないか、というのが私の持論です。

ただ、そうして名前をつけることで、研究・対策する、人とつながる、知識を共有する、理解者を得る……ということには意味があると思っています。

よって真偽は定かではないですし、これを知ることで「逆エンパス」を広めようなどとは想いませんが「知ることで同じように生きづらい誰かが楽になればいいな」とは思っています。

実際、私もHSP/HSSという概念を知ったことがきっかけで自分を受け入れられるようになりました。しかしそれは「HSP/HSS」だから救われたのではなく、そのおかげで自分を受け入れられたことに意味がありました。

自分を受け入れて初めてフラットに観察でき、「名前にとらわれる必要はない」「体内で起きていることは同じだ」と気付くことができました。

だから自分の特性を自覚することで生きやすくなるのはいいけど、「HSPだから私はこの不調を一生抱えて生きていくしかないんだ……」みたいに思い込むのはもったいないと思います。

本人がそれを全部受け入れて「それでもOK!ダメな自分も愛せる」ってなるならそれでいいし、「だけどやっぱりこのままじゃ嫌だ」と解決方法を探すのも自由だと思います。

結局自分が心から納得できる生き方が一番で、名前なんかで人の人生を縛ることなんてできないんだから。

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