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シリアスな物語が好き

フィクションの楽しみ方というか、作品の嗜好の話。

特に感情を揺さぶられる物語を好む傾向がある。こういうの「エモい」っていうんだっけ。知らんけど。

シリアスな話、暗い話、重い話、悲しい話、切ない話が好き。

「そういうのは観るの疲れるから苦手」
「現実でしんどいのに暗い話なんて見たくない」

そういう人もいると思う。

けれど私は、現実がしんどくてもそういう話が好きだし、シリアスな話に触れて疲れないというわけじゃない。むしろものすごい影響を受ける。「グリーンマイル」とか「まどマギ」とか、重すぎて翌日寝込むほど落ち込んだりすることもある。

触れる前に心の準備だっている。いつでも見れるわけじゃない。

疲れるけど好きな理由

疲れるのに何故そういう物語が好きかというと、感情を揺さぶられることで深く感じ、なぞる事ができるから。

そこに人の輝きを感じるから。

だからちょっと狂った話や怖い話も結構好きだ。

人間の悪側面や悪感情が剥き出しになっている話、暴かれる話も割と平気だし、好き。

もちろん明るい話も好き。けど底抜けに単純で明るい話や、都合の良過ぎる話より、ちょっと重いところにもちゃんと向き合う物語の方が好き。

逆に言えば、ただ暗い「だけ」やえげつない「だけ」の話も苦手だったりする。

結局のところ、それがささやかでも、そこに人の尊さや、作り手の想いを感じられる物語が好きなんだと思う。

「当たり前」の感覚がズレている

感情を揺さぶられる話が好きな理由はもうひとつある。他者の感想や意見が分かれるし、いろんな感性に触れられるから。

たとえばある物語があったとして。それを多くの人が「怖い」「重い」と言っていたとする。

けど、私はその話を「当たり前」と感じたり、「面白い」と感じてしまい、怖い理由に気付くのが遅れたりする。

「当たり前」の感覚が、少しズレているのかもしれない。

過去には、笑い話と思って話したエピソードを、怖がられたりする事もあった。もしかしたら、恐怖や狂気、苦痛といった類の感覚が何処か麻痺しているのかもしれない。

そういうことを感じるたびに、自分と他者の違いを感じる。自分の中にある基準を客観視したり、修正したりする。

また、同じ物語を見て感じることが違う人の反応を見たり、感想を聴くと新しい発見がある。

「共感できない」と引かれることもあり、寂しい思いをすることもあるけど、そういう違いを楽しいと感じてくれる人と話しているのは楽しい。

幸い、最近はそういう方とのお付き合いも増えた。そういう方は、新たな視点をくれるから、もっと話を聴きたいし、その人の感性が生まれた人生の背景にも興味が湧く。

結局のところ、何にしても「人の物語」が好きなのかもしれない。

子供の頃はシリアスが怖かった

今ではシリアスが好きな私だけど、ふとしたきっかけで「感情を揺さぶられる話を読むのが辛い、怖い」という時期が私にもあった事を思い出した。

小学校の頃に読んでいた漫画のあるエピソードについて目にする機会があって。

そのあらすじが思い出されると同時に、それがあまりにもシリアスすぎて、登場人物に辛い事ばかりが降りかかって、「読むのがきつかった」という当時の感覚が蘇った。

「私にも、そんな時期があったんだな」と感じたら、芋づる式に昔のことを思い出した。

幼い頃の私は、怖い話や悲しい話が苦手だった。

「HSPは怖い話や暗い話が苦手」とよく言われるけど、まさにそれだった。現実との区別がつかなくて、感じ過ぎていた。

5歳くらいのとき、NHKの「おかあさんといっしょ」のきぐるみ劇で、主人公の大事な家族が死んでしまう話があったんだけど、「死」「別離」っていう描写が怖すぎて、その回が放送されてる時は部屋の隅で耳塞いで震えてた。

小学校低学年の時、「学校の怪談」シリーズの映画を観て、半年ほど一人でトイレに行けなくなったり、学校の大きな鏡に怯えたりしていた。

それが今や、好んで悲しい話や怖い話を読みに行く。過激な表現も、割と平気だ。 私が大好きなFateシリーズだって、娯楽作品の中では観るのに体力を使う方だと思う。

じゃあ、敏感な気質を克服したのかというと全くそうではなくて。

多分、その頃から恐怖の大きさはあまり変わってない。

恐怖を麻痺させたり、快感と勘違いすることでやり過ごす事を覚えてしまっただけなんだろうな、と思う。

現実が辛すぎて、感情や感覚が麻痺してしまったから、フィクションの重い話で感覚を戻しているのかもしれない。

だとしてもそれを治したいとはあまり思わない。治すのもきっと簡単じゃない。

それにこの楽しみ方のおかげで、物語を深く味わえる。疑似体験だって可能だ。物語に深く入り込めば入り込むほど楽しいし、人生の価値観だって変わる。

それにフィクションでも感情を揺さぶられた経験は確かに私の糧になるし、多分これからも、そうして人の心に触れる事で、自分の心を少しずつ思い出すんだと思う。

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